テレビをつければパリ五輪。戦争が続く中でのお祭り騒ぎに批判があるのは当然、だが結局スポーツというものの面白さに引き込まれてまんまと楽しんでしまっている。人間とは多くの矛盾を抱えた生き物だ。 さまざまな賛否が巻き起こるのも五輪の光景のひとつだ…
なんであんなことをしてしまったのか——やらかしてしまったとき、人はつい理由を探してしまう。だが、果たしてそれにどんな意味があるだろうか。人間の暗黒面を常に題材として選んできた吉村萬壱の新刊『みんなのお墓』は、多数の登場人物をゆるやかにつない…
アウシュヴィッツ強制収容所と壁一枚隔てた家に住む、収容所所長と家族の暮らしぶりを描く映画『関心領域』を見て、打ちのめされた。直接的な虐殺の描写はなく、表情のクローズアップもなく、時折ひびく不穏な音も説明されない。なのに、見る側がそこに「意…
新たな出会いや再出発というと、日本では春のイメージだが、『うらはぐさ風土記』の主人公、田ノ岡沙希52歳の新生活の幕開けは夏だ。 大学卒業と同時に渡米した沙希は、カリフォルニア州の大学で20年近く日本語を教えてきたが、全米的な人文系学科の危機のあ…
ノンフィクションを愛する読者にとっても見逃すことのできない小説だ。チリの作家ラバトゥッツが2021年に発表、このほど邦訳された『恐るべき緑』は、4つの独立した短中編とそれらを結ぶエピローグからなる。実在の科学者・数学者の人物伝という体なのに、作…
(以下の記事は、当ブログの1つ前の記事「『八月の御所グラウンド』万城目学著」執筆者である関根さんが、講師の豊崎由美さんのリクエストに応え、前月提出書評を3000字にブラッシュアップして再提出した書評です。なお、ここに登場する「捜索隊」が初登場す…
えへん。みなさま、こんにちは。いやぁ、ついに獲りましたね。万城目学さんの『八月の御所グラウンド』が!え?先に自己紹介を?ハイハイ、ちょっと興奮しちゃって。では、改めまして。 派手な柄シャツを着た太目のおじさんにしか見えないと思うけど、これで…
出来事がおこったときはよくわからず、振り返ってはじめて見えてくるものがある。それも、思ったよりたくさん。柴崎友香の新作長編『続きと始まり』は、そんなことに気づかせてくれる。 視点人物は三人。石原優子は三十代後半。夫の実家のある滋賀県で、雑貨…
自分以外の人がどのように本を読んでいるかというのは、基本的に分からない。A「あの本読んだ?」B「読んだ!面白かった!」A「面白かったよねー」といった会話が交わされたとしても、AとBが感じた面白さは全然違うかもしれない。私が書評や評論を好んで読む…
名シナリオとよい料理レシピには共通点がある。どちらも文字を追いながら作品を脳内で創り上げることができるところだ。レシピを読めば味や見た目、食感、匂い、温度をイメージできるのと同じように、物語に引き込まれる時間の中で、目の奥にモニターが浮か…
かかとを浮かせて、その分だけ少し詩に近づいたような軽やかな文体で、1990年頃と思われる時期の中学生スミと、現在の物書きの〈私〉、人生のいっときを釜山で暮らす二人の物語が交互に語られる。二人はそれぞれ日常のなかで、時空や虚実の境を越えて他者と…
優れた建築家が自然の地形を生かして美しい建物を建てるように、世界の歴史と現実を土台に見事な虚構を組み立てるのが宮内悠介という作家だ。『あとは野となれ大和撫子』(2017)では、環境破壊によって干上がった中央アジアの湖の上に架空の国を興し、少女…
デビュー作『我が友、スミス』(2021年)で第166回、2023年『我が手の太陽』で第169回芥川賞候補となった石田夏穂。1991年埼玉県生まれ、東京工業大学工学部卒。プラント建設会社の社員としての顔もある。今回、惜しくも受賞はならなかったが、私はこの作家…
え~、今年7月の平均気温が45年ぶりに記録を更新し、観測史上最高となったそうで。そんな最中に我が家のエアコンが壊れ、絶望している読楽亭評之輔でございます。 せめてもの涼を求めんと、怪談やホラー、ゴースト・ストーリー等々読み漁りまして。その中で…
〈俺〉〈私〉〈僕〉。英語ではすべて「I」なのに、日本語では役割が異なる。さらにこの3語について、とくに男性は使い分けを社会的に訓練される。〈俺〉は私的領域でしか使わない、公的な場では〈私〉を使うべきだと。しかし〈僕〉は? 公的ではないが、私…
20年ほど前、38歳で乳がんを患った。右乳房の切除と同時再建、半年の抗がん剤治療後は再発、転移なく安泰に過ごしている。 乳がんは罹患者が多いが生存率も高い。ただし術後10年は転移の可能性があるし、遠隔転移が見つかると完治は難しい。総じて穏や…
お馴染み、読楽亭評之輔でございます。 え~〈子は鎹(かすがい)〉なぞと申します。鎹ってのはDIYが趣味の方はご存じでしょうが、木材と木材を繋ぎとめるのに使う、コの字型の釘でございますな。 古典落語の演目「子は鎹」は、腕はいいが酒癖の悪い大工の熊…
短編小説に与えられる今年の川端康成賞が滝口悠生の「反対方向行き」に決まった。今はもうこの世にはいない祖父・竹春の家がある宇都宮に向かうために、渋谷駅から湘南新宿ラインに乗り込んだ三〇代の女性・なつめ。しかしその電車の行き先は反対方向の小田…
読書の醍醐味の一つに「この埋もれた名作をよくぞ刊行してくれた!」と出版社に拍手を送りたくなる作品との出会いがある。 palmbooksという小さな出版社が2022年12月、記念すべき第一号として刊行した赤染晶子のエッセイ集『じゃむパンの日』。刊行当初から…
物語を支配しているのは静寂だ。だが、それは呻吟を歯を喰いしばって封じ、慟哭の涙さえ涸れた果てにもたらされている。 『インヴェンション・オブ・サウンド』は、今やカルト的人気を誇る、ブラッド・ピット主演、デヴィッド・フィンチャー監督の映画『ファ…
どんな職業に就いていても、だれもがいつかは老いと向き合わなければならない。ク・ビョンモによる長編小説『破果』は65歳の女性殺し屋を主人公とする異色のノワールだ。 爪角(チョガク)は「防疫業」に携わって45年になる。彼女が駆除しているのは、ネズミ…
ワールドカップ、日本代表初のベスト8なるかと盛り上がった本大会、ルールもわからず観戦していたが、すぐに夢中になった。選手の体の動きがすごい。まさにバネのごとく筋肉を収縮させて走る、倒れそうな角度に傾いてシュートを打つ、空中で仲間同士ぶつか…
久々に夢中になれる生き物本に出合った。日本で初めてウォンバットに特化した書籍だ。本書をひもときながら、「良い生き物本」の条件を考えてみた。数多の一般読者向けの生き物本のうち、手に取って読み通すだけでなく、人にも勧めたくなる物にはどんな魅力…
ニューヨークに暮らす68歳のエプスティーンは、何事にも精力的に立ち向かい、弁護士としての成功と円満な家庭を築いてきた。しかし両親が亡くなった頃から、不思議な行動をとるようになる。長年連れ添った妻にあらかたの財産を渡して離婚し、友人と共同経営…
2021年11月、ジョン・アーヴィングがFacebookに投稿した。自分の最後の長篇は、2022年10月刊行になるだろう、と。1942年生まれのアーヴィングは今年80歳。『神秘大通り』から7年、15作目の長篇、”The Last Chairlift”は10月18日に…
2020年夏、38歳のフリーライター横多平が父島行きのフェリーに乗る。東京から父島まではおよそ1000キロ、まる24時間の船旅だ。島に向かうきっかけとなったのは、八木皆子と名乗る人物からのメールだった。冒頭の挨拶はいつも「おーい、横多くん」。八木皆子…
二〇二〇年にEテレ「100分de名著」で『ピノッキオの冒険』が取り上げられた。朗読は俳優の伊藤沙莉さんで、ちょっと鼻にかかっただみ声のやんちゃな様がピノッキオにぴったりで素晴らしかった。のだが、番組を見て何より驚いたのは、イタリアの「子ども新聞…
6月、小田嶋隆が病気のため65歳で亡くなった。コラムニストとして長きにわたり活躍した彼が、〈「本当のことを書く」という縛り〉を外して書いた物語を集めた本書『東京四次元紀行』には、「残骸−−新宿区」「地元−−江戸川区」といった具合にタイトルに区名…
一九七〇年代前半に日本で放映されたテレビアニメを振り返ると、なぜか動物擬人化ものが目立つ。ネズミたちの船旅を描く「ガンバの冒険」や、アマガエルとトノサマガエルが恋に落ちる「けろっこデメタン」、ハゼの男子が主人公の「ハゼドン」、黒いヒヨコの…
〈文学の棚なのか、紀行エッセイの棚なのか、地図の棚なのか、書店が置き場に悩むような本である〉――訳者あとがきの冒頭にある一文は、本書を手に取った読者の戸惑いを見事に言語化している。視界に飛び込む鮮やかなライトブルーの表紙に惹かれて手に取れば…