書評王の島

トヨザキ社長こと豊崎由美さんが講師をつとめる書評講座で、書評王に選ばれた原稿を紹介するブログです。

『ウォンバットのうんちはなぜ、四角いのか?』高野光太郎著

 久々に夢中になれる生き物本に出合った。日本で初めてウォンバットに特化した書籍だ。本書をひもときながら、「良い生き物本」の条件を考えてみた。数多の一般読者向けの生き物本のうち、手に取って読み通すだけでなく、人にも勧めたくなる物にはどんな魅力があるのだろう。
 まずは何といっても表紙のインパクト。著者曰く〈甘栗むいちゃいました〉のような黒い瞳、わずかに口角が上がった愛嬌のある顔、丸みを帯びた身体にとがった爪。帯を外すと書名になった四角いうんちまで、木原未沙紀の精緻なイラストで再現されている。ジャケ買い必至のかわいさだ。
 読者の手に届いたら、次は読ませる力。多くの人にわかりやすくその生き物の情報を伝えるのは当然の基本。その生態が変わっていればいるほど興味を引いてくれる。
 一見地味な風貌のウォンバットの生態はギャップ萌えのレベルだ。あんなに丸っこくてのっそりしていそうなのに、短距離ならウサイン・ボルト並の駿足だとか、鋼鉄のように硬いお尻で巣穴の入り口に蓋をするとか、お尻と巣穴の隙間に頭を突っ込んだ天敵である肉食獣の頭を、天井に打ちつけて頭蓋骨を砕いて死に至らせるとか、穏やかじゃない。
 そしてうんち!書中に掲載されたうんちの写真はまさに直方体。四角いうんちを排出する身体のしくみや、そもそも四角いうんちが必要な理由は本書でじっくり読んでもらうとして、著者の恩師であるオーストラリアの研究者が、はるばる太平洋を挟んでアメリカの生態力学、流体力学の専門家と連携してこの謎を解いたこと。それが2019年のイグノーベル賞を受賞したこと。専門家たちの英知を結集してふざけたようにも思える研究を重ねることが、ウォンバットを深く知り、ひいてはその保全につながること。ユーモアを忘れずに、真摯に研究に取り組む情熱に胸が熱くなる。
 生き物本を読む読者にとって重要なことがもう一つある。扱われる生き物や、それをとりまく状況に対する筆者のスタンスだ。著者の態度や考えが一貫していればこそ、読者は安心してその本を読める。ウォンバット愛に満ちた本書の半ばで、〈僕は個人的に人間と野生生物との「絆」や「友情」と言ったものが嫌いです〉と言う一節を読んで安心したし、著者に対する信頼も増した。
 もちろん、長期間観察の対象となる個体にはそれなりの思い入れを持つし、かわいいと感じている。でも、著者のふるまいには常にウォンバット優先の距離が保たれている。その姿勢に共感できれば、さらに楽しめる。
 往々にして、読者は生き物本にもストーリーを求めてしまう。その点でも、本書は満足度が高い。日本育ちの著者が、海外に住みたい、という単純な理由でタスマニア大学に入学したこと。語学や勉強で苦労を重ねた末、ウォンバットをダニによる疥癬という感染症から救うプロジェクトに出合ったこと。途中で別の道に進みかけながら、ひょんなきっかけで研究の道に戻ったこと。中高生であれば、自分の将来を考えるうえでの大きい刺激になるだろうし、年長者なら、自分にかなえられなかった夢を追う若者の成長譚に目を細めるかもしれない。
 最後に特筆すべき大きい魅力は、本書に書かれた多くの内容が他の書籍からの流用でなく、ウォンバット研究に関わる英語論文や自身の経験を多く取り入れた独自の情報であること。入門書としてわかりやすい、読みやすいこの一冊。その陰には一研究者によるしっかりした裏付けがある。
 本書を読んだ後で著者のTwitterを見れば、〈来週は生きたダニを使った実験をするのでめちゃくちゃ楽しみである〉なんてツイートに、うん、うんとうなずいてしまうぐらい、著者に共感できるようになる。さわやかな読後感の残る良書だ。

 

2022年12月書評王:田仲真記子
今年中に国内でウォンバットを見られる長野県茶臼山動物園大阪府池田市五月山動物園を訪れることが当面の目標です。来年の目標はオーストラリアでウォンバットを見ること、かな。行けるかな。