書評王の島

トヨザキ社長こと豊崎由美さんが講師をつとめる書評講座で、書評王に選ばれた原稿を紹介するブログです。

『アンソーシャル ディスタンス』金原ひとみ著

 コロナ禍でアルコール依存症が増えているという。ストレスの増加に加え、在宅勤務でより長くより多く飲める環境ができたことが背景にある。嗜癖は「ある習慣への耽溺」を意味する言葉で、より重症な例が依存症と呼ばれる。金原ひとみの短編集『アンソーシャルディスタンス』に収められた5編は、いずれもこの嗜癖がキーワードとなっている。
ストロングゼロ」の主人公、編集者のミナの嗜癖はアルコールだ。同棲中のイケメンの彼氏が鬱になって布団から出られなくなったことを受け止めきれず、朝からストロングゼロ(注)、昼食後にストロングゼロ、帰宅後一分以内にストロングゼロという生活になっている。当然仕事にも影響が出るが、ミナは仕事中にも飲めるアイデアを思いつき……。本作中「ストロング」は38回登場する。
「デバッガー」の主人公、35歳の会社員・愛菜(まな)は、11歳年下の男性社員・大山に交際を申し込まれたことをきっかけに、自分の顔の劣化(バグ)が急に気になり始める。しわ取りのため美容外科ヒアルロン酸を注入する施術を受け、自信が持てるようになったと思ったのはつかの間で、さらにいろんなところが気になりだし、脂肪溶解注射血液クレンジングなど様々な施術に手を出していく。
「コンスキエンティア」の主人公、化粧品会社に勤める30歳の茜音(あかね)は、自称〈トップオブコスメオタク〉だ。しかし、彼女の本当の嗜癖は恋愛に関する刹那的な衝動にある。夫とはコミュニケーション不全&セックスレス、だから不倫相手はひっきりなしにLINEを送ってくるひとつ年上のナイーブ系かまってちゃん、その彼が退場するや次は迫ってきた親友の弟……と、彼女は深く考えることを拒否して他人と関係を結び、手近なもので自分のなかの空白を埋めようとする。
「テクノブレイク」の主人公・芽衣(めい)は、蓮二(れんじ)と激辛料理を食べてはセックスの快楽を追究してきたのだが、コロナウイルスに対する危機感のすれ違いからしばらく会わないことを彼に宣言されてしまう。在宅勤務で週6で自宅の芽衣は、激辛料理を食べながらかつてスマホで撮った二人のセックス動画を見て、食べ終わるとそのままオナニーするルーチンから抜けられなくなっていく。
 嗜癖が高じると自己コントロールが難しくなると考えるのは表層的な見方だ。さきに何らかのままならない事態があり、徐々に大きくなる喪失感や不全感に対処するため、確実に快楽とコントロール感を得られるものにはまっていき、結果としてそれに支配されるのだ。著者はスピード感のある文体で嗜癖におぼれていく主人公の地獄を描写しつつも、その奥底に潜んでいる「ままならない事態」を見過ごさない。突き詰めていけば、それは孤独とよばれるものかもしれない。
 表題作「アンソーシャル ディスタンス」は、本書で唯一、大学生のカップルである沙南(さな)と幸希(こうき)が交互に語る形式をとっている。沙南は10歳から自殺願望があり、リストカット脱法ドラッグ、過食と拒食といった嗜癖のデパート期をくぐり抜けて幸希にたどり着いた。幸希は「自分が嫌いだ」という一点で沙南とつながってはいるが、基本は世間と折り合いをつけられるタイプだ。ところがコロナウイルスが二人にとって特別なバンドのライブを中止に追い込んだとき、絶望のなか幸希は「心中しない?」という沙南の提案に同意してしまう。二人は最後に死ぬためレンタカーで温泉旅行に出るのだが……。
 一人で深みにはまっていく話ばかりの中で、本作だけは一人の問題に二人で立ち向かっている。いや、立ち向かうというより、いっしょに立ちすくむといったほうがいいかもしれない。でも、いいのだ。「ソーシャルディスタンス」が正義とされるアフターコロナの世界で、それでも「つながらなくては生きていけない」二人が読者に手渡すのは、正しさはともかく、きっと大事なものなのだ。
(注)ストロングゼロ:安価で酔えると大ヒット中のウォッカベースの缶チューハイ。アルコール度数9%。

 

2021年8月書評王:山口裕之
最近は「依存症」ではなく「使用障害」が使われるそうです。アル中ではなく、アルコール依存症でもなく、アルコール使用障害。私はNHKが人形劇「プリンプリン物語」で「アルトコ中央テレビ局、略してアル中テレビ!」とかやってた頃を忘れません。