書評王の島

トヨザキ社長こと豊崎由美さんが講師をつとめる書評講座で、書評王に選ばれた原稿を紹介するブログです。

『恐るべき緑』ベンハミン・ラバトゥッツ著 松本健二訳

 ノンフィクションを愛する読者にとっても見逃すことのできない小説だ。チリの作家ラバトゥッツが2021年に発表、このほど邦訳された『恐るべき緑』は、4つの独立した短中編とそれらを結ぶエピローグからなる。実在の科学者・数学者の人物伝という体なのに、作者いわく〈現実の出来事に基づくフィクション〉だという。いったい、これはどういうことだろうか。
 冒頭の「プルシアン・ブルー」は、第二次世界大戦時にドイツが兵士に支給していた覚醒剤から話を起こし、大戦末期にナチス高級将校の集団自殺に使われた毒薬が紺青色の合成顔料に由来すること、ナポレオンを死に至らしめた緑色の壁紙のこと、第一次世界大戦で初めて兵器として毒ガスが使用されたこと、その作戦を指揮したのが空気中の窒素から効率的にアンモニアを生成する方法を開発したユダヤ系化学者フリッツ・ハーバーであったことが流れるように語られる。彼の発明がなければ化学肥料は生まれず、人類は地球的規模で飢餓に直面しただろう。しかし、のちにガス室で同胞を大量に殺すことになる殺虫剤を作ったのも彼だった。著者曰く〈一段落のみがフィクション〉という作品であり、素材の取り合わせでここまで面白くなるという、著者の構成力が際立つ一篇だ。
シュヴァルツシルト特異点」の主人公は、アインシュタイン方程式の厳密解を、発表からわずかひと月で提示した物理学者・シュヴァルツシルト。その解が示すのは、ブラックホールの存在だ。著者は彼の幼少期、天文学者としての業績、軍隊での経験と病気、計算結果が彼の精神にもたらしたものを、まるで見てきたように生き生きと語ってみせる。
「核心中の核心」は、二人の数学者の関係を描く。1969年生まれの日本人、望月新一は、〈数学の根幹に及ぶ〉重要な未解決問題として知られる「abc予想」を証明したとする論文を2012年に発表するが、その数学理論は〈あまりに奇抜かつ抽象的で、時代に先んじていた〉。1958年から1973年まで〈天才王子として数学界に君臨〉したフランス人数学者グロタンディークは、突如として家族と友人と職を捨て、山奥の村に隠遁した。この二人を結びつけた数学の「核心中の核心」とは。結末で示される望月の知られざる行動の意味とは。著者は巻末謝辞で〈彼の人物像や経歴や研究内容について、(中略)大半はフィクションである〉と記している。
 本書中唯一の中編「私たちが世界を理解しなくなったとき」の舞台は、1924年から1927年にかけての量子物理学黎明期。ハイゼンベルク行列力学シュレーディンガー波動方程式は、数学的には等価なのに量子世界の見方としては相容れないものだった。著者は理論構築の背景を、その決定的瞬間を、人物の内面深くに入り込んで記述する。そして量子物体は人間によって観察されるまでは「現実」ではなく「可能性」でしかないという、直観に反する世界解釈へと読者を投げ込む。
 本書に登場する科学者については、先行する優れたノンフィクション作品がある。たとえば『大気を変える錬金術―ハーバー、ボッシュと化学の世紀』(トーマス・ヘイガー/みすず書房)や、『量子革命―アインシュタインとボーア、偉大なる頭脳の激突』(M・クマール/新潮社)が挙げられるだろう。そのままで十分興味深い素材を、なぜ著者はフィクションとして描くのか。人によってはズルいとさえ感じるかもしれないが、文庫で700ページ超の『量子革命』が80ページに凝縮されるスピード感や、語りの時系列操作による意外性、捏造を恐れず人物の心中を描くことで初めて可能になるドラマ、時折挿入される視覚的なイメージによって、脳の違った部位を刺激される読書体験になるのだ。映画と原作の関係のように、本書を読んだのちにノンフィクションを読むのも、またその逆であっても、世界の異なる見方をもたらしてくれる一作だ。

2024年4月書評王:山口裕之

本稿の「ズルい」は、科学系のノンフィクションを小説よりもずっと多く読んでいる自分の実感です。『大気を変える錬金術』も『量子革命』もめっちゃおもしろいし、図書館にもあると思うので、ぜひぜひ読んでみてください。