書評王の島

トヨザキ社長こと豊崎由美さんが講師をつとめる書評講座で、書評王に選ばれた原稿を紹介するブログです。

『ペインティッド・バード』イェジー・コジンスキ 著 西成彦 訳

 1936年、ナチスドイツの侵攻がせまる東欧で、6歳の「ぼく」は「せめて子どもは無事に」と願った親によって、遠い田舎村へと疎開させられる。仲介者を経て魔女じみた老婆のもとへ預けられた「ぼく」だったが、わずか数ヶ月後、彼女は死んでしまう。オリーブ色の肌に黒髪という見た目により、周囲から「ぼく」はジプシーあるいはユダヤ人の子とみなされる。ナチスドイツにとっては根絶やしするべき存在であり、かくまったことがドイツ人に知られれば、個人だけでなく共同体ごとひどい目に遭う。自分が何者かを証明することができず、頼るべきものを失った少年は、荒野でひとりで生きることもできず、村から村へと放浪することになる。
 ある村で「ぼく」を引き取った男は、野生の鳥をつかまえ金持ちに売ることを生業としている。鬱屈がたまると彼は、つかまえた鳥にペンキを塗って「ぼく」に握らせ、上空の群れに放てと命じる。ペンキを塗られた鳥は、群れの仲間から激しくついばまれ、目をえぐられて地に落ちる。「ぼく」もこのペンキを塗られた鳥同様、行く先々の村で虐待されつづける。4年あまりのあいだ、繰り返し、繰り返し。
 1933年、ポーランドユダヤ人の両親のもとに生まれた著者コシンスキは、ホロコーストを逃れるために幼少時に田舎へと預けられたが、そのときのトラウマのために5年間にわたって口がきけなくなったという。戦後に両親と再会した彼は障害者学校で教育を受け、二十代前半でワルシャワポーランド科学アカデミーで職を得るも、1957年、冷戦下のポーランドを脱出。南米を転々とした後にアメリカへと渡った。とされているが、このプロフィールはまったくの虚構の可能性すらある。いくつかのノンフィクション作品を発表したのち、『ペインティッド・バード』を発表したのは1965年のことである。
 ホロコースト・サバイバーによる自伝的作品として受け止められた本作は、賞賛と酷評の両方を得る。著者にはのちにねつ造疑惑や盗作疑惑、ゴーストライター疑惑も投げかけられたが、その後も謎多き作家として作品を発表。1991年、57歳で、自宅にて睡眠薬を飲んだうえでビニール袋を被って自死している。
 作品中の「ぼく」が受ける数々の残酷な仕打ち、「ぼく」が目撃する人々の性的な退廃ぶりは、当時としても衝撃的な告発としてとらえられたに違いない。それというのも、本作において弱者を責め苛むのは、多くの場合ナチスでもソ連軍でもなく、貧しい村々の、普通の男女だからだ。
 粉屋のおやじは、妻との不貞を疑った作男の少年の目にスプーンを突っ込み、両方の目玉をえぐり出す。妻たちは、亭主を誘惑した女を、よってたかってリンチしたうえに、股間にガラス瓶をぶち込み、蹴り殺す。「ぼく」は理由もなく暴力を受け、犬をけしかけられ、村人によって肥溜めのなかに放り込まれて死にかけたあげくに声を失う。この作品が読み手にもたらす居心地悪さは、戦時下における一時的な狂気ではなく、レイシズムといえるほどのものでもない、もっと根源的でいつどこにでもある弱者に対する人間の暴力性・加虐性が執拗に描かれていることに起因しているのだ。
 本書は2011年刊行だが、1972年に角川書店から『異端の鳥』(青木日出夫訳)という題で先行訳がある。2019年にチェコ人の監督によって製作された映画が、日本でも翌年公開され話題となった。事実をもとにしているのか、歴史の悲劇を利用した創作に過ぎないのかで物議を醸した本作だが、毀誉褒貶を超えて、発表以来50年以上を経た今でも力を失っていない。人間の認めたくない一面について正視せよと迫るこの作品が「本物」なのか「偽物」なのか――それはフィクションなのかノンフィクションなのかとは、また別の問題なのである。

2021年2月書評王:山口裕之

映画の予告編を見たときは「こんな金をもらっても観たくないような、主人公が苦しい目に遭うだけの映画、よくつくったな」と思ったのですが、書評を書いてから「ああ、あれか」と思い出したのでした。本は、映画ほど苦しい気持ちにならないの、なんででしょうね。

ペインティッド・バード (東欧の想像力)

ペインティッド・バード (東欧の想像力)