書評王の島

池袋コミュニティ・カレッジで開講中の「書評の愉悦ブックレビュー」で王に選ばれた書評を紹介するブログです。

【作家紹介シリーズ】ピエール・ルメートル

 仏作家ピエール・ルメートルの現時点での邦訳単行本最新刊(※1)『僕が死んだあの森』の訳者あとがきを読んで驚いた。なんと彼は、2021年5月にフランスで発表した長編(※)が〈自身にとって「最後のミステリー」となる〉と宣言しているというのだ。
 ルメートルといえば、2014年に邦訳が刊行された『その女アレックス』が「このミステリーがすごい!」他4つのミステリーランキングで1位となり数十万部を超えるヒットを記録した作家なだけに、日本ではミステリー作家としての印象が強い。
 もっとも彼の場合、ミステリーでないからといって作品の吸引力が目減りするような作家ではもちろん、ない。これまでルメートル作品は、緻密な構成、次の1行で世界をガラリと変える手法、リアリティを持つ描写、大どんでん返し等々といった評価がされてきた。ミステリー作品に欠かせないこうした美点と共に、ルメートル作品の吸引力の根底にあるもの。それは”持たざる者”としての主人公のキャラクター設定だ。権力に振り回されながらもレジスタンスを試みる登場人物の姿が読者の共感を呼ぶ。今回はそうした視点でルメートルを考察したい。
 上記『その女アレックス』を含むヴェルーヴェン警部シリーズの主人公、カミーユ・ヴェルーヴェンは見た目に分かりやすく”持たざる者”だ。母親のニコチン依存症が原因で、彼の身長は145cmしかない。相手をいつも見上げなければならず〈それは二十歳で屈辱となり。三十歳で呪いとなった〉。一方で、母親は著名な画家であり、カミーユは低身長と同時に画才も受け継いだ。この両極端な授かりもののせいで、カミーユは母親に対し複雑なコンプレックスを持っている。こうした設定が、彼をただ正義感の強い有能な警部にとどめず、より人間味溢れる人物にしているのだ。
ノンシリーズもののミステリー長編『監禁面接』は、会社をリストラされバイトもクビになった57歳、アランが主人公。八方塞がりの中、運よくとある企業の最終試験に残るが、彼に提示された試験内容はおよそ理解しがたいものだった――〈就職先企業の重役会議を襲撃し、重役たちを監禁、尋問せよ〉。
 冴えない無職オヤジの奮闘記なる体で始まるが、もちろんそこはルメートル。読者の予想を軽々と超えた大胆なストーリー展開が待っている。アランを通して、経営層に搾取されそうになりながらも知恵を振り絞って必死に抵抗する労働者の姿が描かれるのだ。
 ルメートルはミステリーだけじゃないことを見せつけてくれたのが、戦争三部作の第一作『天国でまた会おう』。1918年、4年にわたるドイツとの戦争が終わろうという中、爆撃で下顎を吹き飛ばされ言葉を失ったエドゥアールと、なけなしの身銭を切ってエドゥアールの看護をするアルベール。奇妙な縁で結ばれたこの元フランス兵2人はやがて、国を巻き込むとんでもない詐欺を企てることに。国家や組織に翻弄され泥水をすすらされた若者たちが、人を食ったような計画で権力に対するレジスタンスを試みる姿が、国や時代を超えて多くの読者に刺さるのだ。
 魅力的な人物は主人公に限ったことではない。『天国でまた会おう』でエドゥアールと心を通わせる11歳の無口な少女・ルイーズ(しかも戦争三部作の最後は彼女が主人公)。『監禁面接』の、捉えどころのない飄々としたキャラクターながらアランのピンチに手を差しのべる車上生活者のシャルル。ヴェルーヴェン警部の愛猫として、登場回数は少なめながらもインパクトを残すドゥドゥーシュのツンデレぶりも忘れてはいけない。
 今年で71歳を迎えるルメートル。「最後のミステリー」宣言は寂しいものの、見方を変えれば、彼が今後いかなるジャンルの作品を書くのか予測がつかない分楽しみが増したと言える。次はどのようなキャラクターが読者の心を掴むのか、ますます目が離せないのだ。

※1 文庫本の最新刊は『われらが痛みの鏡』上下(平岡敦訳、ハヤカワ文庫)
※2 『Le Serpent majuscule』(Albin Michel、2021年12月)

2022年3月書評王:林亮子
初めて読んだルメートル作品は『悲しみのイレーヌ』。ラストのあまりの凄惨さに怒りすら覚え、いったん嫌いになりかける。しかし1作だけで決めつけるのもよくないと思い他の作品も読み始めたところ、気づいたらルメートル沼にハマっていました。

 

・本文で紹介したルメートル作品

《ヴェルーヴェン警部シリーズ》(全て橘明美訳、文春文庫)

《災厄の子供たち三部作(戦争三部作)》(全て平岡敦訳、ハヤカワ文庫)