書評王の島

トヨザキ社長こと豊崎由美さんが講師をつとめる書評講座で、書評王に選ばれた原稿を紹介するブログです。

『ゾリー』レアード・ハント著

静かな声で雄弁に語るレアード・ハントの到達点 『ゾリー』
“Zorrie”Laird Hunt  Bloomsbury Publishing


 柴田元幸は多くの現代アメリカ文学を翻訳、紹介してきた。ポール・オースタースティーヴン・ミルハウザー、スティーヴ・エリクソンなど、大作家から「知る人ぞ知る」作家まで、自分が好きな小説であることを基準に。レアード・ハントは後者の代表格だろう。
 2000年にデビューし、過去8作の長篇を持つレアード・ハント。昨年の最新作“Zorrie”は、全米図書賞の最終候補になった。主人公の声は過去作以上に静かで雄弁だ。痛ましい史実に端を発しながら、それは声高に語られず、中心となるのはあくまでもその事象を生きた人間の来し方行く末である。
 インディアナ州の農場主ゾリー・アンダーウッドは、50年以上評判の働き者だ。冒頭、疲れやすくなった彼女は農作業の途中で午睡を取る。160ページ足らずの本作は、ゾリーがこの静かな老境に至るまでをたどる。
 幼時に両親を亡くしたゾリーは、峻厳なおばに育てられた。1930年、叔母は「玄関の鍵も」残さずに他界。住まいを失った21歳の彼女は、イリノイ州ラジウムダイアル社で時計の文字盤にラジウム塗料を塗る職を得て、指示通り唇で筆先を揃えて塗っていく。夜光塗料にまみれ、仕事帰りの夜道で光る女性工員は、「ゴースト・ガールズ」と呼ばれた。その時代、ラジウムは健康に良いとして、コーラに入れて飲む人さえいたという。
 二か月後、彼女は故郷恋しさに仕事を辞めてインディアナに戻り、何とか生計を立て続ける。数年後、ひょんなきっかけで知り合った老夫婦に一人息子のハロルドを引き合わせられ、二人は結婚。建国記念日に催される地元のピクニックで、地域の人々がゾリーに、そして読者に手際よく紹介される様は、映画の一場面のようだ。ここで訳ありの青年、ノアも姿を現す。そう、柴田元幸訳の『インディアナインディアナ』の主人公だ。
 結婚3年目に妊娠したゾリーは、体調を整えようとして、大切に取ってあったラジウム粉末を毎朝水に溶かして飲む。彼女は流産し、二度と子を授からなかった。その後1942年に出征したハロルドは翌年オランダ沿岸で戦死する。ここまででざっと三分の一。
 夫を亡くしたゾリーと義父母の生活、近隣の人々との交流。『インディアナインディアナ』の読者なら覚えているだろう、ゾリーとノアのなりゆきは、前作と反対の視点から描かれる。時がたち、親しかったゴースト・ガールと数十年来の再会を果たし、ゾリーはひとり遠方への旅にさえ出る。後年、ラジウムによる健康被害で複数の友人に先立たれたゾリーは、自分の流産の原因に思いあたる。それでも彼女は、早世せずに老年を迎えられたのだ。
 レアード・ハントの小説の、とりわけ『ゾリー』の魅力は、人々のまっすぐな気持ちの持ちようだ。人生の荒波に溺れそうな人には、周囲から手が差し伸べられる。夫ハロルドの喪失に苦しむゾリーには、地域の友人が子犬を届けた。愛しく思う異性ができれば、食事を届けて食卓を共にする。微細な駆け引きは極力排除されている。それが好ましい。
 作者が『インディアナインディアナ』のサブキャラを主人公に据えて長篇を書こうと思いついた時、それとは別に興味を持っていた同時期のラジウム禍を思いだし、インディアナと隣接するイリノイ州にある工場でゾリーが働いていたら?と構想が広がったという。この着想のあざやかさよ。しかし、重ねて言うが、実話であるラジウムダイアル社による健康被害という重いテーマを持ちながら、本作の中心にあるのは、ひとりの女性が、別れも、孤独も、喪失もやり過ごし、インディアナの土地を愛し、農場で日々を過ごし、生き続ける日常だ。
 過去作の柴田訳は三冊。未訳作品すべてを日本語で読みたいのはやまやまだが、柴田元幸には、次はこの美しい傑作を翻訳して、日本で多くの読者が読めるようにしてほしい。

*参考 Zorrie: Laird Hunt in conversation with Cristina Herriquez (YouTube)

 

2022年4月書評王:田仲真記子

書評講座で「自由課題」と聞いて、一度チャレンジしてみたかった英語の小説の書評を書きました。昨年読んだ本の中で、いちばん心に残った作品です。