書評王の島

トヨザキ社長こと豊崎由美さんが講師をつとめる書評講座で、書評王に選ばれた原稿を紹介するブログです。

『さようならアルルカン/白い少女たち 氷室冴子初期作品集』

 1976年創刊の集英社コバルト文庫は、少女向けエンターテインメント小説の老舗レーベルとして、これまで多くの作家やヒット作を世に送り出してきた。看板作家のひとりである氷室冴子は、1980年刊行の『クララ白書』で少女の口語一人称によるコメディ路線を開拓し、さらには「ジュニア小説」と呼ばれていたジャンルに自覚的に「少女小説」という用語を持ち込むなど、女子向け読み物に変革をもたらした功労者である。
 『なんて素敵にジャパネスク』の大ヒットなどで一時代を築いた氷室冴子だが、その作品の多くは品切れとなっており、紙版での入手が難しくなって久しい。コバルト文庫の電子化が進んだことで氷室作品の多くは購入可能とはなったものの、紙書籍での復刊は長らく叶わずにいた。それだけに、2020年12月に集英社から単行本というかたちで『さようならアルルカン/白い少女たち 氷室冴子初期作品集』が刊行されたことは、ひとつの画期であった。
 氷室冴子初期作品集には、1977年発表の新人賞受賞作「さようならアルルカン」と、1978年刊行のコバルト文庫デビュー長編小説「白い少女たち」という最初期を代表する2作に加えて、雑誌『小説ジュニア』に1978年から80年にかけて発表された書籍未収録短編4作も収められている。
 バラエティに富んだ作品群のなかでも、とりわけ鮮烈な読後感を残すのは「さようならアルルカン」だ。物語は主人公の「わたし」と真琴という二人の少女を中心に、小学6年生から高校時代までを描く。正義感が強く、教師に意見する事もいとわない真琴の姿に「わたし」は一方的に憧れ、彼女を見つめ続けていた。だが真琴はある出来事をきっかけにかつての面影を失い、幻滅した「わたし」は<さようなら アルルカン>と記した決別の手紙を彼女に送りつけ、別々の高校に進む。だが「わたし」は真琴が忘れられず、中学時代の図書カードをたよりに彼女の読書歴を追いかけていた。そんな二人が思わぬ形で再会を果たし、<未知のものをうかがい知りたい。それは、広い意味での愛の始まりかもしれない>という、新しい友情への予感をもって物語は締めくくられる。
 学校を舞台に少女の自意識を掘り下げる本作には、同じ感性を共有できる少年との絆や、同性である真琴に対する憧憬など、<広い意味での愛>が描かれている。「わたし」と真琴の間にある感情は恋愛ではなく、けれども緊張感をはらんだ二人の関係性にはほのかなエロティシズムが漂い、この作品を独特のトーンに染めあげていく。少女の友愛は氷室冴子の作品世界に通底するテーマであり、「さようならアルルカン」はその原点をみずみずしく伝えてくれる。
 シリアス路線の表題作に対して、短編小説4作にはシリアスからコメディへという変化が刻まれており、作風の模索という観点からも興味深い。詩人として活動する男性教諭への憧れと幻滅を描く「あなたへの挽歌」や、中学生の失恋という身近なモチーフをテーマにした「悲しみ・つづれ織り」は、思春期の少女の繊細かつ潔癖な感情に迫る氷室の最初期路線を踏襲する。それに対して「おしゃべり」ではユーモアの萌芽が見られ、「私と彼女」では少女二人の突然の同居生活がいきいきとした口語一人称で綴られる。「私と彼女」はのちに刊行される男女同居コメディ『雑居時代』の原型とも呼べる作品で、ポップかつハイテンションな作風は初期作品集のなかでも異彩を放つ。
 氷室冴子の仕事はコバルト文庫での小説執筆のみならず、女性の生き方や親子関係に言及したフェミニズム的なエッセイ集や、宝塚歌劇団をモデルにしたマンガ原作など、多岐にわたる。その幅広い活動を貫くのが、女性に対するやさしい眼差し、そして「少女」というモチーフに対する強い関心なのだ。さまざまな形で少女の世界を描き続けた氷室冴子の作品に、今後も光が当てられることを期待したい。

2021年3月書評王:嵯峨景子

かつて『氷室冴子とその時代』という本を出したほど思い入れの深い作家なので、氷室作品の書評で書評王をいただけて光栄です。初期作品集には解説がついていないので、その補足になるよう作家のキャリアや作品の背景を丁寧に説明してみました。

評者プロフィール:ライター・書評家。日々本を読んだり書いたり取材したり。最新刊『大人だって読みたい! 少女小説ガイド』(時事通信出版局)も好評発売中です。Twitter:@k_saga 

氷室冴子とその時代

氷室冴子とその時代