田山花袋本人がモデルとされ、私小説の祖ともいわれる『蒲団』。フェティッシュな面ばかり取り沙汰されるが、単に不倫妄想を描いた作品と評することには違和感がある。
主人公は、30代半ばを迎えた文学者・時雄。既婚者で子供も3人もうけたが妻とは倦怠期。仕事にも精が出せず日々悶々としている。そんな折、19歳の美しくハイカラな女学生・芳子が時雄に弟子入りしたいと懇願してくる。退屈な日々に突如舞い降りた麗しき女神。時雄はすっかり心を奪われてしまう。
違和感を覚えるのはここ、時雄と芳子の出会いの場面だ。鬱屈とした中年男の時雄と、キラキラ女学生の芳子の描写があまりに対照的なのだ。もし不倫で憂さ晴らしするなら、手近で手頃な、御しやすそうな女で済まそうとするはず。しかし、時雄の前に現れた芳子はどこかファンタジーで、時雄が向ける思いもまた偶像崇拝に近く感じる。そして気付いた。あ、これ、不倫の恋じゃなくて、アイドルに沼ったオタクだわ。評者もドルオタだからピンときた。なんだ、時雄(=花袋?)、こちら側の人間だったのか。
例えば時雄は最初、所詮文学をやろうなんて女は不器量に違いないと偏見を持つ。しかし、実際の芳子は通行人が振り返るほどの魅力的な容姿をしているし、文才もある。まるで「どうせ地下アイドルなんて…」とバカにしていたのに実際ライブで見たら「めちゃ歌上手い!ダンス上手い!何よりビジュがいい!」となってズブズブ沼るオタクそのものである。
さて、芳子を弟子として迎え入れた時雄は、すぐに手を出したりなんかせず、しっかり師匠として振る舞う。要するにええカッコしたいのである。文学について偉そうに講釈を垂れるのはまあいいが、さらに「明治の世の女たるものかくあるべし」ということまで言って聞かせるのだ。余計なお世話である。まるで特典会でアイドルに説教する厄介オタクそのもの。こういうオタクは実際存在して、評者の知人オタクA氏も「ライブの後は必ずダンスの出来について意見してあげてるんですよ!」と得意げに宣っている。鼻につくので最近距離を置くことにした。
話を戻して時雄と芳子だが、ついに時雄の心をかき乱す事件が起きる。芳子の男バレである。相手は芳子と同年代の学生・田中くん。当然時雄は嫉妬の炎を燃やすが、表向きは〈温情な保護者〉として2人の仲を応援する体でいる。 しかし実際は〈接吻の痕、性欲の痕が何処に顕れておりはせぬか〉、つまり肉体関係を持っていないか2人の手紙まで調べ出す始末。まるで好きなアイドルと共演者のインスタグラムを舐め回すようにチェックし、やれ匂わせだなんだと大騒ぎしたがる厄介オタクそのものである。
どこをどう考えても芳子の気持ちは田中くんにあるのだが、時雄は〈(自分と)語り合う胸の轟、相見る眼の光、その底には確かに凄じい暴風が潜んでいたのである〉と、芳子も自分を想っているかのように解釈する。そんな時雄の姿は、評者の知人オタクB氏に重なる。B氏は沼っていたアイドルYちゃんが男バレした際「もう現場行くのやめる。Yちゃんが俺の顔見たら、絶対泣くと思うから」と宣った。時雄といいB氏といい、どうしてそこまで妄想を肥大化できるのか。
芳子との別れを迎えた時雄は、いよいよあの「芳子の蒲団で残り香クンカクンカ」行動に移る。オタクがアイドルからオタ卒するときの儀式は様々だ。買い集めたグッズを切り刻むでもいい、数千枚のチェキを燃やすでもいい、時雄の場合、ただ傍に芳子の蒲団があった。それだけだ。
本作は私小説どころか、ドルオタ小説の祖として今こそ、令和の世に放たれるべきなのである。
2026年7月書評王:林亮子
カルチャー誌に載せる想定で書きました。主人公・時雄(花袋自身?)がもし今の世に転生したら、なかなか楽しいアイドルオタクライフをエンジョイするかもしれません。書評では厄介なオタクの話ばかり書いてしまいましたが、基本的にアイドルオタクの皆さんは優しくていい人たちです!いつも大変お世話になっております!













