書評王の島

池袋コミュニティ・カレッジで開講中の「書評の愉悦ブックレビュー」で王に選ばれた書評を紹介するブログです。

『アムラス』トーマス・ベルンハルト著 初見基・飯島雄太郎 訳

(嵐か鳥の羽ばたく音か重い扉の音。灯りに男1が浮かび上がる。同じ背格好の男2を背負っている)
ヴァルター、聞こえるか?ヴァルター。〈わたしたち〉は幽閉された。この塔の闇の中に。さあ、此処に座って。(男2を座らせる)鎧戸を開けて見るがいい。どうだ?〈奇形にされた林檎の樹〉が〈曲馬団の天幕〉が見えるか〈生存する不快感を催す人の群〉が!沈黙だ…。ああ、駄目だ駄目だ発作だ。お前の死病よ。〈ティロール癲癇〉は悪化するばかりだ。わかるか?案ずるな、此処はアムラスの闇を愛する叔父の塔の中だ。〈わたしたち〉は保護されている。
3の付く月の3の日〈わたしたち〉は謀り間違えた。父の事業の零落と母の死病とお前に遺伝した病。故郷ティロールの〈精神の高山性近親交配のなか〉に。充分な錠剤とグラス。〈1羽の死んだ猛禽が街路へ墜落した〉〈巨大化するばかりの鳥が〉〈絶望して辺りの壁にぶつかりながら〉。〈計画通り〉両親は死んだ。〈わたしたちは〉残った。〈一糸まとわず、馬用の毛布2枚と犬の毛皮に包まれ〉。自殺と自殺未遂の時間の差を誰かが喧しく言い立てている。案ずるな、そして怖気付け、ヴァルター。わたしは〈ヴァルターとわたし〉を此処に、この塔に幽閉する!
さあ、ヴァルター。此処へおいで。くん製肉を切ってやろう。怖いのか?この〈アウクスブルクの小刀〉が、小刀の煌めきが。ならば貯蔵庫の林檎を齧って、歌ってくれ。また沈黙だ…。お前の音楽の素養よ。天性の芸術的精神の鋭敏よ!今や音楽は絶え沈黙だけが全てを歌っている。さあ藁のベッドを転げまわり、1つ年下の〈1点のしみもない肌〉に。19歳の身体のそこかしこに。互いに損傷をあたえ、〈悦びのあまりわたしたちの衣服、わたしたちのズボン、わたしたちのシャツを引き裂いた〉。塔の中の濛々とした埃が全ての感覚の呼びかけに舞い上がり。朦朧状態朦朧状態、〈わたしたちは〉〈道化とその相棒だ〉〈人間の中で燃える曲馬団の天幕の像〉だ‥‥。〈自然科学的〉宇宙の充足だ!
ねえヴァルター。『行く』を読んだか?癲狂院に入ったカラーの代わりにエーラーと歩くことになった〈わたし〉。思考することやカラーが発狂した顛末についてエーラーは延々と話し続ける〈?とエーラーは言った〉〈?とエーラーは言った〉。徐々に〈カラーは言った〉とエーラーが言い出すから〈〈カラーは言った〉とエーラー言った〉と〈わたし〉語ることになる。人が思考することなどは、いつか誰かが思考したことに違いはない。癲狂院に行ったのが、エーラーでもわたしでも話しとしては成立はするはずなんだ。無論〈わたしたち〉でも。とても滑稽でとても怖い小説だよ。作家の名はトーマス・ベルンハルト!〈わたしたち〉を産み落とした奴め!ふん。
ねえ、ヴァルター。この塔には小さな頃、入ったことがあっただろう?この叔父さんの塔に…。ヴァルター、父さんと母さんの声だ。ほら、僕たちを呼んでいる。迎えに来たんだ。窓から見て。ああ、ヴァルターの誕生日の時みたいな声だ。見える?手を振っている?
〈何にもない!〉(男2が叫んだように)
…今、何て言った‥‥。
今、何て言った!ヴァルター!さあマントを被るんだ、すっぽりと。そして階段を上れ!1段目には〈癲癇電気椅子〉!お前の席だ上れ!その上にたくさんの顔。父と母と〈わたし〉と。ティロールの亡霊たちの墓を上って行け!その先の楽譜の束を、今はもうないお前の楽譜を踏みつけ曲馬団のリズムで進め!
塔の天辺に立つお前は。ヴァルター。鴉鴉鴉。鋭い嘴の、透明な目の、しなやかな漆黒の、鴉鴉。ティロールに影を落とす巨大な鳥の羽で飛べ!いや飛ぶな、待つな待て、行け!早く飛ばないか!飛べ飛べ飛べ!‥‥。
(人影が窓の向こうに弧を描く様に消え。溶解する灯りの中 )
ヴァルター!
〈そして鐘の音がひとつひとつ〉
〈どうしてぼくたちはまだ生きなければならないのか〉
―幕―
*ヴァルター役(男2)は人形を用いるのが望ましい。

(試みとしての ひとり芝居による書評)

2019年12月社長賞:成毛満千子

アムラスは兄弟の話です。書評では兄弟と言うキーワードは出しませんでした。その方が良い気がします。兄の一人称小説なのですが、もし弟のヴァルター目線で書かれていたら、まったく違う話になったんだろうなと思います。それがこの小説の素晴らしいところです。

アムラス

アムラス

「アベノマスク」になったガーゼにおすすめする3冊

 あなたたちが誕生したとき、どんな形に裁断・縫製され、どんな用途で誰のもとで過ごすのか、どこかわくわくしながらまだ見ぬ未来に思いを馳せていたのでしょうか。あまく撚った糸を粗めに平織りし、ふんわりと仕上げられ、誰かの傷を覆ったりデリケートな肌を保護したり、人々の生活にそっと寄り添うことのできる存在になりえるはずでした。
 赤ちゃんのおくるみや産着になる可能性もあったでしょう。2016年にアジア人初の国際ブッカー賞を受賞した韓国人作家ハン・ガンの『すべての、白いものたちの』は、〈白いものについて書こうと決めた〉で始まり、目録と称して〈おくるみ うぶぎ しお ゆき・・・〉と白いものが並べられます。粉雪が舞い降りるような静かな書き出しと、続く語り手の〈傷口に塗る白い軟膏と、そこにかぶせる白いガーゼのようなものが私には必要だったのだと〉という一文が何かに傷ついた人の痛みを予感させます。語り手の〈私〉は、ワルシャワにしばらく滞在する事になった韓国人女性。〈私〉の母が若い頃、丸いお餅の〈タルトックのように真っ白で美しかった赤ん坊〉を出産し、2時間で死んだと語られます。白い産着を着せて〈しなないでおねがい〉と娘に呼びかけ続けた母。かつてナチスにより破壊されたワルシャワの街と、2時間しか生きられなかった姉の運命を重ね、もし〈彼女〉が生きて、この街を歩いていたらどんな風にこの世界を見たのだろうかと、いくつもの白いものたちとともに語られます。
 あなたたちが配られる。誰もがエイプリルフールのネタだと思ったあの日、それは嘘のような本当の話でした。武田砂鉄著『わかりやすさの罪』では、わかりやすさが常に求められ、わかりにくいものが排除されることへの違和感と〈わかりやすく考えてみようよと強制してくる動きに搦め捕られないようにしよう〉という著者の抗いが綴られています。〈自分にわかりやすく見えているものだけが世界であるとする人たちが国を動かしているというのは、実に怖いことである〉。給食当番マスクのような佇まいとなったあなたたちを約4ヶ月間、意固地になって口元につけ続ける日本のトップの姿が確かにありました。
 全国に散らばったあなたたちは今、どうしていますか?〈この国から「おじさん」が消える〉の帯が印象的な松田青子著『持続可能な魂の利用』では、「おじさん」から少女たちが見えなくなり、少女たちは「おじさん」から常に見られる存在であることから解放されるというエピソードで始まります。「おじさん」はある年齢層の男性に限らず、若者にも女性にも存在する家父長制や男尊女卑的な思考を持つ人。男性優位の社会で、理不尽な理由により退職に追い込まれた30代の敬子は、この社会に違和感を覚えながら、ここ数十年、日本で主流の量産型アイドルのうち欅坂46を連想させるグループに出会い、笑顔が求められるアイドル業界にあって何かに抗うような目をしているセンター〈XX〉にハマります。どのグループも同じ一人の「おじさん」にプロデュースされていることを承知の上、のめりこみ〈「おじさん」が作ったこの社会の悪意にからめとられて〉しまわないよう、敬子は仲間と共にこの〈おっさん地獄〉に、ある方法で抗う決意をするのです。
 コロナ禍でのマスク不足で、とりあえず何でもいいから配布すれば国民は納得すると本気で「おじさん」が考えた結果があなたたちでした。マスクであるはずなのに巷では活用法が検討され、靴磨きにいいとか、お地蔵さんの着用によりほっこりアイテムになるだとか。『すべての、白いものたちの』に〈汚されることのない白いものが私たちの中にはゆらゆら揺れていて、だからあんな清潔なものを見るたびに、心が動くのだろうか?〉という一文があります。あなたたちは悪くない。あなたたちを携えて「おじさん」たちの罪を後世に語り継いでいかなければなりません。

2020年9月書評王:森田 純

間違ったら、躊躇なくスピード感を持って全身全霊で軌道修正できる人でありたいです。

すべての、白いものたちの

すべての、白いものたちの

わかりやすさの罪

わかりやすさの罪

持続可能な魂の利用

持続可能な魂の利用

『十二月の十日』ジョージ・ソーンダーズ著 岸本佐知子訳

司会:本日のディベートの論題は「人間の本性は善か悪か」。世の東西を問わず、誰も明確な答えが出せずにいる永遠のテーマですね。今回のルールとして議論を展開する際には、ソーンダーズの10篇の短編を収めた『十二月の十日』をテキストとして根拠を示すこととします。では、「人間の本性は悪だ」チームの立論からお願いします。
悪:本作品集冒頭に置かれた「ビクトリー・ラン」には、欲望の赴くまま14歳の美少女アリソンを襲う男〈露助(ルースキー)〉が登場し、「子犬」では、子犬を譲り受けに出かけた女性が、〈そこらじゅうのゴミ〉に埋もれたようなプアホワイトの家で、子どもがその母親によって〈ピーッ〉されているおぞましい光景を目にします。どちらの例でもなんのためらいも見せずに、まるで呼吸するかのように悪行に手を染めるのですから、人間の生来の気質は悪であると言わざるを得ません。
司会:ん?〈ピーッ〉は、「ホーム」の帰還兵マイキーの母親が、罵詈雑言系の言葉を自主規制するときに使っていた、あれですか?
悪:はい。うちのチームではネタバレ予防として使っています。
司会:わかりました。論拠の弱さを隠す目的とならないよう留意して、適宜使用することを認めます。それでは、次に「人間の本性は善である」チームの反対尋問を。
善:彼らには本当に何のためらいもなかったでしょうか。〈露助〉には、相当に抑圧された成育歴があったのではないですか?「子犬」の母親の行為は確かに児童福祉課が乗り出すケースですが、その動機にはよく耳を傾ける必要があるのではないでしょうか?
悪:むむ…(沈黙)。
司会:次に善チームの立論をお願いします。
善:「スパイダーヘッドからの逃走」で、怪しげな、そのくせ効果だけは絶大な数々の薬の治験者にさせられている服役中のジェフは、精神、身体共に破壊的なダメージをもたらす薬〈ダークサイドXTM〉を、同じく服役中の仲間に注入する承認権限を委ねられました。また、「センプリカ・ガール日記」の8歳の末娘エバは、移民を〈ピーッ〉する不気味な〈SG飾り〉の流行を受け入れられずにいました。ジェフは、そしてエバはどんな選択をしましたか?それは人間の本性が善だからこその選択だったと言えるのではないでしょうか。ソーンダーズ作品はこれまで「泣ける」とか、間違っても「ほっこり」などと評される作風ではありませんでしたが、自身初の長編で、2017年ブッカー賞を受賞した『リンカーンとさまよえる霊魂たち』では南北戦争の最中、幼い息子を亡くし悲嘆にくれるリンカーン大統領と各々の事情からこの世にとどまっている亡霊たちとの―
悪:待ってください!テキストは『十二月の十日』だけのはずです。
司会:善チームは気を付けてください。それでは最終弁論の時間です。まず善チーム、次に悪チームの順でお願いします。
善:表題作「十二月の十日」には、誰一人悪意のある奴は出てきません。〈プリンス・バリアント風の残念なおかっぱ頭〉で太目で妄想癖のある少年と、脳にできた腫瘍によって自身の精神が崩壊することを恐れる中年の男が凍れる湖で邂逅を果たしたとき、何が起きたでしょうか。私たちはやはり「人間の本性は善である」と結論付けざるを得ません。
悪:悪の種子は私たちの中に常にあります。前出「スパイダーヘッド―」のジェフは、その種子が開花するかどうかは〈神経学的素養と環境要因の精妙な掛け合わせ〉次第だと言いました。環境要因は変えることができます。人間の本性は悪ですが、その種子の存在を認めたうえで、開花させない仕組みを作ればいいのです。
司会:それでは判定の時間です。オーディエンスのみなさん、テキストをご参照のうえジャッジをお願いします。

2020年2月書評王:関根弥生
ディベートってちょっと胡散臭い。割り切れない数の端数を、無理やり切り上げて丸める感じがするからでしょうか。 

十二月の十日

十二月の十日

『息吹』テッド・チャン著/大森 望 訳

 わたくし読楽亭評之輔(どくらくていひょうのすけ)と申します。どうぞお見知りおきを願います。
 え~、ありがたいことにわたくしもお客様から「待ってました」なんてお声をいただくことがあるんですが、いやいや「待ってました」たぁ、こういうことだ!って本がこのほど出まして。それが〈当代最高の短編SF作家〉の呼び声高いテッド・チャンさんの『息吹』。なにしろ日本では2003年に初の短編集『あなたの人生の物語』が刊行されて以来、待ちも待ったり16年。ようやくの2冊目とあいなりました。
 ちなみに、エイリアンと言語学者の邂逅を描いた前作品集の表題作「あなたの―」は、2017年に「メッセージ」のタイトルで映画化されておりまして、SFファンのみならずジャンルを越えてチャンさんの名前を広く知らしめるきっかけとなった作品でございますので、ご存じの方もいらっしゃるかもしれません。
 ん?たった2冊で〈当代最高〉とは大げさじゃないか?これ訳者の大森望さんがあとがきに書いておられるんですがね、いえ心配はご無用。1967年生まれのチャンさんですが、1990年に天へ向けて築かれる伝説の塔を坑夫の視点で描いた「バビロンの塔」でデビューを飾って以来、サイエンス・ライターとの二足の草鞋を履き続けておられまして、これまでに発表されたのはわずかに中短編計18篇のみ。にもかかわらずネビュラ賞ヒューゴー賞、英国SF協会賞、星雲賞SFマガジン読者賞等々、両手両足の指を使っても足りないくらいの堂々の受賞歴。その筆力は各方面から折り紙付きなのでございます。
 SFって前提になる理論がわからないとつまらない、とおっしゃる向きも心配ご無用。前作品集もそうでしたが、本作品集でも巻末にチャンさんと訳者による丁寧な作品解説が付されていますので、執筆の契機など興味深いエピソードも楽しみつつ、設定への理解を深める一助となってくれるはず。
 此度の『息吹』に収められたのは9篇。「もし“あのとき”こうしていればその先の未来(=現在)は変わる」ことを前提として書かれたのがいわゆる〈歴史改変SF〉ですが、それを根底から覆す〈未来を変えることはできない〉過去への切ないタイムトラベルを『千夜一夜物語』になぞらえて語る「商人と錬金術師の門」。みなさまご存じのように、落語の「死神」という演目に人の命の火がろうそくに灯されている場面がございますが、このろうそくの長さを知ってもなお人はその結末に向かって歩いていくことができるのか、と問いかけられるのです。
 デジタル生物〈ディジエント〉の年代記を通してAIへの教育と人間との関係性が描かれる「ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル」。黙々と掃除するRoombaを「愛い奴」と感じてせっせとごみを吐き出させてケアをする最近のわたくしには非常に近しい未来でございます。
 子どもの頃のケンカでは「いつ言った?何時何分何秒!?」なんて言いあったものですが、全ての行動が〈デジタル記憶〉によって記録され、それに答えることも可能となる「偽りのない事実、偽りのない気持ち」の世界。記憶とは何か、正確性と引き換えにされるものは何なのか。科学やテクノロジーは人との関係性の中にあってこそ。科学の在り方を描くことは人を描くことに他ならないのだと思います。
 とにもかくにも、9篇いずれも16年分の期待を裏切らない逸品揃いであることは間違いなし。
 日本人で初めてノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士は、子どもたちに向けた「詩と科学」の中で、一見対極にあるように見えるこの両者が実は近しく、〈二つの道はときどき思いがけなく交差することさえあるのである〉と書いているのですが、テッド・チャンさんはその見事な〈交差〉を描いて魅せてくれる稀有な作家と言えましょう。

2020年1月ゲスト賞:関根弥生

春風亭一之輔さんの落語を聴きにいきました。とても、とても面白かったです。

息吹

息吹

『黄金列車』佐藤亜紀著

 巷で〝公務員″といえば、官僚主義・縦割り・非効率等々のネガティブワードとがっちりスクラムを組んでいるのが常である。いや、待たれよ!肩を落とすのはまだ早い。緻密なプロットと圧倒的な筆力で知られる佐藤亜紀が、史実を基にして戦時下の官僚たちの奮闘を描いた最新作『黄金列車』には、そんな負のイメージを払拭する〝公務員″が登場するのだ。 

 舞台は第二次世界大戦末期のハンガリー。目の前に連合軍、背後にはロシア軍が迫り、もはや誰の目にも敗戦が明らかになった1944年12月、政府はユダヤ人から没収した財宝を退避させるべく、首都ブタペシュトからオーストリアへ向かう〈黄金列車〉を秘密裏に仕立てる。各地で容赦なく奪われた金塊、金貨、宝石類に時計、陶器、燭台、絨毯から結婚指輪、下着、金歯に至るまでユダヤ人たちの生活を形づくっていたありとあらゆるものが集められ、査定され分類されて貨車に積み込まれる。その運行と財宝の管理を任されたのが〈ユダヤ資産管理委員会〉の官僚たちだった。

 自国の道義は〈とっくの昔に破綻している〉うえ、保身と私腹を肥やすことしか頭にない委員長トルディ大佐の指揮下におかれ窮地に立たされた部下たちは、〈倫理と職務の板挟み〉になりながらも一路オーストリアを目指す。

 次長のアヴァルはまだ若く物腰柔らかだが、度胸の据わった激戦地の元市長だ。省庁の裏も表も知り尽くし、ふてぶてしさを湛える参事官のミンゴヴィッツ。一流のタイプの腕を持つクールなナプコリ。そして大蔵省勤続30年で現場を担当するバログ。彼らは銃や大砲ではなく、法規の知識や詳細なリスト作成、内部決裁等の煩雑な事務手続き、そして必要とあらば賄賂を握らせることも辞さない肉を斬らせて骨を断つ交渉術などを武器に、道中の数々のトラブルや財宝を狙う襲撃、恫喝(今で言うところの〝不当要求″)等々をかわしていく。

 そのうえ列車には貨物のみならず、やっかいな政府高官らや幼い子どもを含む家族も同乗しており、総勢180余名の部屋割りから食事の確保、停車地での宿の手配など膨大な雑務もこなすのだ。我々も災害時の避難所対応などを想定すれば、戦乱の中でそれがどれほどの困難を伴う業務であったか容易に想像できるだろう。

 バログの視点で綴られる本作は、いわゆる職業小説や痛快な冒険譚とも読めるが、しかしそれだけではない。オーストリアを目指す逃避行と並走するようにもう一つの物語が語られるのだ。5か月前、バログの妻カタリンは自宅アパートの窓から転落して亡くなった。事故か、それとも。間断なく流れ込んでくる記憶によって、読者は彼の〈頭がおかしくなるのではないかと不安になるほどの悲しみ〉を共有することになる。カタリンとの出会い、プロポーズ。週末のピクニック。カタリンの友人マルギットと結婚したユダヤ人の同僚ヴァイスラーの〈鷹揚な気持ちのいい笑顔〉。転居するはずだった瀟洒な庭のついたヴィラ。これまでに喪ってきたものを一つひとつたどるうちに、バログはある結論にたどり着く。

 政治哲学者ハンナ・アーレントは、ホロコーストを推進した責任者アイヒマンの裁判を通じて、思考することを放棄し、組織の歯車と化すことで誰もが容易に巨悪に加担してしまう恐ろしさを指して〈悪の凡庸さ〉と評したが、バログたちはそれと好対照をなすのだ。彼らは考えることを手放さない。法律は誰のためにあるのか。人々の幸せを守るためのものではなかったのか。平穏な生活を、友人を、家族を、未来を、仮借なく奪い去る戦争の虚しさを前にしてもなお、国に、法に仕える自分たちの仕事の根源的な意味を問い続けるのだ。

 最後にバログが出した結論とは何であったのか。すべての公務員必読の書である。 

2019年12月書評王:関根弥生

公務員向け雑誌を想定媒体にして書きました。

 黄金列車

黄金列車

  • 作者:佐藤 亜紀
  • 発売日: 2019/10/31
  • メディア: 単行本

【作家紹介シリーズ】山口晃

 「天は二物を与えず」なんぞといいますが、いえいえ、二物を与えられた人というのはやっぱりいるもので、画家の山口晃氏もそのひとりと言えましょう。
 大和絵を思わせる伝統的な手法で人や建築物を緻密に描き、同じカンヴァスにお侍とサラリーマンが縦横無尽に息づくなど時空を飛び越える作風で知られる山口画伯。名前は知らずとも今年のNHK大河ドラマ『いだてん』のタイトルバックや、成田国際空港の出発ロビーでその作品を目にしているかたも多いはず。読書子には三浦しをん著『風が強く吹いている』の表紙絵といった方がピンとくるでしょうか。
 来たる東京2020パラリンピックの公式アートポスターの制作者にも名を連ねるなど、画業での実力、人気とも抜群な山口画伯に備わったもう一つの才能、それは〝書くこと″。というわけで今回は、画集以外の作品により山口画伯を作家としてご紹介しようという趣向なんであります。
 数々の有名日本画を俎上に載せて日本美術の迷走ぶりやヘンテコさも含め、その面白さ豊かさを読み解いた『ヘンな日本美術史』での画伯の感想は至極率直。初めて見たときはペラペラで〈がっかりした〉「伝源頼朝像」。〈画聖〉と呼ばれた雪舟の「慧可断碑図(えかだんぴず)」に至っては、詳細に描き込まれた洞窟に対し、その中で座る禅宗の始祖達磨の輪郭のあまりにシンプルな線に対し〈莫迦っぽい〉とまで。しかし、何故そう見えるのかを丁寧に解きほぐし〈全く異なる解像度の組み合わせ〉であることや雪舟の秘められた意図までも明らかにしてくれるのです。偉ぶることなく語られるその理論は、「え、これが国宝?」という全くの門外漢が読んでも思わず膝を打つこと間違いなし。それも実作者として自身の手で描くことで会得してきた感覚を言語化し、書き伝えることができる稀有な芸術家なればこそ。日本語表現が豊かな評論・エッセイに贈られる小林秀雄賞を受賞したのはさもありなん、なのです。
 細面にヒゲで〈出稼ぎのイラン人〉に間違えられたことがあるという、ちょっと気難しそうにも見える山口画伯ですが、いたって穏やかなご性格らしく、近現代建築史のオーソリティ藤森照信センセイとともに、茶室の原型である「待庵」や比叡山麓の広大な別荘「修学院離宮」など各地の名建築を見に出かける『日本建築集中講義』では、センセイの自由奔放な振る舞い(格式高い茶室で寝そべる・ガイドの話を素通りなど多々)にハラハラが止まらず。視点が異なるふたりの対談の充実度もさることながら、毎回添えられる画伯のスケッチからアタフタぶりが漏れ伝わってくるのもまた一興。このふたりのタッグは『探検!東京国立博物館』でも健在です。 
 しかし、実は藤森センセイ以上に画伯をアタフタさせる存在が。画伯の日常を綴るエッセー漫画『すずしろ日記』に最多出場を果たすその人は、画伯とは東京藝術大学の同窓でギャラリストの〈カミさん〉。〈おい、ヒゲ!〉と画伯を呼ぶ〈カミさん〉との愛に満ちた掛け合いが何とも味わい深い。
 コマ割りからタイトル、コマ内をびっしりと埋める文章に至るまで全て手書きの『すずしろ日記』は、妄想の〈鼻持ちならない贅沢な絵描きの生活〉と現実を展覧会用に制作した作品がもととなり、その後、東京大学のPR誌『up』で連載がスタートし現在に至ったもの。群馬県桐生市で過ごした幼少期、バキュームカーに夢中だった思い出(壱巻第6回)や、ラジオ愛炸裂でいつにもまして字がびっしりの「ラヂオの現場見学記」(参巻)など巧まざるユーモアを湛えた文章と画が実にいいのです。これはやはり画は画の仕事を、文字は文字の仕事を果たしているからこそと思い至った次第。画伯が二つの天賦の才を自在に操る様を心ゆくまでご堪能あれ。チャオ!(←『すずしろ日記』で画伯がよく使う締めの言葉)

2019年11月書評王:関根弥生
山口画伯の東京2020パラリンピック公式アートポスター「馬からやヲ射る」。観に行きたいです。

ヘンな日本美術史

ヘンな日本美術史

  • 作者:山口 晃
  • 発売日: 2012/11/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
藤森照信×山口晃 日本建築集中講義

藤森照信×山口晃 日本建築集中講義

藤森照信×山口 晃  探検!  東京国立博物館

藤森照信×山口 晃 探検! 東京国立博物館

すゞしろ日記

すゞしろ日記

  • 発売日: 2009/08/01
  • メディア: 単行本

『モンスーン』ピョン・ヘヨン著/姜 信子 訳

 日本で言えば芥川賞に当たる、李箱(イサン)文学賞など数々の文学賞に輝き、韓国若手作家の旗手のひとりであるピョン・ヘヨンが、日常の中に秘かに仕掛けられた曖昧な分岐点を越えてしまった人々を描いた9篇。邦訳3作目となる短編集だ。
 表題作の「モンスーン」は、生後間もない我が子を亡くした夫婦テオとユジンの物語。愚かな過失か、それとも故意か。互いを責めることで自身を苛む罪悪感から目を逸らすふたり。工事停電で暗闇に沈む団地を眺めてテオは、光に溢れ〈歓びに満ちていた時間〉が完全に過ぎ去ったことを悟るのだ。
 赤ん坊の存在は、幸せや日常の脆さを象徴するように物語の緊迫感を加速させる。「散歩」の主人公が出産間近な妻を伴って転勤した先で紹介された住まいは、巨大な犬がいる109番地を通り抜けなければたどり着けない奇妙な家だった。犬に怯え神経過敏になってゆく妻に陣痛が訪れた夜、主人公はある決意を秘めて犬を連れ出すが、思惑を超えた事態に陥ってしまう。
 「クリーム色のソファの部屋」では、地方勤務を終えたジンが年若い妻と赤ん坊と一緒にソウルに向かう途中、道に迷ったうえ地元の若者と諍いを起こす。立ち往生する車。激しい雨。泣き止まない赤ん坊。そこに引越業者から、ソウルでの生活に期待を込めて選んだソファのサイズが合わず新居に入らないと電話があり、ジンの苛立ちは最高潮に達する。
 著者の初邦訳短編集『アオイガーデン』では、血が滴り腐臭漂うディストピアが描かれ、続く『ホール』は、事故で瞼と左手以外不随になった男の味わう恐怖がじっとりと迫る長編だった。前2作に比べれば、本作品集は血液量も臭いもかなり控えめ。それでも地方都市の無機質なオフィスで、社宅で、工場で、友人の家で、主人公たちが感じる得体の知れない不穏な気配に戦慄が走り肌は粟立つのだ。
 「観光バスに乗られますか?」のKとSは、上司から指示を受け、中身のわからない重くて嫌な臭いがする袋を運んで行く。ふたりが乗ったバスは果たしてどこへたどり着くのか。「夜の求愛」でも長距離の移動は凶とでる。380キロ離れた都市へ葬儀の花輪を届けに行ったキムは、そこで無為に恩人の死を待つ羽目になるのだ。
 「ウサギの墓」の〈彼〉は、派遣先の都市で誰にも必要とされない資料を作り続ける。そこで起きた無差別殺人の犯人が同じ社宅に住んでいる可能性に気付き、疑心暗鬼に陥る〈彼〉をウサギの赤い目がじっと見つめる。
 大学の構内で複写室を営む男は、昨日をコピーして今日に貼り付けたような毎日を送り(「同一の昼食」)、工場長が失踪したカンヅメ工場の従業員パクは、同じことがただ繰り返され、〈体が機械の一部になってゆく〉ことにむしろ喜びを見出してゆく(「カンヅメ工場」)。”日常″は膠着や停滞に囚われた彼らの檻となり、脱出を図っても見えざる手でひょいと不条理の世界に放り込まれ、閉塞感と焦燥に焙られるのだ。
 2014年、高校生を含む多くの犠牲者をだしたセウォル号の沈没事故は世界に衝撃を与え、韓国文学界においてもエポックメイキングな事件となった。ピョン・ヘヨンも例外ではなく、本作品集の最後に置かれた「少年易老」は事故当時に執筆中で「少年の一人が死を迎える話だったが、結末を変えた。誰も殺したくなかった」と、後にインタビューで語っている。
 沈没の原因は操船のミスだけでなく過積載や整備不良にもあり、利益を優先するためそれらが常態化するのを容認してきた韓国社会もまた糾弾された。所収の9篇のうち「少年易老」以外の作品は、2008年から2013年にかけて書かれているが、大きな破綻を予感させるかのように、人々が社会のシステムに囚われることの恐ろしさを炙り出しているのだ。韓国文学界を牽引するピョン・ヘヨンが次は何を突き付けてくるのか。刮目必至である。

2019年10月書評王:関根弥生

この書評講座で、韓国文学の面白さに開眼しました。

モンスーン (エクス・リブリス)

モンスーン (エクス・リブリス)