書評王の島

トヨザキ社長こと豊崎由美さんが講師をつとめる書評講座で、書評王に選ばれた原稿を紹介するブログです。

『ラウリ・クースクを探して』宮内悠介著

 優れた建築家が自然の地形を生かして美しい建物を建てるように、世界の歴史と現実を土台に見事な虚構を組み立てるのが宮内悠介という作家だ。『あとは野となれ大和撫子』(2017)では、環境破壊によって干上がった中央アジアの湖の上に架空の国を興し、少女たちが政治の舵取りをする活劇を展開した。『遠い他国でひょんと死ぬるや』(2020)では、フィリピンを舞台に民族紛争・宗教対立・テロなどさまざまな問題を取り込みつつ、竹内浩三という実在の詩人の足跡をたどることで太平洋戦争の記憶を掘り起こした。新作『ラウリ・クースクを探して』が足場とするのはバルト三国のうちのひとつ、旧ソ連から独立し、近年では電子政府の先進事例が注目されている人口130万人の小国、エストニアだ。
 ソ連時代、1977年にのちにエストニア共和国首都となるタリン近郊の村に生まれたラウリ・クースクは、幼少期から数字だけに強い興味を示す子どもだった。学校に入学しても仲間はずれ状態だったのだが、教室にКУВТ(KUVT)という電子計算機がやってきたとき、彼の運命が大きく変わる。
 冷戦期、規制により西側の高性能計算機を輸入できないソ連は、代わりにホビー用の8ビット機を輸入し、コピーして、さまざまな分野で、宇宙開発にさえ活用した。КУВТはヤマハ製のMSX機・YIS503のローカライズ品で、約7000台が輸入され、90年代初めまで学校で使われたという。機械技師の父が手に入れたTRS-80という計算機にすでに親しんでいたラウリは、先生からもプログラムの才能を認められ、КУВТで次々と自作のゲームをつくるようになる。作品はコンペティションにも出され、3等になった。メダルもうれしかったが、ラウリは1等作品の星空のスクロールに、そのプログラム的美しさに心を奪われる。作者はレニングラード在住のイヴァン・イヴァーノフ・クルグロフ。ラウリと同じ十歳の少年だった。
 ラウリとイヴァンはのちに運命的な出会いを果たす。進学先でカーテャという同い年の女子生徒も加わり、何をするのも一緒というチームとなった3人。初めて自分の居場所を見つけたラウリは精力的にプログラミングに取り組み、イヴァンとКУВТのコンペティションで競い合う。ところがソ連から独立しようとするエストニアの政治運動が、やがて3人の関係に大きな亀裂をもたらして――。
 本作の語り手はラウリではない。物語の大枠は、エストニア人の通訳をつれた「わたし」による手記だ。彼は現在時点にいて、過去のラウリを知る人を取材し、伝記を書こうとしている。この工夫によって、読み手はラウリという人物が歴史の中に実在したかのような錯覚に陥る。語り手は一体何者なのか、そしてラウリにたどり着くことができるのか。宮内は謎をたくみに配置して、本書を成長小説としても、青春小説としても、一種のミステリーとしても読めるように仕組んでいる。
 2002年から電子IDカードの発行を始めたエストニア。現在では国民のIDカード保有率は98%を超え、あらゆる行政手続きが電子化されている。どうしてそれが可能になったのか。ラウリにКУВТを使う許可を与え、卒業したのちも励まし続けたライライという教授が同国独立以来の理念を訴える。「この国は小さく、隣にはロシアがある。いつまた占領されるかもわからない」しかし「領土を失っても、国と国民のデータさえあれば、いつでも、どこからでも国は再興できる」「わたしたちは、情報空間に不死を作る」と宣言するのだ。独立を維持するため領土にこだわらず、電子で国民をつなぐことに注力してきたエストニアという国の覚悟が、本作の背骨にある。
 コンピュータに魅せられ、プログラミングを通じて友情を育み、歴史の荒波に翻弄されたひとりの人間を描くことで、世界の来し方行く末に思いを至らせる。宮内が虚構の土台として描き出す「現実」の豊かさとスケールに、いつもながら脱帽するのである。

※MSX機:子供に買い与えられる安価なコンピュータとして構想された、米マイクロソフト社と日本のアスキー社による共通規格「MSX」(1983年)に準拠した電子計算機。当時はパソコンではなくマイコンが一般名称。

2023年9月書評王:山口裕之

あぁ、懐かしのMSX。当時MZ-700というグラフィックメモリのないマイコンユーザーだった自分としては、うらやましい機体でした。字数制限のなかで、どうしても削りたくなかったのは「YIS503」「TRS-80」という機種名です。