書評王の島

トヨザキ社長こと豊崎由美さんが講師をつとめる書評講座で、書評王に選ばれた原稿を紹介するブログです。

【作家紹介シリーズ】石田夏穂

 デビュー作『我が友、スミス』(2021年)で第166回、2023年『我が手の太陽』で第169回芥川賞候補となった石田夏穂。1991年埼玉県生まれ、東京工業大学工学部卒。プラント建設会社の社員としての顔もある。今回、惜しくも受賞はならなかったが、私はこの作家を信頼している。相性がいいといってもいい。賞を取るかどうかはわからないが、今後もいい作品を書いてくれるだろうと思うのだ。
 石田作品でまず目を引くのは、ディテールの描写力だ。『我が友、スミス』は会社員の女性がボディビルにはまっていくという内容だが、読者の多くには馴染みのないだろう業界独特の環境、慣習、思考様式といった「異世界描写」が非常に巧みで、スルスルと作品に入り込んでいける。『我が手の太陽』では主人公である溶接工の手元の作業や、安全のために職業倫理として求められる行動が、緻密にストーリーに組み込まれている。
 描写は具体的で、端的だ。〈身体は、いちばん正直な他人だ。身体を酷使することによる思考のシャットダウン。私は日に日に強靱になっていく身体は元より、この真空地帯に淫したのだった〉(『我が友、スミス』)、〈配管溶接ではまずこの開先と呼ばれる配管の縁を、溶接できる状態まで加工する必要がある。具体的には「V形」にする必要があり、こうすると配管の内部まで入熱しやすくなるのだ。炒める前にソーセージに切り込みを入れるようなものだ〉(『我が手の太陽』)といった具合。言葉の選び方にもセンスがある。スミスマシン(軌道が固定されているタイプのバーベル・マシン)のような筋トレ界の用語、スパッタ(火花として飛び散る金属屑)やキュウクロ(クロム9%含有の鋼材)といった溶接業界用語など、その世界の空気を濃密に含んでいる言葉を作品内に上手に取り込み、かつ注に逃げずに本文で説明する。それが、読みやすさとテンポのよさに貢献している。
 文章にユーモアがあるのもいい。とくに笑える作品といえば『ケチる貴方』だ。語り手は重度の冷え性の女性で、人にはわかってもらえないがなかなかハードモードな人生を送っている。シャワーを浴びる際にも〈冷水の間、素っ裸の私は片手にシャワーヘッドを持ちながら自分から限界まで遠ざけるという妙な体勢になっている。毒蛇を捕まえたから、早く籠を持ってこいと言わんばかりだ〉だし、〈食事は温活の中核とされるが、その心はものを食べると食事誘発性熱産生なる戒名じみた現象が発生するからだ。が、星五つの激辛カレーを食べても私は辛い辛いと苦しむだけで、汗の一つもかかない〉といった描写にも、自分を客観視できる人のボケというか、真顔で冗談を言うタイプのおかしみがある。
 石田のこれまでの作品の主人公には、なにがしか「ゆずれないもの」がある。ボディビルの大会で「女らしさ」を要求され、審査されることに納得できない私(『我が友、スミス』)。劇的に冷え性を改善する方法を発見したのに、どうしても超えられない一線がある私(『ケチる貴方』)。太い脚が何よりのコンプレックスで、収入のすべてを費やして脂肪吸引を繰り返す私(「その周囲、五十八センチ」(※))。理不尽な理由で人事部に自分を異動させた会社への復讐のため、新卒採用の基準にとあるルールを厳しく適用する私(『黄金比の縁』)。初の男性主人公となる『我が手の太陽』では、溶接工としての腕に誇りを持ち、自分の職能を自分の価値そのものだと信じている男が、その信念ゆえにアイデンティティの危機を迎える。共通するのは、どこか真面目で、融通が利かない、ごまかして生きていくのが上手じゃないやつらだということ。だからこそ「ゆずれないもの」があるのだ。この作家への信頼は、自分もまた同様に不器用なやつら界の一員だという自覚があるからかもしれない。石田夏穂なら、生きづらい世の中を懸命に生きる仲間を、これからも描いてくれるに違いないと思っているのだ。

 

 

(※)「その周囲、五十八センチ」収録

 

 

2023年8月書評王:山口裕之
サマソニ大阪に初参戦してきました。暑かった。死ぬかと思った。でも、「この場に立ち会った」みたいな達成感がやっぱたまらんですね。