書評王の島

トヨザキ社長こと豊崎由美さんが講師をつとめる書評講座で、書評王に選ばれた原稿を紹介するブログです。

『鉄道小説』乗代雄介/温又柔/澤村伊智/滝口悠生/能町みね子

 短編小説に与えられる今年の川端康成賞が滝口悠生の「反対方向行き」に決まった。今はもうこの世にはいない祖父・竹春の家がある宇都宮に向かうために、渋谷駅から湘南新宿ラインに乗り込んだ三〇代の女性・なつめ。しかしその電車の行き先は反対方向の小田原で、途中で間違いに気づいたなつめは、それでも降りようとせず、南へと進むに身を任せる。その間、彼女の脳裏には竹春をはじめとする家族とのあれこれの記憶が甦ってくるのだった。
 ということでこの作品は、二〇一三年に雑誌「新潮」に発表され、最初の作品集の表題作となった「寝相」の続編なのである。「寝相」は二十七歳のなつめが、宇都宮の自宅でボヤ騒ぎを起こした竹春を引き取るような形で、東京での二人の同居生活が始まる話だった。そして今ではなつめは四〇に手が届く歳になって夫もいれば娘もいて、竹春が他界してから七年の時間が流れていた。
 作者は鉄道にちなんだ短編を依頼され、湘南新宿ラインを題材にすることを思いついた。それでまずは実際に乗ってみようと小田原行きに乗り込んだら、逆方向の宇都宮方面に住んでいる知り合いのような感覚で、「寝相」の登場人物たちを思い出したのだという。首都圏の人間ならわかると思うが、湘南新宿ラインは走行距離がものすごく長い。車内で物思いにふける時間はたくさんある。ランダムに紐解かれる記憶は時間の壁を越えてすべてが並列化し、自由でユーモラスで少々問題も抱えている家族たちが、なつめの頭の中で活き活きと動き回る。これぞ滝口作品という時間と人の描かれ方がここにもある。
 「反対方向行き」の初出は文芸誌ではなく、アンソロジーだ。『鉄道小説』というタイトルで、滝口ほか、乗代雄介、温又柔、澤村伊智、能町みね子が短編を書き下ろした。版元は時刻表や雑誌「旅の手帖」を発行している交通新聞社。鉄道開業一五〇年を記念した「鉄道文芸プロジェクト」の一環として、昨年十月に刊行された。
 乗代雄介の「犬馬と鎌ケ谷大仏」は新京成線鎌ヶ谷大仏駅近くに住む二十代の男性と年老いた飼い犬を主人公にした、電車に乗る場面のない鉄道小説。彼らの散歩の遍歴が、新京成線と沿線の街の成り立ちに重なっていく。千葉県の西側を縦断する新京成線は、旧陸軍の鉄道部隊が訓練で敷いた線路がルーツという変わった成り立ちの路線だ。
 温又柔の「ぼくと母の国々」は作者が以前暮らした山手線の恵比寿駅周辺を舞台に、台湾と日本というこの人ならではのテーマを鉄道に絡めて書いていく。澤村伊智の「行かなかった遊園地と非心霊写真」は阪急電鉄宝塚線沿線を舞台にしたホラー仕立ての作品だ。
 滝口の「反対方向行き」はこれら三作に続いて掲載されていて、この流れで読むと鉄道小説としての味わいが濃くなり、作中に登場する交通新聞社の時刻表の印象も強まった。
 そして最後の能町みね子「青森トラム」が一番の労作だった。東京生まれの若い女性・亜由葉が青森に住む漫画家の伯母・華子の家に居候し、新しい土地で〈自分探し〉をする話で新味には欠けるが、作者はこの作品のために現実にはないトラム(路面電車)と市営地下鉄を生み出し、青森市の歴史も創作して、札幌を越える人口を持ち先進的な文化を花開かせた大都市に仕立て上げた。一日乗車券を手にトラムに乗り込む亜由葉とともに、一種のユートピアとして描かれる青森の街を巡るだけで楽しい作品だ。
 交通新聞社が手掛けるサイト「トレたび」には各作者のインタビューが掲載され、本書を味わう格好の手引きとなっている。唯一、能町だけは空想地図作家の今和泉隆行との対談で、しかも全四回という長さ。二人は「青森トラム」における青森市の細密な空想地図を完成させていく。
 鉄道は小説の書き手の想像力をどのように刺激するか。その良質な答えがここに。

2023年5月書評王:鈴木隆

『鉄道小説』の単行本は箱入りで、しかも箱の中央が四角に切り抜かれているのです。それは電車の車窓をイメージしたとのこと。版元の気合いがめちゃめちゃ入っていて、ちょっとお高いのですが、買ってよかったなと思った本でした。書評王も久々で嬉しいです。