お馴染み、読楽亭評之輔でございます。
え~〈子は鎹(かすがい)〉なぞと申します。鎹ってのはDIYが趣味の方はご存じでしょうが、木材と木材を繋ぎとめるのに使う、コの字型の釘でございますな。
古典落語の演目「子は鎹」は、腕はいいが酒癖の悪い大工の熊に、カミさんが愛想を尽かして息子を連れて出て行っちまった後、改心した熊の奴がピタッと酒を止めて真面目に働くこと3年。偶然息子に再会したのを幸い、カミさんの状況をあれこれ聞き出し、めでたく元の鞘に収まったって人情噺なんですがね。でもねぇ、いろんな鎹の形があるんでしょうが、その役回りを子どもに被せるな、大人の始末は大人がつけろ、と言いたくなるわけなんでございます。
と申しますのも、此度ご紹介いたします『われら闇より天を見る』の、主な視点人物の一人である勇敢な少女が背負わされる、その荷のまぁ重いことといったら。
物語の舞台は、アメリカはカリフォルニア州ケープ・ヘイヴン。夏の間は絶景に魅せられた別荘族が押しかけるものの、それ以外は閑散として、住民は昔からの知り合いばかりという小さな町。ここで30年前、7歳の少女シシ―が命を落とし、シシ―の姉で当時15歳のスターが付き合っていた同級生ヴィンセントが逮捕されるという事件が起きたのでございます。
逮捕の決め手となったのが、ヴィンセントの親友で、現在はこの町の警察署長を務めるウォークの証言。以来彼は、他の道はなかったのかと己を責め続け、一方スターは、誰にもその父親の名を明かさぬまま、13歳の娘ダッチェスと5歳の息子ロビンをシングルマザーとしてなんとか育ててはいるものの、薬とアルコールが手放せない危うい日々を送っています。
ウォークとスター、そしてヴィンセントにとって、15歳だったあの日世界が暗転し、〈未来を弾き飛ばされて〉時が止まったままなのです。
そんな中で、母親譲りの美しく華奢な容姿ながら、もつれた髪と綻びの目立つ服を纏って孤軍奮闘するダッチェス。度を越した飲酒で意識を失ったスターのためには救急車を呼び、溺愛する弟を守るためなら、底意地の悪いことを仕掛けてくる奴ぁ容赦なく叩きのめしてやるんでございますよ。
自分の家庭環境が〈普通〉ではないことに、とっくに気づいている彼女の矜持をかろうじて支えているのは、母方の先祖に、銀行強盗でありながら手下達を家族のように養ったてぇ見上げた義賊、恐れを知らない無法者がいたという事実のみ。だから彼女は事あるごとに〈あたしは無法者のダッチェス・デイ・ラドリー〉だと名乗るのです。自身を奮い立たせ、配られてしまった〈勝ち目のない手〉をひっくり返そうとするように。これだけが自分を現実に繋ぎとめる鎹なのだというように。
しかし、ヴィンセントが刑期を終え町に帰ってきたのを機に、止まっていた時計が再び動き出すと、そこからはもう悪手に次ぐ悪手、悲劇のドミノ倒しが始まるのでございます。
著者のクリス・ウィタカ―さんは、前作『消えた子供』*1でも3歳の子どもの失踪事件を通して、封印された想いや贖罪など、見かけ通りのはずがない人間の本質を描き出し、2017年英国推理作家協会賞最優秀新人賞を射止めました。
そして、本作では前作とも通底するテーマをより深く鮮やかに抉ってみせ、2021年英国推理作家協会賞最優秀長篇賞を受賞、日本では「このミステリーがすごい!2023年版」*2を始め、名だたるミステリランキングを総なめにしたわけでございます。
これはジュブナイル小説としても出色ですが、やはりミステリの神髄である〝Who done it?″についても高く評価されたからこその快挙でございましょう。登場人物各々にとって、現実に繋ぎとめる鎹となったものは何であったのか、考え合わせながら読むのもまた一興なんでございます。お後がよろしいようで。
*1『消えた子供-トールオークスの秘密-』クリス・ウィタカ―著 峯村利哉訳
集英社文庫 2018年
*2「このミステリーがすごい!2023年版」宝島社
2023年5月ゲスト賞:関根弥生
読書(特に海外文学)好きの落語家が、寄席演芸専門誌の書評欄に連載しているという設定で書いています。ミステリにも古典芸能にも造詣の深い杉江松恋さんのゲスト賞は、まさに僥倖。精進いたします。