書評王の島

トヨザキ社長こと豊崎由美さんが講師をつとめる書評講座で、書評王に選ばれた原稿を紹介するブログです。

乳がんになった人にもなっていない人にもお薦めしたい3冊

 20年ほど前、38歳で乳がんを患った。右乳房の切除と同時再建、半年の抗がん剤治療後は再発、転移なく安泰に過ごしている。
 乳がんは罹患者が多いが生存率も高い。ただし術後10年は転移の可能性があるし、遠隔転移が見つかると完治は難しい。総じて穏やかながんだが長期間死の可能性とつきあわなくてはいけないのが怖い。そんな病気と他の患者がどう対峙してきたかにも興味はあって、乳がんに関わる書籍は多く手に取った。そうして読んだ中から3冊お薦めしよう。
 『歌に私は泣くだらう』の著者は歌人で細胞生物学者永田和宏。妻で歌人河野裕子が2010年に乳がんで亡くなるまでの10年間の闘病記だ。随所に配されたふたりの短歌には痛切な感情が込められる。死の前日に河野が詠んだ最後の一首を引いてみよう。
 手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が
 病の間もずっと歌とともにあった河野。精神の均衡を崩し、永田にその頃の私にとって、島尾敏雄の『死の棘』ほど身につまされる小説はなかった〉と言わせるほど夫を攻撃した河野。ゆっくりと精神状態が回復した後、転移から死に至るまでの2年。まさに波乱万丈のドラマだ。妻を愛し、見守り続けた永田の身を切るような渾身の一冊は、多くの読者を得て文庫化され版を重ねている。
 でも、再発なく生きている者の気楽さゆえかもしれないが、本書のドラマチックな筆致に、自分の治療経験とはだいぶ違うなあ、と感じたのは事実。だから西加奈子の『くもをさがす』を読んで安心した。そこには共感できる体験がいくつもあったから。
 本書はコロナ禍のカナダで乳がんと診断された西の治療の記録だ。乳房の切除に抵抗がなかったこと。乳首の要否についての考察。「闘病」という言葉を使わず、あくまで治療と考えたこと。
 カナダの医師や看護師の対応はカジュアルで(著者が彼らの英語を関西弁に訳していることも奏功している)、むやみに深刻ぶったりしない。一方で患者自身に考えさせ、判断を迫る局面が多い。〈押し付けがましくない献身や、肯定的な態度〉の医療従事者の下で治療を受けた著者を、評者はうらやんだ。
 がんの発覚から治療期間まで、彼女とともにあった本や音楽がそこここに引用されているのもいい。〈間違いなく救いであったと言えるのが、読むことだった〉と言うことばは、読者の気持ちにまっすぐ響いてくる。
 でも(とあえてまた言う)、これからも乳がん患者必読の書となるだろう西の一冊を差し置いて、評者が再読を重ねる作品は別にある。2019年に42歳で亡くなった哲学者宮野真生子が、乳がん転移後の最期の日々に、人類学者の磯野真穂と交わした往復書簡集、『急に具合が悪くなる』だ。4月29日の1便から7月1日の10便まで、ふたりは宮野の病と死をまっすぐに見つめ、たった2か月間と思えぬ濃密さで、考え、書き続けた。
 乳がん発覚時に「全部見極めてやる」とつぶやいたという宮野は、その言葉通り、最期まで考え、記すことをやめなかった。
 標準治療に従順に従うこと、運命論にあらがうこと、主治医と向き合うこと。数々の選択を迫られることの重荷。民間治療の誘惑。「がん患者」というステレオタイプにはめ込まれることに抵抗し続けた宮野。彼女の重く鋭い言葉を受けとめ、対話を続けた磯野。
 軽い言葉になってしまうけれど、つらい、怖い、苦しい現実から目をそらさないふたりの姿はとにかくかっこよくて、自分が次に病を得たときの目標になった。人はこんなふうに生き切ることができるのだ、と。
 病との向き合い方は、向き合えずに逃げることも含めて、ひとりひとり異なるし、単一の正解はない。書くことのプロフェッショナルたちによる3冊は、どれも誠実で真摯な言葉に満ちている。

2023年6月書評王:田仲真記子
今年は仕事、休養、読書と優先順位を決めて、いつもよりゆったり読書してます。それはそれで味わい深いです。