書評王の島

トヨザキ社長こと豊崎由美さんが講師をつとめる書評講座で、書評王に選ばれた原稿を紹介するブログです。

『自称詞〈僕〉の歴史』友田健太郎著

〈俺〉〈私〉〈僕〉。英語ではすべて「I」なのに、日本語では役割が異なる。さらにこの3語について、とくに男性は使い分けを社会的に訓練される。〈俺〉は私的領域でしか使わない、公的な場では〈私〉を使うべきだと。しかし〈僕〉は? 公的ではないが、私的に限るとも言えない。学生っぽいが、大人でも使う。〈鵺のような言葉〉である〈僕〉が、どこから来てどう広まったのか、そして日本社会にどんな影響を及ぼしてきたのかを明らかにするのが『自称詞〈僕〉の歴史』だ。
 一見、つかみ所がなさそうな〈僕〉の正体に挑む著者・友田健太郎は新聞社勤務後、ニューヨーク州立大学バッファロー校で経済学修士号を取得。経済・文藝・演劇評論などを経たのちに、日本政治思想史研究に転じ、日本語教師としての顔もある。訳書に、徳川幕府と地方大名が互いに「演技」することで政治的安定が保たれていたとする米国人研究者の論考『泰平を演じる——徳川期日本の政治空間と「公然の秘密」』(ルーク・S・ロバーツ著/岩波書店)があるが、これが専門書にとどまらない非常に興味深い読み物になっているのには、訳者の貢献があるに違いない。本書の視点・論点の新鮮さにも、友田のユニークな経歴が影響しているのかもしれない。
 鵺をつかまえるにあたり、著者は広い網と深い網、両方を用意した。第1章「〈僕〉という問題」は広いほうの網だ。近年の使用例から、〈俺〉〈私〉が〈いわば「純日本的な自称詞」〉であるのに対し、〈僕〉は〈我〉〈小生〉などと同じく中国からきた「漢語自称詞」であることが示される。ではそもそも〈僕〉が最初に使われたのはいつか? 『古事記』に使用例があると明かされるのが第2章。荒ぶる神・スサノヲノミコトが〈僕〉を使ったというのは意外だった。ところが平安時代以降その使用例は激減し、復活するのは江戸時代。儒教的価値観の浸透のもと、〈身分制度の桎梏を離れた友情を示す言葉〉として〈僕〉が再び使われ始めた。第5章では「白浪五人男」「三人吉三」など多くの名作を残した河竹黙阿弥の歌舞伎台本をはじめ、坪内逍遙夏目漱石といった文豪、アナーキスト大杉栄、「道程」(僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る)の詩人・高村光太郎、『僕って何』の三田誠広、そして村上春樹にいたるまでの用例を追究。明治から現代にかけて、〈僕〉は〈エリートの自称詞〉から〈自由な個人〉のものへと変わっていく。終章では、〈僕〉から排斥されている側、女性や性的マイノリティと自称詞の関係が、文化的・社会的側面からも考察される。
「古代から江戸時代後期まで」と「明治から現代」という広い網。そのはざまのわずかな期間である幕末に、深い網が仕掛けられている。第3章・第4章は吉田松陰と弟子たちの関係性に〈僕〉がいかに重要な役割を果たしたのかという論考であり、本書のなかでもっとも描写の密度が高まるパートだ。
 高杉晋作久坂玄瑞伊藤博文といった重要人物を輩出した松下村塾の主宰・吉田松陰。彼は30年足らずの生涯で、膨大な数の書簡を残した。著者が分析に使用した848本の書簡のうち、〈僕〉が使われていたのは349本にものぼる。身分社会の江戸時代で〈対等な男子同士の絆〉を作り出す〈僕〉というマジックワードの威力を、誰よりも熟知して使いこなしたのが吉田松陰という男だった。その影響力は弟子たちどうしの関係にも及び、ひいては明治以降の身分社会の崩壊にまでつながっていった。友田は彼らの生涯を書簡から呼び起こし、生々しく描く。〈私〉でも〈俺〉でもない、〈僕〉ならではのドラマがここにある。
 自称詞は、とくに〈僕〉は、使える人、使える場面を選ぶ。だからこそ、その時代に生きた人特有の、意味と意図が見いだせるのだと言えるかもしれない。膨大な用例をもとに、ひとつの言葉の持つ力を明らかにした本書。友田自身、研究を始めて以来、〈僕〉は〈その使用場面などを強く意識するようになり、気軽に使える言葉ではなくなった〉という。自称詞〈僕〉という覗き穴を通じて古代から現代日本社会までを見通す、いま読んで面白く、おそらくこの著者にしか書けない1冊だ。

 

2023年7月書評王:山口裕之 

無自覚に会社でも〈僕〉を使ってしまいがちなダメな大人です。でも、手紙とかメールとかでは「僕」って使わないんですよね。言葉は生きている、ということをあらためて考えさせてくれる1冊でした。