書評王の島

トヨザキ社長こと豊崎由美さんが講師をつとめる書評講座で、書評王に選ばれた原稿を紹介するブログです。

『象の旅』ジョゼ・サラマーゴ著

 「私の作品に幸せな結末はない。旅の終わりは静かなものだ」
 これは本作『象の旅』を執筆中だった著者ジョゼ・サラマーゴと、その妻で有能なマネージャーでもあるピラールに密着取材したドキュメンタリー映画『ジョゼとピラール』(*1)の中で、著者自身が語った言葉だ。
 1551年、ポルトガル国王にしてアルガルヴェ国王であったジョアン三世は、従弟であるオーストリア大公マクシミリアン二世に、婚儀の祝いとしてインド象のソロモンを贈ることを思いつく。
 史実から着想を得たというこの物語。当時のヨーロッパの人たちにとって、象を観る機会などほとんどなく、希少さゆえにときの権力者たちにとって、その威信を示す贈答品として好まれたであろうことは想像に難くない。まして2年前に象使いと共にインドからポルトガルの地に連れてこられて以来、国王にとっては物珍しさも薄れ、使役につくわけでもないのに<飼葉は山と要る>この獣を厄介払いできるチャンスとあっては、ソロモン贈呈作戦は失敗の許されない大プロジェクトとなったのである。
 象を簡単に輸送できる手段など、当時あるはずもなく、かくしてソロモンは象使いのスブッロのほか、飼料を運ぶ物資補給隊と警備を行う騎兵隊、護衛隊らと共にリスボンを出立し、ただひたすらに歩いてウィーンを目指す旅路に就いたのだ。
 道中では、一行の様子を窺う狼の群れが現れ、不穏な動きを見せるスペイン軍の機先を制すべく、ポルトガルとスペインの国境カステロ・ロドリゴへの先陣争いが繰り広げられ、そして降りしきる雪の中でアルプスの難所越えが敢行される。いやはや平穏とは程遠いのだが、著者サラマーゴの語り口は皮肉を利かせながらも明るく、ユーモアに満ちている。道行きにおける出来事だけでなく、ときに〝群れからはぐれた牝牛が十二日間狼に囲まれながら子牛と共に生き延びた話″や、〝ヒンドゥー教の神で頭部が象のガネーシャが誕生した話″などが縦横に挿入され、旅程とはまた別の広がりをみせてくれるのだ。その文体は独特で改行は極端に少なく、会話も「」は使われず、地の文章と読点で繋がれ一体となっており、まるで雑踏の中に身を置き、流れ込んでくる音を聴いているような趣なのである。
 1922年にポルトガルの小村で生まれたジョゼ・サラマーゴは、溶接工やジャーナリストなど様々な職業に就く傍ら独学し、50歳を過ぎてようやく専業作家となった。突然視界が真っ白になり視力を失うパンデミックが引き起こす恐慌を描いた『白の闇』(*2)は、1998年に<想像力、あわれみ、アイロニーに支えられた寓話によって、われわれがとらえにくい現実を描く>作家として、ポルトガル語圏で初のノーベル文学賞を受賞する直接の契機となったと言われている。筆も舌鋒も鋭く皮肉屋で無神論者。長らく故郷ポルトガルとも決別していた彼が、冒頭に挙げた映画の中で、後年再び故郷を訪れるシーンは感動的だ。そして2010年、本作を遺作としてこの世を去った。
 『象の旅』が迎える<旅の終わり>は、確かにあっけないほど静かだ。象のソロモンが自分の境遇をどうとらえていたのかは知る由もなく、また、サラマーゴは「みんな大げさなのだ。哲学的な考察がどうのとか言い出す。象はクソも小便もする。言葉も思想もない。象を擬人化するつもりはない」と言いきっている。しかし「人は生まれ生き死ぬ。それだけのこと」という著者の言葉を信じるなら、これも一つの<幸せな結末>ではないのか。いや、解釈など後回しだ。今はこの極上の物語を、ただ享受することに徹しよう。

*1『ジョゼとピラール』ミゲル・ゴンサルヴェス・メンデンス監督 本作の訳者あとがきに詳しい。
*2『白の闇』雨宮泰訳 日本放送出版協会 2001年

2021年11月書評王:関根弥生
書評講座を受講し始めて丸3年が経ちました。毎月の課題提出に苦しみながらも続いているのは、やっぱり楽しいからなんだと思います。