書評王の島

トヨザキ社長こと豊崎由美さんが講師をつとめる書評講座で、書評王に選ばれた原稿を紹介するブログです。

『ビューティフルからビューティフルへ』日比野コレコ著

 ワールドカップ、日本代表初のベスト8なるかと盛り上がった本大会、ルールもわからず観戦していたが、すぐに夢中になった。選手の体の動きがすごい。まさにバネのごとく筋肉を収縮させて走る、倒れそうな角度に傾いてシュートを打つ、空中で仲間同士ぶつかり合って喜び合う。こんなふうに自由に体を動かせたらどんなに楽しいだろう、と思った。
 さて昨年、ピッチの上の選手のように、ページの上で言葉が躍動する小説が登場した。過去には綿矢りさや宇佐見りんを輩出した新人賞である文藝賞の受賞作、日比野コレコの『ビューティフルからビューティフルへ』だ。
 謎の老女ことばぁの元に集う高校生3人。親にネグレクトされても期待に応えようと必死に勉強するナナ、性的であることから逃れられない体を疎みつつ誰かに熱烈な恋情を向けて絶望を切り抜ける静、リーダー格の幼馴染の受け売りばかりで中身のない自分に焦るビルE。3人交互の自分語りで構成された、どんな生も腕ずくで肯定してみせるような力強い小説なのだが、言葉の使い方がアクロバティックですごい。例えば、静の語り。
〈あーあ、好きな人から足を洗うなんてことは、一体全体ありえるのだろうか。そうして、死ぬ、生きる、の二択を、さけるチーズみたいに切り裂け! あるはずだよ、道は♡ 雪崩のように道はあるはずだよ。〉
「好きな人」というプラスの言葉を、「あーあ」という投げやりな感動詞と、やくざ稼業等に対して使う「足を洗う」という慣用句、つまりマイナスの言葉2つで挟むことによりイメージを反転させたと思ったら、生死の重い選択に対して手軽なつまみの比喩を用い、小さなそのつまみから、ダイナミックに雪崩の道を出現させる。こんなふうに自由に言葉を使えたらどんなに楽しいだろう、と思う。
 著者の日比野コレコは2003年生まれ、受賞時18歳、とても若い。だが幼い頃から図書館で毎回数十冊を借りてきた読書家なうえ、広告のコピーから都々逸まで、興味の対象はじつに幅広いという。本作中には、彼女が意識的、無意識的に採集したフレーズがちりばめられている。
 例えば〈でも、こんな軽い女のなかにある重い内臓を忘るるな、と、せめても椅子とか軋ませてみる。〉という文は、「おとうとよ忘るるなかれ天翔ける鳥たちおもき内臓もつを」という伊藤一彦の短歌を下敷きにしている。ザ・ブルーハーツの歌詞や、「~in the building」などラップ特有の言い回しを使った箇所もある。気になる表現の元ネタを探したり、知らない言葉の意味を調べたりするのも面白い。
 本作で不思議なのは、独特な表現なのに、直感的に意味がわかる、ということだ。
 例えば、〈自分の人生のあらゆる一場面を重ねて束状にしたとき、それを焼き鳥の串みたいにビューティホゥが貫いていてほしい。〉という一文。読んでいて、全身を光が駆け抜けるような感覚があり、人生を肯定することへの切実な欲求を感じた。
 辞書を引けば、「焼き鳥」も「貫く」も「beautiful」も意味が載っている。でもそれだけでは「焼き鳥の串みたいに貫く」がどんなふうかわからないし、「ビューティホゥ」は「美しい」と何が違うかわからない。文章から辞書以上のイメージを感じ取れるとしたらそれは、鶏肉に串を突き刺す手元を見たことがあるからだし、誰かが、美しい、でも、ビューティフル、でもなく、ビューティホゥ!、と感動する声を聞いたことがあるからだろう。
 そうした経験を、言葉は呼び覚ます。本作の文章は、そうして呼び覚まされる、体に染みついたイメージを自在につなぎ合わせることで、理解できる、でも未体験の〈感じ〉を味わわせてくれる。
 著者日比野コレコが今後どんな作品を書くのかは、次のワールドカップの試合と同じく予想がつかない。でも4年後、8年後、それがあると思うだけでどきどきする。

 

2023年1月書評王:肱岡千泰
翻訳をしています。講座には昨年の夏から参加しています。書評を書く難しさを身をもって知り、書評を読む楽しさが何倍にもなりました。