書評王の島

池袋コミュニティ・カレッジで開講中の「書評の愉悦ブックレビュー」で王に選ばれた書評を紹介するブログです。

『クララとお日さま』カズオ・イシグロ著 土屋政雄訳

 カズオ・イシグロノーベル賞受賞後初の、6年ぶりの新作。『クララとお日さま』の語り手クララは、太陽光を栄養源とするB2型第四世代の女子AF(人工親友)。子供の最良のパートナーとなるために開発された高価なロボットだ。クララは「推定十四歳半」の聡明で病弱な少女・ジョジーと運命的な出会いを果たし、都会の店からとある地方の彼女の家に買われていく。
 AFには個体ごとに個性があり、クララは型落ちではあるが、観察力と学習意欲に特に優れていると、販売店の店長はジョジーの母親に力説する。クララもそれは自覚しており、ジョジーはもちろん、周辺のあらゆるもの、たとえばその母や幼なじみなど、自分の目に入る人間の感情や行動の理由について常に観察し、学び続ける。すべてはジョジーのためであり、自分の存在全体で彼女に尽くしたいと願っている。それがクララが考える、もしくはクララに与えられた、AFとしての使命であり存在理由だからだ。
 クララの特別な学習能力は、ロボットとしてはとんでもないものを自身にもたらしている。信仰心だ。死んだように見えた〈物乞いの人と連れの犬〉が、日の光とともに「生き返った」のを店のショーウィンドーから目撃したクララは、〈お日さま〉がAF同様、人間にも〈栄養〉を与えられるのだと信じ込む。だからこそ、自分の何もかもを犠牲にしてもいいから、その特別な力を体の弱いジョジーのために使ってほしいと〈お日さま〉に「祈る」。この「祈り」がもたらすものとは?
 一方で、子供用に知性あるロボットが与えられているような世界で、人間の側に影響がないはずがない。直接的な言及はないが、多くの仕事がロボットに〈置き換え〉られ、高度な知的労働者でさえ失業している。おそらくは「ロボットでは代替できない仕事」をするため、もしかすると「ロボットにしかできないような仕事」をするために、人間も「ありのまま」ではいられない。ロボットによるプレッシャーは大人よりも子どもにより大きな影を落としている。クララの視点の外に立てば、ジョジーの健康を害し、追い詰めているのは、クララ自身であるとも言える。謙虚でけなげで礼儀正しく、あたたかな語りのムードの裏側で、イシグロは語り手・クララには自覚できない、もしくは自覚することを禁じられた、この残酷な構図を読み手に突きつける。
 AIの進化によるディストピア(with AIの時代)を描いているとも、現実の格差社会に対する批判であるとも読める本作だが、究極のところ「人間とは何か」という問いを発しているのだと考える。「ありのまま」ではいられなくなった世界で、それでも人間を人間たらしめている、個人を個人たらしめている〈特別なもの〉はあるのか。あるとすれば、それはどこにあるのか。クララはさいごに自分なりの結論を語ってくれるのだが、あなたは納得できるだろうか。評者は、ロボットであるクララにこそ、人間の想定を超えた〈特別なもの〉が生まれたのではないかと、考えてしまうのだが。 

2021年4月書評王:山口裕之
カズオ・イシグロはネタばらし警察が多そうなので、とくに気をつけたつもりなのですが、書き終わってから、直接的なネタバレよりもっとヤバイかもと不安になったり。ぜひ、読んだ人どうしで話をしてみたい作品ですね。

クララとお日さま

クララとお日さま