書評王の島

池袋コミュニティ・カレッジで開講中の「書評の愉悦ブックレビュー」で王に選ばれた書評を紹介するブログです。

『ピエタとトランジ 〈完全版〉』藤野可織著

〈私は小説家じゃない。これは小説じゃない。記録だ〉という語り手の独白から、この「小説」は始まる。なぜ、こうした枠組みが必要なのか? この小説世界が現実世界そのままを下敷きにした世界観のもとにはないということを、逆説的に宣言するためだ。
 語り手はなぜ、この物語を書き残すのか。〈私の親友は天才で、変で面白くてすごくいい子で、そのおかげで私たちは最高に楽しい毎日を送ってきた。私が心からそう思ってて、ひとつも後悔してないってこと、きちんと証明しておきたい〉からだ。たとえ世界が終わっても、私と親友の物語を残したいのだ。
〈親友の名前はトランジで、私はピエタ。本名は書かない。私たちだいたいそう呼ばれてきたし、しっくるくるあだ名だから〉トランジとはフランス語で、腐敗した死骸や骸骨をモチーフとした彫刻、レリーフのこと。ピエタとはイタリア語で、十字架から下ろされた死せるキリストを抱く聖母マリアの彫刻や絵のこと。これは、世界に死をまき散らす名探偵・トランジと、彼女に寄り添い続ける語り手・ピエタの物語なのだ。
 第一章の冒頭からわずか1500字。最後まで読み終わった後に戻ってみれば、これほど完璧なプロローグなはいとさえ思える。この物語のテーマが完璧に説明されている。一見饒舌でありつつ、振り返ればムダがない。本書全体に共通する語りの特徴と言えるだろう。
ピエタとトランジ』は、十二章+エピローグで構成されている。一章から十二章までタイトルは「○○事件」で統一されている。共通しているのは、事件が解決されたとき、探偵役・トランジの周囲には新たな死体がごろごろと転がっていること。〈トランジはものすごく頭がいい代わりに、周囲で事件を多発させる体質〉なのだ。この体質の謎は、物語の最終盤まで読み手を引っ張り続ける。
 コンビ結成のエピソードが描かれるのが「ピエタとトランジ」と題されたエピローグであるという点も工夫されている。ふたりの出会いと意気投合の理由、これもひとつの「謎」として機能しているのだ。最初は単独の短編として発表された作品で、一章から十二章まではいわばこの短編の続編だ。なぜ単行本でこうした構成になったのか。ある決め台詞が接近することで文章上とてもおしゃれな効果が生まれていること(ぜひ読んで確かめて欲しい)、円環をなすことで「終わりがない」感が生まれていることの他にも、理由があるように思う。世界の認識の問題だ。
 一章から十二章まで、人の命は非常に軽い。たとえば一章で自分の彼氏が殺されたことについて振り返るピエタは、悼むどころか通り一遍の注意さえ払わない。もうトランジと「出会って」いて、人が死のうと世界がどうなろうと、たいしたことではなくなっているのだ。エピローグを除き、ピエタが語る物語はこのモードで十二章を駆け抜ける。
 その“命が非常に軽い世界”で、旧来の常識を一身に引き受けるのは、ピエタ医大生時代の寮友である森ちゃんだ。トランジの体質を見抜き、世の中から隔離すべきだと信じ、そのためにあらゆる努力をいとわない。当たり前の世界なら、彼女がヒロインだ。でも、著者は徹底的にピエタとトランジの側に立ち、森ちゃんの世界、この世の常識のほうを足蹴にする。
 ピエタとトランジの関係が末永く――16歳から80歳過ぎまで――描かれる一方で、世界は激変する。トランジの「体質」は、高校を卒業する頃には全校生徒数を半分以下にしてしまうし、中年になる頃には「死を呼ぶババア探偵」として都市伝説になる。殺人事件の増加は日本中を覆い、果ては世界がマッドマックス化するところまで行き着く。その壊れ方は、いっそ痛快でさえある。女性ふたりが自分らしく生きようとするだけで、世界は崩壊するのだ。これは著者の、「今ここ」に対する認識にも通じているだろう。たとえ世界が滅ぼうとも「親友」の側に立つ、詰まるところ、これはそういう物語なのだ。

2020年5月書評王:山口裕之

最初はすごくノレなくて。なんで面白くないんだろうという理由を探すつもりで再読してみたらめっちゃ面白くて、その理由を書いたつもりの書評です。

ピエタとトランジ <完全版>

ピエタとトランジ <完全版>