書評王の島

トヨザキ社長こと豊崎由美さんが講師をつとめる書評講座で、書評王に選ばれた原稿を紹介するブログです。

「アベノマスク」になったガーゼにおすすめする3冊

 あなたたちが誕生したとき、どんな形に裁断・縫製され、どんな用途で誰のもとで過ごすのか、どこかわくわくしながらまだ見ぬ未来に思いを馳せていたのでしょうか。あまく撚った糸を粗めに平織りし、ふんわりと仕上げられ、誰かの傷を覆ったりデリケートな肌を保護したり、人々の生活にそっと寄り添うことのできる存在になりえるはずでした。
 赤ちゃんのおくるみや産着になる可能性もあったでしょう。2016年にアジア人初の国際ブッカー賞を受賞した韓国人作家ハン・ガンの『すべての、白いものたちの』は、〈白いものについて書こうと決めた〉で始まり、目録と称して〈おくるみ うぶぎ しお ゆき・・・〉と白いものが並べられます。粉雪が舞い降りるような静かな書き出しと、続く語り手の〈傷口に塗る白い軟膏と、そこにかぶせる白いガーゼのようなものが私には必要だったのだと〉という一文が何かに傷ついた人の痛みを予感させます。語り手の〈私〉は、ワルシャワにしばらく滞在する事になった韓国人女性。〈私〉の母が若い頃、丸いお餅の〈タルトックのように真っ白で美しかった赤ん坊〉を出産し、2時間で死んだと語られます。白い産着を着せて〈しなないでおねがい〉と娘に呼びかけ続けた母。かつてナチスにより破壊されたワルシャワの街と、2時間しか生きられなかった姉の運命を重ね、もし〈彼女〉が生きて、この街を歩いていたらどんな風にこの世界を見たのだろうかと、いくつもの白いものたちとともに語られます。
 あなたたちが配られる。誰もがエイプリルフールのネタだと思ったあの日、それは嘘のような本当の話でした。武田砂鉄著『わかりやすさの罪』では、わかりやすさが常に求められ、わかりにくいものが排除されることへの違和感と〈わかりやすく考えてみようよと強制してくる動きに搦め捕られないようにしよう〉という著者の抗いが綴られています。〈自分にわかりやすく見えているものだけが世界であるとする人たちが国を動かしているというのは、実に怖いことである〉。給食当番マスクのような佇まいとなったあなたたちを約4ヶ月間、意固地になって口元につけ続ける日本のトップの姿が確かにありました。
 全国に散らばったあなたたちは今、どうしていますか?〈この国から「おじさん」が消える〉の帯が印象的な松田青子著『持続可能な魂の利用』では、「おじさん」から少女たちが見えなくなり、少女たちは「おじさん」から常に見られる存在であることから解放されるというエピソードで始まります。「おじさん」はある年齢層の男性に限らず、若者にも女性にも存在する家父長制や男尊女卑的な思考を持つ人。男性優位の社会で、理不尽な理由により退職に追い込まれた30代の敬子は、この社会に違和感を覚えながら、ここ数十年、日本で主流の量産型アイドルのうち欅坂46を連想させるグループに出会い、笑顔が求められるアイドル業界にあって何かに抗うような目をしているセンター〈XX〉にハマります。どのグループも同じ一人の「おじさん」にプロデュースされていることを承知の上、のめりこみ〈「おじさん」が作ったこの社会の悪意にからめとられて〉しまわないよう、敬子は仲間と共にこの〈おっさん地獄〉に、ある方法で抗う決意をするのです。
 コロナ禍でのマスク不足で、とりあえず何でもいいから配布すれば国民は納得すると本気で「おじさん」が考えた結果があなたたちでした。マスクであるはずなのに巷では活用法が検討され、靴磨きにいいとか、お地蔵さんの着用によりほっこりアイテムになるだとか。『すべての、白いものたちの』に〈汚されることのない白いものが私たちの中にはゆらゆら揺れていて、だからあんな清潔なものを見るたびに、心が動くのだろうか?〉という一文があります。あなたたちは悪くない。あなたたちを携えて「おじさん」たちの罪を後世に語り継いでいかなければなりません。

2020年9月書評王:森田 純

間違ったら、躊躇なくスピード感を持って全身全霊で軌道修正できる人でありたいです。

すべての、白いものたちの

すべての、白いものたちの

わかりやすさの罪

わかりやすさの罪

持続可能な魂の利用

持続可能な魂の利用