書評王の島

トヨザキ社長こと豊崎由美さんが講師をつとめる書評講座で、書評王に選ばれた原稿を紹介するブログです。

『アムラス』トーマス・ベルンハルト著 初見基・飯島雄太郎 訳

(嵐か鳥の羽ばたく音か重い扉の音。灯りに男1が浮かび上がる。同じ背格好の男2を背負っている)
ヴァルター、聞こえるか?ヴァルター。〈わたしたち〉は幽閉された。この塔の闇の中に。さあ、此処に座って。(男2を座らせる)鎧戸を開けて見るがいい。どうだ?〈奇形にされた林檎の樹〉が〈曲馬団の天幕〉が見えるか〈生存する不快感を催す人の群〉が!沈黙だ…。ああ、駄目だ駄目だ発作だ。お前の死病よ。〈ティロール癲癇〉は悪化するばかりだ。わかるか?案ずるな、此処はアムラスの闇を愛する叔父の塔の中だ。〈わたしたち〉は保護されている。
3の付く月の3の日〈わたしたち〉は謀り間違えた。父の事業の零落と母の死病とお前に遺伝した病。故郷ティロールの〈精神の高山性近親交配のなか〉に。充分な錠剤とグラス。〈1羽の死んだ猛禽が街路へ墜落した〉〈巨大化するばかりの鳥が〉〈絶望して辺りの壁にぶつかりながら〉。〈計画通り〉両親は死んだ。〈わたしたちは〉残った。〈一糸まとわず、馬用の毛布2枚と犬の毛皮に包まれ〉。自殺と自殺未遂の時間の差を誰かが喧しく言い立てている。案ずるな、そして怖気付け、ヴァルター。わたしは〈ヴァルターとわたし〉を此処に、この塔に幽閉する!
さあ、ヴァルター。此処へおいで。くん製肉を切ってやろう。怖いのか?この〈アウクスブルクの小刀〉が、小刀の煌めきが。ならば貯蔵庫の林檎を齧って、歌ってくれ。また沈黙だ…。お前の音楽の素養よ。天性の芸術的精神の鋭敏よ!今や音楽は絶え沈黙だけが全てを歌っている。さあ藁のベッドを転げまわり、1つ年下の〈1点のしみもない肌〉に。19歳の身体のそこかしこに。互いに損傷をあたえ、〈悦びのあまりわたしたちの衣服、わたしたちのズボン、わたしたちのシャツを引き裂いた〉。塔の中の濛々とした埃が全ての感覚の呼びかけに舞い上がり。朦朧状態朦朧状態、〈わたしたちは〉〈道化とその相棒だ〉〈人間の中で燃える曲馬団の天幕の像〉だ‥‥。〈自然科学的〉宇宙の充足だ!
ねえヴァルター。『行く』を読んだか?癲狂院に入ったカラーの代わりにエーラーと歩くことになった〈わたし〉。思考することやカラーが発狂した顛末についてエーラーは延々と話し続ける〈?とエーラーは言った〉〈?とエーラーは言った〉。徐々に〈カラーは言った〉とエーラーが言い出すから〈〈カラーは言った〉とエーラー言った〉と〈わたし〉語ることになる。人が思考することなどは、いつか誰かが思考したことに違いはない。癲狂院に行ったのが、エーラーでもわたしでも話しとしては成立はするはずなんだ。無論〈わたしたち〉でも。とても滑稽でとても怖い小説だよ。作家の名はトーマス・ベルンハルト!〈わたしたち〉を産み落とした奴め!ふん。
ねえ、ヴァルター。この塔には小さな頃、入ったことがあっただろう?この叔父さんの塔に…。ヴァルター、父さんと母さんの声だ。ほら、僕たちを呼んでいる。迎えに来たんだ。窓から見て。ああ、ヴァルターの誕生日の時みたいな声だ。見える?手を振っている?
〈何にもない!〉(男2が叫んだように)
…今、何て言った‥‥。
今、何て言った!ヴァルター!さあマントを被るんだ、すっぽりと。そして階段を上れ!1段目には〈癲癇電気椅子〉!お前の席だ上れ!その上にたくさんの顔。父と母と〈わたし〉と。ティロールの亡霊たちの墓を上って行け!その先の楽譜の束を、今はもうないお前の楽譜を踏みつけ曲馬団のリズムで進め!
塔の天辺に立つお前は。ヴァルター。鴉鴉鴉。鋭い嘴の、透明な目の、しなやかな漆黒の、鴉鴉。ティロールに影を落とす巨大な鳥の羽で飛べ!いや飛ぶな、待つな待て、行け!早く飛ばないか!飛べ飛べ飛べ!‥‥。
(人影が窓の向こうに弧を描く様に消え。溶解する灯りの中 )
ヴァルター!
〈そして鐘の音がひとつひとつ〉
〈どうしてぼくたちはまだ生きなければならないのか〉
―幕―
*ヴァルター役(男2)は人形を用いるのが望ましい。

(試みとしての ひとり芝居による書評)

2019年12月社長賞:成毛満千子

アムラスは兄弟の話です。書評では兄弟と言うキーワードは出しませんでした。その方が良い気がします。兄の一人称小説なのですが、もし弟のヴァルター目線で書かれていたら、まったく違う話になったんだろうなと思います。それがこの小説の素晴らしいところです。

アムラス

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