書評王の島

池袋コミュニティ・カレッジで開講中の「書評の愉悦ブックレビュー」で王に選ばれた書評を紹介するブログです。

『白い病』カレル・チャペック著 阿部賢一 訳

 世界で四千万人の命を奪ったスペイン風邪は、第一次世界大戦の終息に影響したとも、また第二次世界大戦の火種にもなったともされている。いま猛威を振るっている新型コロナウイルスは、世界を、社会を、どのように変えるのだろうか。
 パンデミックが及ぼす影響を考えようとするとき、非常に興味深い作品の新訳が刊行された。「ロボット」の語源ともなった作品でも知られるチェコの国民的作家、カレル・チャペック(1890~1938)が1937年に発表した戯曲『白い病』だ。
 今まさに隣国に侵略戦争を仕掛けようとしているヨーロッパの独裁国家で、ある病が〈雪崩のように広がっている〉。〈白い病〉と呼ばれるその病気は、45歳もしくは50歳以上の人間に感染し、数ヶ月のうちに死に至らしめる。予防法も治療法もなく、すでに500万人が亡くなった。国の枢密顧問官を務めるジーゲリウス教授の病院でもなすすべがなかったところへ、名もなき町医者・ガレーンが現れ、この病院で臨床試験をさせてくれと訴える。治療費の払えない患者だけを集めた病室で奇跡的な治療成果をあげた彼だったが、一方で金持ち、権力者は診ようとせず、肝心の薬についての情報も渡さない。集まった記者に、彼は告げる。〈こう書いてください……この薬を入手できるのは……二度と、二度と、二度と戦争をしないと誓う民族だけだと〉。
 病気を人質に戦争放棄を訴える〈ユートピア的な脅迫〉者。「あなたは、人が亡くなるのを放っておくのですか?」と問う記者に、「では、人々が殺し合いをするのを、あなたは放っておくのか?」とガレーンは答える。権力者は脅し、なだめ、すかして治療法を明かすように説得するが、ガレーンは頑なに聞き入れない。そうこうするうち、軍需産業のトップも病に罹患し、ついにこの国の統治者にして戦争を主導する元帥にまで病の手が伸びる。元帥の選択は、民族の勝利か、それとも命か。
 第二次世界大戦前夜、ナチス支配下の隣国ドイツからの圧力が日に日に強まるなかで発表された本作は、プラハの貴族劇場で初演が行われ、単行本としてもわずか二年で九版を重ねたという。この新訳は、新型コロナウイルス感染拡大のさなかに訳者のウェブサイトで数場ずつ公開され、それが版元の目にとまっての緊急出版となった。戯曲とはいえ非常に読みやすい訳で、ボリュームも文庫で150ページほど。いまこのタイミングで、いま生きている日本語で読めることに感謝したい。
 80年以上前に発表されたこの作品が今日に響くのは、疫病がもたらす「分断」を描いているからだ。親世代は死の恐怖におびえて〈恒久平和〉を求めるが、この病に冒されることのない若者たちは上の世代の退場によって職を得られるのを期待し、〈正義は我々の側にある〉という元帥の演説に魅惑されて戦争を求めている。2020年のこの世界でも、おもに貧しい者が犠牲となり、必死の努力をつづける医療従事者がいる一方で、「GOTO」で「無限くら寿司」を満喫する人、果ては人気取りをしたり税金を私物化したりするチャンスと考えているのではと勘ぐってしまう政治家さえいる。疫病は、世界の構造を無残に浮き彫りにするのだ。
 本作は〈反ファシズムのメッセージを鮮明にする作品として読まれてきた〉と訳者後書きにある。ファシズムは独裁者ひとりだけに責があるものではなく、行動に伴う責任を積極的に為政者に預け、「正義」の名の下に「敵」を排除する喜びに身を任せ、集団への帰属感に陶酔する「群衆」がいてはじめて完成するものだということが、近年の研究で明らかになってきている。本作の結末は、じつは独裁者ではなく、「群衆」が決定している。新型コロナウイルスがもたらすものが何になるか。それは私たち一人ひとりの意思と選択にかかっているのだということも、この作品は伝えようとしているのかもしれない。

2020年12月書評王:山口裕之

書評講座14年生になりました。今年のおせちはローソン100円ストアでどれだけ揃えられるかにチャレンジする予定。

白い病 (岩波文庫)

白い病 (岩波文庫)