書評王の島

トヨザキ社長こと豊崎由美さんが講師をつとめる書評講座で、書評王に選ばれた原稿を紹介するブログです。

『失われたいくつかの物の目録』ユーディット・シャランスキー著・細井直子訳

 1980年旧東ドイツ生まれの作家・ブックデザイナー、ユーディット・シャランスキーによる2018年刊行の本作は、ドイツを始め各国で数々の文学賞に輝いた。
 今はもう存在しない物について、統一した構成の12篇が並ぶ。まずテーマについて調べこまれた事実が記され、それを端緒にノンフィクション、エッセイ、回想録、SF小説などの形を取った短文が続く。地理、動物、建築、映画、詩、宗教など題材は多岐に渡る。
 前書きにあたる「緒言」で作者は言う。本を読むことで、過ぎ去ったもの、忘れられたものを追体験できる、そして<存在と不在の違いは、記憶がある限り、もしかすると周縁的なものかもしれない>と。
 作者は本というものに圧倒的な信頼を抱き、書物に残された過去の記録をきっかけに、時に正確に残り、時に大胆に再構成される記憶、緻密でありながら意外性に満ちた想像力を駆使して作品を組み上げる。
 20世紀に絶滅したと考えられる猛獣が主人公の「カスピトラ」。この獣が2000年前、古代ローマの闘技会でライオン相手に闘った末、命を奪われるさまが記される。その一頭を殺したローマ皇帝の愚行は、種を絶滅させた現代人と冷やかに並べられる。
 巻末に人名索引を備え、必要な事実を提供するが、各篇を読み解くヒントは、密やかに書き入れられるだけのこともある。「青衣の少年」を見てみよう。冒頭、無声映画時代のドイツの高名な監督、フリードリヒ・ヴィルヘルム・ムルナウの初めての映画のことが語られる。本篇のタイトル「青衣の少年」は、その映画の重要な小道具となる、18世紀イングランドの画家ゲインズバラの絵画の名だ。
 一転、ニューヨークのホテルに滞在する女優の一人語りが始まる。途中明かされる名はグレタ・ガルボ。年を重ね、容貌が盛りを過ぎた彼女のさばさばした語り口を通し、読者はハリウッドスターの儚さに思いを馳せる。
 一読後、はたと気づく。ムルナウは本篇とどう関連するのか。精読し、人名索引にあたり、周辺状況を調べ、答えとなる一文をみつけた時の嬉しさは格別だ。
 「フォン・ベーア家の城」の中心は、作者自身の幼時の記憶。人は死ぬ、と言うことを知った時の驚き、二階から飛び降りた事件、庭で見つけた棘だらけの動物。彼女が記憶の引き出しから繰り出すエピソードを楽しんでいると、それが事実かどうかなど、些末なことに思えてくる。
 最終篇「キナウの月面図」にも驚かされる。1932年、国際天文学連合は月面のあるクレーターを「キナウ」と命名した。その由来と言われていたボヘミアの役人、C.A.キナウの名は2007年に記録から抹消され、19世紀に月面図を描いたドイツ人の牧師で天文学者ゴットフリート・アドルフ・キナウに置き換えられた。
 こんなトリビアをきっかけに展開するのはC.A.キナウを思わせる人物が主人公の短篇。月に尋常ならぬ興味を持つ彼がたどる運命。もうひとりのキナウが描いた月面図との関わり。唐突なSF的展開に戸惑いながら、芳醇な想像力に魅了される。
 記録と記憶と想像力の絶妙な配分に読者は翻弄され、次はどんな世界が始まるのか、愉しい予感と共にページをめくることになる。
 作者が本作につぎ込んだ時間や情熱や思考には及ばなくても、気持ちを傾けて隅々まで味読して初めて理解できるものがある。各篇冒頭の黒地にうっすら浮き上がる写真や絵のように、目を凝らして、感覚を研ぎ澄まして向き合わなければ見過ごしてしまうものがある。手軽に感情を揺さぶるわけではない。だが、読後、200ページ余りの一冊に収められた世界の大きさに圧倒される読者は多いだろう。腰を据え、時間をかけ、じっくりと読むべき、そしてそれにふさわしい充実感が得られる一冊だ。

2020年6月書評王:田仲真記子
軽快な文体の書評を書くのが当面の目標です。

失われたいくつかの物の目録

失われたいくつかの物の目録