書評王の島

トヨザキ社長こと豊崎由美さんが講師をつとめる書評講座で、書評王に選ばれた原稿を紹介するブログです。

夏休みにお薦めしたい1冊『言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』

 旅行に行くのはお金がかかるし面倒、でも家でじっとしているのもつまらないという人におススメしたい夏休みのお出かけスポットが、芸能事務所や制作会社主催のお笑いライブだ。新宿・渋谷・下北沢を中心とした劇場・ライブハウスで毎日のように行われていて、2,000円前後のチケット代で、何組もの芸人たちのネタが見られる。8月はコント日本一を争う大会「キングオブコント」の予選が終盤を迎え、さらに結成15年以内の若手漫才師日本一を決める「M-1グランプリ」の1回戦もスタートしている。若手が調整のためにライブで勝負ネタを披露することも多い夏は、面白いネタを見るのに絶好の季節なのである。
 そんな賞レース最中のライブを、読めばより楽しめるようになる一冊が、漫才コンビ「ナイツ」のボケ役・塙宣之による語り下ろし本『言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』だ。M-1には2001年の第1回から出場、3回も決勝に進出したナイツがなぜ優勝できなかったのか。本書はその「言い訳」という形で語られる、M-1論・漫才論なのである。
 塙が本書で前提とする、現時点で関東芸人はM-1で勝てないという理由は、第1回大会にある。「中川家」が日常会話の延長線の芸である「しゃべくり漫才」で初代王者となって以来、M-1しゃべくり漫才の若手日本一を決める大会だという認識が、出場者や関係者の間で生まれたのだ。そうなると、子供の頃からボケ・ツッコミの掛けあいで会話をする文化のある関西出身の芸人は強く、しゃべくりの領域で関東芸人が勝つ可能性は限りなく低い。
 関東の芸人がM-1で勝つにはどうすればいいのか。塙が考える勝つための手段とは〈優れたネタを考え続ける〉と、至ってシンプルだ。本筋ではない自虐や内輪話で笑いを取りにいくのは、ネタに自信がない証拠。それよりも古典落語くらい話の筋のしっかりした台本を作るところから始めるべきだと、塙は関東の若手たちに訴える。でも、いい台本だけでは勝てないのだ。〈M-1の「傾向と対策」は存在します。できることはしたほうがいい。でも最終的には、今の「自分」で戦うしかない〉と、塙は自身の経験を語っている。
 自分たちの漫才の型が見つからず、流行りのスタイルを真似てみたり、試行錯誤していた駆け出しの頃のナイツ。ある時、塙は気付く。ネタの中で好きな野球や相撲の話をしている時は、よどみなく自然と言葉が出てくる。そこに元々得意でウケもよかった小ボケを加えれば、借り物ではない漫才の形になるはずだと。そこから生まれたのが、〈ヤフーで調べました〉を〈ヤホーで調べました〉と言い間違えるつかみから始まり、例えばイチローの情報について塙が細かくボケては、相方の土屋が誤りを訂正していく「ヤホー漫才」だった。
 ようやく手にしたオリジナルの漫才を武器に、ナイツは2008年のM-1で快進撃をみせる。ところが、決勝には進出するも結果は3位。一体、何が足りなかったというのか。ここから話は、2018年大会に審査員として参加した塙が感じた「新しさ」と「技術」の間で揺れ動くM-1の評価軸や、非関西弁かつ吉本興業所属外で優勝した「アンタッチャブル」と「サンドウィッチマン」にはあってナイツにはなかった「強さ」、さらに「爆笑問題M-1に出場したら、優勝できるのか?」「ダウンタウンが時事漫才をしたらどうなるのか?」にまで広がっていく。
 あらゆる角度から、M-1で関東芸人が優勝する方法について考察していく本書。プロの漫才師が論理的に語る笑いの構造とは、こんなにもおもしろいのかと驚かされる。ただし、関東芸人から現実に優勝者が出ない限り、正解が見つかるわけではない。そしてヒントは、今どこかのお笑いライブに隠されているかもしれないのだ。

2019年9月書評王:藤井勉
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