書評王の島

池袋コミュニティ・カレッジで開講中の「書評の愉悦ブックレビュー」で王に選ばれた書評を紹介するブログです。

『やさしい猫』中島京子著

「きみに、話してあげたいことがある」と始まる物語だ。語り手のマヤは女子高校生。「ちゃんと順を追っていかないと、きみの頭がこんがらがってしまう」から、「クマさんとミユキさんが出会うところから」話を始めてくれるという。
 マヤの母・ミユキさんは夫を亡くして以来、保育士をしながらマヤを育てている。マヤが小3のとき東日本大震災のボランティアで知り合った8歳年下のスリランカ人の青年クマさんと、1年後に自宅の近くで再会。互いに惹かれていくのだが、娘のためを思い、ミユキさんは2度までもクマさんのプロポーズを断ってしまう。それでもクマさんは諦めなかった。マヤが小6のときにとある事件をきっかけに3人で同居することになり、クマさんはとうとうミユキさんから結婚の同意を得る。
 ところが、ある事情からクマさんは在留カードの期限が切れ、不法滞在者になってしまう。結婚すれば配偶者ビザが発行されるからという知人のアドバイスに従い、さまざまなトラブルと手続きを乗り越えて、マヤが中3のときにようやく結婚。ところが、クマさんは在留資格の手続きに入管へ行く途中で、不法残留者として警察に捕まってしまうのだ。
 直木賞作家・中島京子が読売新聞で『やさしい猫』の連載を始めたのは2020年5月、名古屋入管に収容中のスリランカ人女性・ウィシュマさんが亡くなる10か月前だ。ウィシュマさんだけではない。全国の入管施設では2007年以降で少なくとも17人もの収容者が病死している。著者は本書刊行の4年ほども前から入管行政を巡る問題に関心を持ち、連載の題材として選んだのだという。
 審理官は2人の結婚を「配偶者ビザ目的の偽装結婚」と決めつけ、クマさんは国外退去処分を言い渡される。処分を受け入れ帰国すれば5年間は再入国禁止となり、かといって出国を拒否すれば強制送還されるまで無期限で収容所に入れられる。クマさんは長期収容施設へ移され、事態を打開するには99%負けるとされている裁判に訴えるしかない、というところまで家族は追い込まれるのだが……。
 国際人権NGOによれば、日本の収容所では6か月以上の長期にわたって収容されている人が54%にものぼるという。入管職員の裁量ひとつで何か月も、ときには何年ものあいだ収容者の自由を奪う日本の制度は、国連の人権条約機関から再三にわたる勧告を受けているにもかかわらず改善されてこなかった。本書はこうした入管行政の問題を、物語の中でていねいに理解させてくれる。〈まずは“知る”こと。それが酷い状況を変える大きな力になっていくと思います〉と、本書についてのインタビューで著者は語っている。
 ともすれば説教臭かったり押しつけがましい感じがしたりしがちな題材なのに、本書にはそうしたところがない。高校生のマヤを語り手に立て、彼女自身が問題をだんだん理解していくという構成が読者にやさしい。それに加え、たんに外国人収容の問題におさまらず、LGBTQやその他のマイノリティの差別問題、難民受け入れや外国人労働者問題、国籍や国境をどう考えるのかといったより大きな視点がある。窮地に陥った3人を助けてくれる弁護士の恵や元入管職員の上原、マヤが幼い時からの親友のナオキや、入管施設で知り合ったクルド人難民申請者の息子ハヤトなど、多彩な登場人物がそうした視点を開いてくれる。終盤ではスリリングな法廷での対決もあり、ミユキさんとマヤも証言台に立つ。これまでの「思い出」が偽装結婚という決めつけを覆す「証拠」として提出され、家族に力を与える展開には胸が熱くなる。
 語り手マヤが話してあげたい「きみ」とは誰のことか。それはぜひ、本書を読んで確かめてほしい。入管行政はよく知らない「外国人」の問題ではなく、だれにとっても大事な「家族」の問題なのだということが、とても切実に伝わってくるのだ。

 

 

2022年1月書評王:山口裕之
著者の中島京子さんは某紙のインタビューで、自分にとって小説を書くということは「今、自分自身が生きている世界を理解して形にすることだ」と述べられていて、それがほんとうに現れている作品だと思います。