書評王の島

トヨザキ社長こと豊崎由美さんが講師をつとめる書評講座で、書評王に選ばれた原稿を紹介するブログです。

『断絶』リン・マー 著 藤井光 訳

 2011年5月に中国・深圳で最初の症例が発見されたシェン熱は、瞬く間に世界中に広がった。初期症状は風邪と紛らわしく、感染者には熱病感染の自覚が生じない。傍目からも日常生活を普通に送っているように見える。しかし症状は徐々に深刻化し、思考力と運動能力が損なわれていく。やがてただ自動的に日常動作を繰り返すだけの存在となり、最終的には死に至る。治療法は、ない。
 今日のパンデミックを先取りするような設定だが、1983年生まれの中国系アメリカ人小説家、リン・マーによるデビュー長編『断絶』は、2018年に発表されている。
 物語は2つの時間軸を行き来しつつ進行する。現在時点ともいうべき時間軸は2011年の12月から始まる。最初の症例から7か月にして、すでに世界は崩壊している。語り手である中国系アメリカ人のキャンディスは、生き残った8人のグループに加わり、車でシカゴ郊外のショッピングモールを目指している。もうひとつの時間軸は過去時点。こちらのパートではキャンディスの仕事や恋愛、家族の思い出といった過去も挿入されながら、世界の〈終わり〉がどのように〈始まり〉、進行したのかが描かれる。
 本書はいくつもの顔を持つ。まず思い浮かぶのはゾンビ小説としての側面だ。感染者が人間性を失い、ただ習慣を反復する機械となるという設定や、消費社会の象徴としてショッピングモールが配されるのは、ゾンビ映画創始者、ロメロ監督の『ゾンビ(ドーン・オブ・ザ・デッド)』を踏襲している。ただ本書における感染者は人を襲ったり、ゾンビ化させたりはしない。むしろ攻撃的なのは非感染者のほうというのが皮肉だ。
 お仕事小説としての一面もある。キャンディスはニューヨークにある出版コーディネートを業とする会社で、聖書部門に勤めて5年になる。主な業務は資材の調達や印刷・加工を行う中国企業との交渉だ。内容はいっしょの文字列を、いかに装丁や装飾で取り繕うのか。いかにトラブルやクレームを処理するか。とてもクリエイティブとは言いがたい、反復の連続に過ぎない仕事に縛られていると感じている彼女は、パンデミックの状況下で自分に与えられた任務にどう向き合うのか。
 キャンディスの設定は、作者の経歴と重ねられている。彼女の両親が苦労してアメリカでの生活を築こうとする姿や、自身の仕事上での中国人とのやりとりが描かれるパートは、移民小説の色彩を帯びる。
 これらが黙示録的な終末世界で重なり合い、生き残った仲間に芽生える不信と衝突、宗教への懐疑、さらには生きる意味に対する問いが掛け合わされる。一行はショッピングモールにたどり着けるのか、キャンディスが仲間に秘密にしていることは何か、なぜ彼女はニューヨークに最後まで残っていたのか――過去時点の語りが現在時点に追いつくにつれ、そうした謎があきらかになっていく。
 ユニークなのは終末の描き方。感染の自覚がないこと、感染後も日常動作を繰り返すという症状があることで、人類はシェン熱の急速な流行にあらがうことさえできない。「中国で感染症」という他人事から、すぐに「そういえば隣の人、なんか変だ」になり、やがて潮が引くようにニューヨークから人間が減っていく。終末が舞台なのに、本作はパニックを描かない。人々はできる限り自分の仕事を継続し、できる限り家族と時間を過ごしつつ、静かに現実から記憶の世界へと退却していくのだ。
 タイトルは『断絶』だが、その前提としての反復が繰り返し描かれる。主婦もタクシー運転手も出版コーディネーターも芸術家さえも、仕事になった段階で反復から逃れることができない。いや仕事だけではなく消費生活も、遊びも恋愛も子育ても、人間の営みすべてが反復の連続として描写されている。反復で何が悪いのか、ならば熱病感染者と非感染者とどこに違いがあるのかと、本書は問う。
 原題「severance」には、切断、分離、隔離、契約終了、退職といった意味もあり、本書にはそのどれもが響き合う形で配置されている。ひとつひとつの断絶が、断ち切られる側の反復を呼び覚ます。さまざまな死を描くことで、さまざまな生を際立たせる、これはそういう小説なのだ。

2021年6月書評王:山口裕之

13年も乗っている自転車のホイールをちょっといいのに変えたところ、新鮮な気分がよみがえりました。輪行袋も新調したし、梅雨が明けたら、ちょっと遠いところに行ってみたい。