書評王の島

池袋コミュニティ・カレッジで開講中の「書評の愉悦ブックレビュー」で王に選ばれた書評を紹介するブログです。

『星の時』クラリッセ・リスペクトル 著 福嶋仲洋 訳

 漫画版が実現するなら、作画はぜひ漫☆画太郎にやってもらいたい。そう思ったのが、クラリッセ・リスペクトル『星の時』(福嶋仲洋訳・河出書房新社)。「ブラジルのヴァージニア・ウルフ」の異名を取り、世界的にも再評価が進んでいる女性作家の遺作だ。
 南米文学と日本のギャグ漫画に何の関係があるのかと思われるに違いない。しかし両者とも、一見ナンセンスに思える言葉の連なり、不条理な暴力性、人間の持つ猥雑な生命力、そしてそれらが極まった先にある聖性とでも言うべきものが見て取れるのだ。
『星の時』のヒロイン、〈北東部から来た女(ノルデスチーナ)〉マカベーアは絵に描いたように不幸な人間なのだが、彼女は自分が不幸だということを知らない。発育不全で生まれてすぐに両親を亡くし、叔母に殴られながら育ち、リオ・デ・ジャネイロに出てきた直後にその叔母も死んだ。
 タイピストとして勤め始めたマカベーアだが、無学と空想癖が災いしてよく字を打ち損じ、同僚のグローリアと比べられ、いつ解雇されるかわからない。人物や容姿に魅力があるわけでもなく、服で洟を拭き、めったに体を洗わず、化粧も下手。マリリン・モンローに憧れているが、口紅を塗ってもホラー映画のメイクのようになる有様。上昇志向の恋人オリンピコには邪険に扱われ、ふたりのやりとりは常にちぐはぐだ。
 このマカベーアにぞっこん惚れ込んでいるのは物語の登場人物ではなくて、語り手の作家ロドリーゴ・S・Mである。自らを語る言葉を持たないマカベーアを、この書き手は饒舌に代弁する。かの娘が人とのコミュニケーションに失敗し、世の中から受け入れられず、そして、自らに意識を向けることなく、宗教的にも見える恍惚にしばしばとらわれる(つまりイッちゃってる)様子を、ロドリーゴは赤裸々に描いていく。その一方で、「愛している」とまで入れ込んでいるにもかかわらず、マカベーアの人生についてなぜだか「僕は何もできない」と不干渉を決め込み、冷淡な態度を貫いている。作者ならば、いかようにも彼女のこれからを変えることができように。
 そんなマカベーアにも、運命の転換点が訪れる。彼女は急流に呑まれた木の葉のごとく人間関係で揉みくちゃにされた末、よく当たるという触れ込みの占い師のもとに流れ着く。そこで彼女はこれまでの人生をことごとく言い当てられた上で、今までは不幸せだったのだと断言される。
 思ってもみなかった指摘を受けた混乱のなか追い打ちをかけるように、これから裕福になる、理想の恋人にも恵まれる、と輝かしい将来を予言されるマカベーア。ただ今を生きるしかなかった彼女の視野に突如として未来の希望が立ちあらわれ、そして、〝栄光の瞬間〟が近づいてくる。
 マカベーアの出身地であるブラジル北東部「ノルデスチ」から、リオやサンパウロなど人手不足の都会に移り住む人は数多く、しかもその先では差別を受けがちという。社会からかえりみられることのない登場人物らを造形し、描写してきたロドリーゴもまた北東部の出で、替わりはいくらでもいる不遇な書き手と自分について綴っている。マカベーアらを冷徹に描く筆致のうちにも、人々の悲惨を繊細にとらえる優しい視線が生きているように思えてならない。読み進めるうち、あなたもマカベーアの生の軌跡に愛おしさを感じ始めるだろう。

 

2021年5月書評王:松廣靜典

海外文学初心者です。『星の時』はかわいらしい小さな本で、没頭すればけっこうすぐに読めてしまうので何度か再読するのに助かりました。ただ、ブックカバーの金色が手の脂でだんだん薄れてきたのはびっくりしました。ヒロインに多少入れ込みすぎて、手に汗握って読んでしまったようです。