書評王の島

トヨザキ社長こと豊崎由美さんが講師をつとめる書評講座で、書評王に選ばれた原稿を紹介するブログです。

『フォレスト・ダーク』ニコール・クラウス著 広瀬恭子訳

 ニューヨークに暮らす68歳のエプスティーンは、何事にも精力的に立ち向かい、弁護士としての成功と円満な家庭を築いてきた。しかし両親が亡くなった頃から、不思議な行動をとるようになる。長年連れ添った妻にあらかたの財産を渡して離婚し、友人と共同経営する法律事務所を引退して、高価な美術品のコレクションを次々と手放し始めたのだ。
 同じくニューヨーク在住の〈わたし〉は39歳の女性。夫とは長らく心を通わせていない。作家として国際的知名度を得たが、新作の構想が浮かばずに不眠症気味だ。鬱々とした毎日を過ごすある日、異なる二つの場所に自分が同時にいる感覚を経験。そして、自分が現実だと思っている今の暮らしはすべて夢ではないか、と感じるようになる。
 長編小説『フォレスト・ダーク』の主人公であるエプスティーンと〈わたし〉には、ニューヨーク在住である以外にもいくつかの共通点がある。ユダヤ系であること。イスラエルの都市テルアビブにゆかりがあり、何度も訪れていること。そして、今までの習慣を逸脱する行動だ。計画を立てて着実に実行するのが得意なはずの〈わたし〉は、真夜中に荷造りを始めて衝動的にテルアビブに向かう。言葉で思考を明晰化するタイプのエプスティーンもテルアビブに旅立つが、到着後、ニューヨークで知り合ったラビ(ユダヤ教の聖職者)に招待され、乗り気でもないのになぜか安息日の集まりに出かけていく。
 作者ニコール・クラウスの長編デビュー作は、13歳以降の記憶をなくした36歳の男性が過去を探して試行錯誤する『2/3の不在』。第2作『ヒストリー・オブ・ラヴ』では、14歳のアルマが、1冊の本に登場する自分と同じ名前の少女を見つけようとする。いずれも変種の“自分探し”めいた物語だ。2000年代に流行したこの言葉は、今や辞書にも掲載されており、例えば『デジタル広辞苑』では「それまでの自分の生き方、居場所を脱出して新しい自分の生き方、居場所を求めること」と定義されている。
 主人公の二人も一見、自分探しの旅に出たように感じられる。ただイスラエルでは、積極的に新しい生き方や居場所を求めるというよりは、他人の思惑で思いがけない方向へ運ばれていく。自分探しでなく、むしろ“自分なくし”に突入していくのだ。エプスティーンは、安息日の集まりでラビの娘と出会ったことをきっかけに、映画制作に200万ドル出資することになる。そして〈わたし〉は、親戚の紹介で知り合った初老の男から重大な頼み事をされるが、受けるかどうか決めきれないうちにある事件が起こり、砂漠に建つ一軒家に置き去りにされるのだ。
 作者によれば、本作のタイトル『フォレスト・ダーク』は、ルネサンス期に活躍した詩人、ダンテの『神曲――地獄篇』の訳文からとったものだという。〈人生の旅の半ば/気づけば暗い森(フォレスト・ダーク)のなか/まっすぐ進む道は失われて〉という一節だ。暗い森で自分をなくしていく二人の主人公。そこに、イスラエルと意外なつながりをもつユダヤ系作家フランツ・カフカの「自分なくし奇譚」も絡んで、予測のつかないストーリーが展開する。
 自分なくしは、「ゆるキャラ」ブームの仕掛け人としても知られるイラストレーター、みうらじゅんの造語。エッセイ集『さよなら私』でみうらは、〈“自分”ってやつを無くしていけば(自分に)向いている場所も増える〉と自分なくしの効用を説く。〈わたし〉とエプスティーンは、暗い森での自分なくしで何を得たのか。二人の旅は交錯するのか。
 ちなみに、〈わたし〉の名前は作者と同じニコール。訳者あとがきによれぱ、自伝的な物語ではないそうだが、作者が主人公たちを通じて自分を森に追い込み、きらめく何かをつかんだことは間違いない。「ザ・ニューヨーカー」などアメリカの各媒体で本作が高評価を受けた所以は、そこにあるのだろう。

 

 

  2022年11月書評王:田中夏代

書評講座歴2年。ビジネス系・教育系のライターとして活動しています。本作『フォレスト・ダーク』もそうですが、「読者の数だけ解釈がある」タイプの小説に出会えたときは、うれしくてニマニマしてしまいます。