書評王の島

トヨザキ社長こと豊崎由美さんが講師をつとめる書評講座で、書評王に選ばれた原稿を紹介するブログです。

『水平線』滝口悠生著

 2020年夏、38歳のフリーライター横多平が父島行きのフェリーに乗る。東京から父島まではおよそ1000キロ、まる24時間の船旅だ。島に向かうきっかけとなったのは、八木皆子と名乗る人物からのメールだった。冒頭の挨拶はいつも「おーい、横多くん」。八木皆子は横多の祖母の妹だが、硫黄島から疎開した後に蒸発して以来行方知れずになっている。仮に生きていたとしても、今はもう90代だ。メールによれば、皆子はいま父島に住んでいるという。
 横多の妹で、パン屋で店長をしている三森来未(両親の離婚で苗字が異なる)のもとには、三森忍と名乗る男から電話がある。忍は来未の祖父の血の繋がらない弟で、どこか呑気な喋り方をする。「パンなんか長いこと食ってないなあ」。しかし、忍はとうの昔に硫黄島で戦死したはずだった。
 死者から届く謎めいたふたつの声。だが物語は、現代の兄妹の視点から硫黄島や先祖の過去に迫るという方向には進まない。『水平線』の世界では、生きている者だけでなく、死んでいる者にも等しく語る権利が与えられ、「今」は電話やメールでたやすく死者と繋がり、過去と現在、この世とあの世がゆるやかに交錯する。視点を担う人物が次々と交代しながら、硫黄島にルーツを持つ四世代の物語が展開されていく。
 太平洋戦争末期、硫黄島の住民は強制的に内地に送られたが、16歳以上の男たちは軍属として島に残り、その多くが命を落とした。イクと皆子の姉妹、和美、達身、忍の三兄弟、イクと達身と同級生の重ルは、2020年に30代の横多平と三森来未の祖父母世代にあたり、みな硫黄島で生まれ育った。戦争は彼らの人生を一変させた。和美はサトウキビを搾る締機で手の指を潰して徴兵を逃れ、妻のイク、幼い息子とともに南伊豆に疎開した。達身と忍と重ルは硫黄島に残り、戦死した。15歳の忍は疎開対象のはずだったが、なぜか島に残る羽目になった。
 戦争において、人は意味もなくただ死んでいく。一人ひとりが生きていた時間は一瞬で消えてしまう。〈人間死ぬときは簡単だ。簡単な死なんてないなんてのは、死ななかった奴が死んだ奴をあとから思い出すときに思うことで、死ぬときは簡単に死ぬ。簡単さの極まったところにあるのが死だ。一瞬でころっと死ぬ。一瞬前まで笑ってた奴が、次の瞬間に死んでいる〉。『水平線』が目を向けるのは、戦争に巻き込まれた硫黄島の島民たちが送っていた生の豊かさであり、それは生者の口を借りるのではなく、死者たちによって直接語られる。小説という表現形式の可能性を最大限に活用した自在の語りのおかげで、語る視点の数だけそれぞれの世界が存在していたことが、読者には自然に理解できる。
 青年学校に進む前、裁縫が得意なイクは同級生の達身と重ルの制服を縫い、自分が縫ったとわかるように「子どもの笑顔みたいな刺繍」の徴をつける。〈新しい制服を着たふたりが並んで帰ってきたのを見つけたイクは、ふたりの肩を叩いて立ち止まらせると、上着の裾をまくった。そこにはたしかにイクの徴があった。それから後ろ向きにして足を開かせ、お尻を突き出させて見ると、股のところにもイクのつけた徴があった〉。島民らの他愛もないやりとりや、一人ひとりの目から見た島の情景や家族の風貌、胸に去来する些細な感情の断片。そうした人生の細部がとにかく愛おしく魅力的だ。語りの声に耳を澄ますことで読者は彼らの内側に潜り込み、遠く隔たった硫黄島にいつの間にか連れて行かれる。
 物語の最後にこんな台詞がある。〈その身軽な体で、次はどこに行くの? まだまだ私はあなたの話が聞きたいよ。あなたにもっと話してほしいよ〉。私もまた、『水平線』の揺蕩うような語りの海にいつまでも身を委ねていたくなった。小説を読むことの愉悦を存分に味わえる傑作。

2022年9月書評王:齋藤匠

この夏から書評講座に参加しました。普段は会社員をしながら文芸翻訳をしています。いろんな本や書評との出会いがこれから楽しみです。

水平線

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