書評王の島

トヨザキ社長こと豊崎由美さんが講師をつとめる書評講座で、書評王に選ばれた原稿を紹介するブログです。

マイケル・オンダーチェ『ビリー・ザ・キッド全仕事』福間健二訳

ビリー・ザ・キッド全仕事 (白水Uブックス)

書いた人:悠木みつば(ゆうき みつば)2017年5月トヨザキ社長賞
〆切を過ぎたあとに提出した書評王でもなんでもない書評
1986年名古屋市生まれ 一般市民
一時間に一行くらいのペースで文章を書くことができたり、できなかったりします。
ブログ、あります。http://yukibookreview.blog.fc2.com/

 

 西部劇だ。

 二十一人殺した。二十一歳で死んだ。無法者。ビリー・ザ・キッド。ほかに知られているのは〈ある恋愛沙汰をほのめかすもの〉と〈名前しか知られていない曖昧な友人たち〉だけ。完璧だ! カナダの詩人、マイケル・オンダーチェは思う。

 スリランカで生まれ、アメリカ西部の神話的英雄に憧れていたカウボーイ衣装の少年は。その後も西部劇を見る。たくさん見る。しかし、〈映画はどれも安全すぎる気がした〉。〈悪党たちは必ず岩山から死へと転落し〉〈古い仲間たちは陽気な声をあげながらフェイドアウト〉して消える。そこに〈私たちを混乱させたり、教訓調をおさえたりする「第二幕」は存在しない〉のだ、と悟る。

 カナダに移り二冊の詩集を刊行した。まわりの文芸雑誌には、新しい形式で書かれた様々な〈声〉の作品が並ぶ。良い。とても良い。あるものには作業日誌と詩編が並び、写真とテクストを組み合わせた本もある。そうした手法・視点・声の一つひとつを、全て一篇の作品にまとめあげたらどうなるだろう?

 完璧だ。天啓が訪れる。書くべきは少年期の憧れ。謎に満ちた西部の伝説的人物。資料の空白部は自由を意味する。伝記に書かれていない不明の部分は、全てでっちあげてしまえばいい。

 『ビリー・ザ・キッド全仕事』

 かつての古い西部劇には存在しなかった、驚きに満ちた「第二幕」が始まる。

 オンダーチェの想像力は、二枚の扉だ。西部劇映画に出てくる古びたバーの入り口に、両開きの扉があるのだと思い描いてもらいたい。扉の片方は詩で、もう一方は小説で出来ている。はじまりは、ビリーによって書かれたという想定のいくつかの詩だ。

 殺したものと、殺されたものたちの名前。ブートヒルに二つしかないという自殺者の墓。死肉をついばみ、血管を12ヤードもの長さまで引きずっていくヒナドリ。愛のジュースでばりばりになり、不具になった魔女ほどにもはやく動かせない美しい指。エーテルを飲んでいるみたいないい風。世界のどこでもいちばんやさしいハンターたち。銃の教訓。

 詩によってつくられた世界を、散文が補強していく。

 細部を丁寧につづった美しい文章で書かれた風景に加えて、テキサス・スターによる架空のビリー・ザ・キッドインタビュー。漫画『ビリー・ザ・キッドとお姫様』を文章で再構成したもの。虚構のドキュメンタリー写真までもが挿入され。女性に優しく振舞う紳士としてのビリーを語るサリー・チザムや、かつての仲間であり後に宿敵となった保安官パット・ギャレットのアンビバレントな言葉が小説を立体化していく。

 あらゆるものを詰め込んで語られる物語。そう。それは。西部劇だ。何物にもしばられない無法者の自由を許容していた古きアメリカと、汚らしいごろつきどもを消し去り近代的な所有権に守られた新しい自由都市を建設しようとする資本家たちのせめぎあいの場。

 そこでは多くの血が流れ。昨日の友は今日の敵となり。腰のホルスターから抜かれた拳銃からは、弾丸が。弾丸が。弾丸が発射されて宙を飛び交い。敗れ去ったものは世界から退場していく。しかしその中で、最も自由だった者の魂は、死後も消えることなく繰り返し語られ、芸術家による作品として永遠に残っていく。

  詩と小説、二つの想像力でできた両開きの扉から出ていくと。砂漠の風に吹かれて、ビリー・ザ・キッドがそこにいる。原著は1970年・刊行。詩人・福間健二訳。