書評王の島

池袋コミュニティ・カレッジで開講中の「書評の愉悦ブックレビュー」で王に選ばれた書評を紹介するブログです。

『完訳 ロビンソン・クルーソー』ダニエル・デフォー著・増田義郎訳

 子供の頃、わくわくして読んだ『ロビンソン漂流記』。今回、はじめて抄訳ではなく「完訳」を通読してみて、印象がだいぶ変わったので、意外だったところを中心に紹介したい。
1.ロビンソン社長、カネと奴隷に執着
 遭難するまでに70ページくらいかかる。そのあいだは(モロッコの海賊の奴隷になっていた期間を除き)「どうやってカネをもうけるか」という話をずっとしてる。まぁ、17世紀において、家を出た若者が「身を立てる」とは、どうやって財産を築くかということと同義だということは理解できる。しかし、抄訳では「船乗りにあこがれて」で済まされるのに対して、じつのところは〈成功して金持ちになってやろう〉というのが先で、別に船員になりたかったわけではないのである。難破したあとでも使い道のない金銀を無価値と知りつつ船から運び出したりしている。
 ロビンソンは奴隷も大好きだ。そもそもなぜ難破の憂き目にあったかといえば、ブラジルで自身が経営している農園で人手が足りず、同じような悩みを持つ農園主たちからも頼まれて、黒人奴隷をアフリカから密輸入するための船に責任者として乗り込んだからだ。島でも彼は、蛮人を捕まえて奴隷にするという妄想をたくましくしており、その望みはフライデーを手に入れることで実現したというわけだ。もちろん300年前の常識と現代とはだいぶ違うということが前提ではあるが、一方で聖書を信じ、もう一方で奴隷を求めるという西洋文明のいびつさを、あらためて突きつけられるような気にもなる。
2.ロビンソン、神の子、不思議な子
 解説を除いても文庫で400ページ以上ある「完訳」で、抄訳から増えるのは、サバイバルの具体的な記述もさりながら、宗教や聖書、信仰に対する言及である。もちろん神の存在は精神的な支えとしても大事なのだが、それより圧倒的なのは物質的な援助のほうだ。
 ロビンソンはそもそも「身一つ」で放り出されたわけではない。食品、道具類、銃や帆布など〈ひとりの人間のものとしては最大といっていいと思うあらゆる物資〉を恵まれての無人島生活スタートなのだ。
 他にも奇蹟は数え上げればきりがなく、熱帯で麦が栽培できちゃうとか、マラリアをタバコで完治させちゃうとかもその一例。仰天したのは野生のヤギをとっつかまえて牧場をつくっただけではなく〈しまいにはバターやチーズをつくれるようになって〉の部分だ。バターはともかく、チーズには乳を凝固させる酵素が不可欠で、それを得るには哺乳期間中の仔ヤギから第4胃袋を取り出す必要があるはずだが、これを〈あらゆる生き物に食物を与えてくれる自然は、どのようにして食べるかも自然に教えてくれるものだ〉で済ませるには、相当量の奇蹟が必要と思われる。これで神に感謝しなければ罰が当たるというものである。
3.ミニ帝国主義君主・ロビンソン翁
 島を脱出したロビンソンは、最初の望み通り大金持ちになる。そのときすでに54歳にはなっていたはずだが、のちに結婚し〈息子ふたり、娘ひとりの三人の子を得た〉とある。17世紀の人間の寿命から考えたら、たいしたものである。さらに62歳で〈例の島のわたしの新植民地〉を訪れ、〈後継者であるスペイン人たちに会い〉、そのうえでブラジルから〈いろいろな補給品のほかに、七人の女性を送った〉というのだが、よくそんなところへ行く若い女性を探し出せたものだ。なにか訳ありか、非合法な手段を使ったのではないだろうか。
 以上、「完訳」を読む限り、カネに汚く、奴隷に執着する農園主が、数々の奇蹟に恵まれ、老後にプライベート植民地を獲得・経営するというロビンソンさんの物語は、わくわくする冒険譚としてより、18世紀当時の帝国主義的な妄想が大衆レベルに落とし込まれた麻薬的な劇物として扱うほうが正しいのではという結論にいたったものである。

2018年11月書評王:山口裕之

古典の書評は、自由でいいですねー。講座では「次回は『巌窟王モンテ・クリスト伯)』をとりあげます」としないのかというコメントが。たしかに面白そう。