書評王の島

トヨザキ社長こと豊崎由美さんが講師をつとめる書評講座で、書評王に選ばれた原稿を紹介するブログです。

夏休みにお薦めしたい1冊『言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』

 旅行に行くのはお金がかかるし面倒、でも家でじっとしているのもつまらないという人におススメしたい夏休みのお出かけスポットが、芸能事務所や制作会社主催のお笑いライブだ。新宿・渋谷・下北沢を中心とした劇場・ライブハウスで毎日のように行われていて、2,000円前後のチケット代で、何組もの芸人たちのネタが見られる。8月はコント日本一を争う大会「キングオブコント」の予選が終盤を迎え、さらに結成15年以内の若手漫才師日本一を決める「M-1グランプリ」の1回戦もスタートしている。若手が調整のためにライブで勝負ネタを披露することも多い夏は、面白いネタを見るのに絶好の季節なのである。
 そんな賞レース最中のライブを、読めばより楽しめるようになる一冊が、漫才コンビ「ナイツ」のボケ役・塙宣之による語り下ろし本『言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか』だ。M-1には2001年の第1回から出場、3回も決勝に進出したナイツがなぜ優勝できなかったのか。本書はその「言い訳」という形で語られる、M-1論・漫才論なのである。
 塙が本書で前提とする、現時点で関東芸人はM-1で勝てないという理由は、第1回大会にある。「中川家」が日常会話の延長線の芸である「しゃべくり漫才」で初代王者となって以来、M-1しゃべくり漫才の若手日本一を決める大会だという認識が、出場者や関係者の間で生まれたのだ。そうなると、子供の頃からボケ・ツッコミの掛けあいで会話をする文化のある関西出身の芸人は強く、しゃべくりの領域で関東芸人が勝つ可能性は限りなく低い。
 関東の芸人がM-1で勝つにはどうすればいいのか。塙が考える勝つための手段とは〈優れたネタを考え続ける〉と、至ってシンプルだ。本筋ではない自虐や内輪話で笑いを取りにいくのは、ネタに自信がない証拠。それよりも古典落語くらい話の筋のしっかりした台本を作るところから始めるべきだと、塙は関東の若手たちに訴える。でも、いい台本だけでは勝てないのだ。〈M-1の「傾向と対策」は存在します。できることはしたほうがいい。でも最終的には、今の「自分」で戦うしかない〉と、塙は自身の経験を語っている。
 自分たちの漫才の型が見つからず、流行りのスタイルを真似てみたり、試行錯誤していた駆け出しの頃のナイツ。ある時、塙は気付く。ネタの中で好きな野球や相撲の話をしている時は、よどみなく自然と言葉が出てくる。そこに元々得意でウケもよかった小ボケを加えれば、借り物ではない漫才の形になるはずだと。そこから生まれたのが、〈ヤフーで調べました〉を〈ヤホーで調べました〉と言い間違えるつかみから始まり、例えばイチローの情報について塙が細かくボケては、相方の土屋が誤りを訂正していく「ヤホー漫才」だった。
 ようやく手にしたオリジナルの漫才を武器に、ナイツは2008年のM-1で快進撃をみせる。ところが、決勝には進出するも結果は3位。一体、何が足りなかったというのか。ここから話は、2018年大会に審査員として参加した塙が感じた「新しさ」と「技術」の間で揺れ動くM-1の評価軸や、非関西弁かつ吉本興業所属外で優勝した「アンタッチャブル」と「サンドウィッチマン」にはあってナイツにはなかった「強さ」、さらに「爆笑問題M-1に出場したら、優勝できるのか?」「ダウンタウンが時事漫才をしたらどうなるのか?」にまで広がっていく。
 あらゆる角度から、M-1で関東芸人が優勝する方法について考察していく本書。プロの漫才師が論理的に語る笑いの構造とは、こんなにもおもしろいのかと驚かされる。ただし、関東芸人から現実に優勝者が出ない限り、正解が見つかるわけではない。そしてヒントは、今どこかのお笑いライブに隠されているかもしれないのだ。

2019年9月書評王:藤井勉
リアルサウンド ブック」で書評を書いております。
https://realsound.jp/book
共著『村上春樹の100曲』(立東舎)が発売中です。
http://rittorsha.jp/items/17317417.html

梨木香歩『椿宿の辺りに 』

椿宿の辺りに

書いた人:横倉浩一 2019年7月書評王

都内私立男子校の国語教師。徳之島の闘牛を愛し、毎年GWにかの地を訪れることを恒例としている。バツイチ独身、からの最近再婚。

 

 この春、私の尻にメスが入った。命に関わる宿痾ではない。しかしあれは予期せぬタイミングで小さな、あるいは時に尋常でなく大きな決壊を引き起こして宿主に深刻な痛みをもたらし、プライドを削る。いつ、それが襲うか分からないという意味では内なる自然ともいえる。また、執刀医によれば、この病は人類が二足歩行を始めたことに淵源する進化の副産物らしい。直立することで尻の位置が心臓より下になり、垂直に降りてきた血流が左右に分かれるその地点で滞りが生じる。それが発症のメカニズムだ。つまり罹患者は、人類進化の負の遺産、負の宿命の体現者でもあるといえるのだ。

 頭痛・腰痛・頸椎ヘルニア・三十肩に気鬱。痛み・痛み・痛み。古事記神話にちなんで山幸彦(以下山彦)と祖父に名付けられた『椿宿の辺りに』の主人公の日常は、心身をさいなむ〈痛み〉のオンパレード。

「山幸、これ、おかしいよ、なんで私たちだけ、こう次から次へと痛みが襲ってくるの?」

そう語るのは同じ祖父にあたかも神話の兄弟のごとく命名された従妹・海幸比子(以下海子)。自己免疫疾患を患う彼女もまた〈痛み〉を生きる山彦の同志だ。

 そんな〈痛み〉に満ちた日常に変化がもたらされるのは、曾祖父の代から長らく人に貸して訪れることもなかった実家・椿宿を山彦がたずねてから。海子の紹介で仮縫鍼灸院を訪れた山彦は、そこで死霊・神霊と交感する力を持つとされる亀シに引き合わされ、彼女を通じて今は亡き名付け親の祖父・藪彦からある依頼を受ける。また、亀シによれば、山彦の〈痛み〉を解きほぐす〈ツボ〉もどうやら椿宿にあるという。

 もともと人生の〈当事者〉になることを避け消極的に生きてきた山彦。しかし耐えがたい〈痛み〉によって転がりだした日常は、否応なく彼を人生の〈当事者〉にしていく。

「私がやります」

それは多分、これまで山彦がほとんど口にしたことのなかったセリフ。しかし椿宿でたまたま出会った珠子(のちに妻となる)に対して男気を見せようとしたのか、山彦にしては珍しくこのセリフが連発される。そしてある時、唐突にその瞬間がやってくる。

〈未だかつて味わったことのない「主人公」感覚〉

 それはほんの些細な行動ではあったが、その時味わった〈何か画期的な偉業を成し遂げた昔話の主人公になったような〉達成感は、珠子をして〈あなたはあれを境にして変わった〉と言わしめる確かな変化をもたらした。

 山彦の〈痛み〉はかつてこの椿宿の屋敷で起きたあるお家騒動にまつわる、あるいはこの地の稲荷信仰にまつわる、あるいは数千年単位の地殻変動や火山活動にまつわる、あるいはその治水にまつわる多種多様な因縁が複雑に絡みあった結果の現象だということが次第に明らかになっていく。ただ、明らかになったところで、ほとんど為す術はない。にもかかわらず、山彦の〈痛み〉には変化の兆しが見えてくる。その変化の中で山彦は〈痛み〉に関するいくつもの気づきを得る。

 〈痛み〉は誰とも共有し得ないが、〈だからこそこれだけは自分のものである〉。

 〈痛み〉とは〈生きる手ごたえそのもの、人生そのもの〉である。

深刻な痛みを経験した者なら深く納得できるだろう。私の尻の痛みもまた、決して誰とも共有し得ない世界でたった一つの花、真に私だけのものだった。

 一方、山彦の〈痛み〉の変化だが、それは彼の〈痛み〉に対するある一つの覚悟に由来する。

負の遺産として引き継がれたものだとしても、それはミッションで、引き受けるよりほか、道はない〉

 引き受ける。〈主人公〉とはそういうものか。

〈共存共栄、これに如くはなし〉!

 ある場面で亀シが叫んだ言葉が本作全体を貫くテーマだ。だけど、個人的には今しばらく共存なんてご勘弁願いたい〈痛み〉もある。例えば痔瘻にともなうそれ、のような。

椿宿の辺りに

椿宿の辺りに

  • 作者:梨木 香歩
  • 発売日: 2019/05/13
  • メディア: 単行本

【作家紹介シリーズ】少年アヤ

 日記文学、というジャンルがある。平安版・夢見るオタク少女の回想記である『更級日記』、何気ない出来事を独特の観察眼で綴った武田百合子の『富士日記』など、日々の記録から生活を覗き見しつつ追体験できるような親近感と、そこから浮かびあがる社会の空気感を味わえるのが魅力の日記文学界に、平成生まれの新星が現れた。その名を少年アヤという。
 学生時代からWEB上で綴っていた日記が評判となり、2014年『尼のような子』を出版。<好きな男の子が、ドライブへ連れていってくれました>ではじまる本書には、その男の子にふられるまでの顛末、失恋の傷を埋めるように韓流アイドルに依存してグッズを買い漁る日々、露出狂との遭遇や肛門を患っての病院通い、という欲望のままに迷走する様子が自虐と笑いのオブラートで包んだ言葉で描かれている。
 この頃のアヤちゃんは「おかま」を自称していて、そのラベルを自ら貼り付けることで世の中と折り合いをつけ、コンプレックスを喜劇に昇華するべく日記を綴るようなスタイルだった。ところが二作目の『少年アヤちゃん焦心日記』では、客観的な視点で自分をネタにする手法はそのままに、「男らしさ」を期待されて傷ついてきた幼少期や、揺らぐセクシュアリティについての葛藤など、自己の内面を真摯に見つめる描写が目立つ。満員電車で痴漢にあったこと、高校時代に付き合っていた彼女のこと。そして自分の中の<おとこのこの解放>と称してその彼女と再会した後の行動には、正直はらはらがとまらない。どこに向かっているのだろう、アヤちゃんは。しかし、この心のうつろいこそが日常を活写するリアルであり、日記文学の醍醐味ではないだろうか。一日一日をつぶさに観察した記録としての生身の言葉。それは小説とは違う強さで胸を打つのだ。
 そして彼は「おかま」の自称をやめる。ラベルを剥がしてまっさらになった心境の変化が、三作目『果てしのない世界め』に表れている。<ぼくは、ずっと自分の性別がわからなかった>と告白し、<ピストルやミニカーを欲しがるような、ふつうの男の子>じゃなかった自分と家族との関係を、私小説風に描いているのだ。ドレスを着たお姫さまの人形を買ってくれた祖父と、それを罪人のような顔で見つめる母親。過去の記憶や傷をこまかく掬いあげ、物語として再生するような詩情あふれる文章も素晴らしいけれど、ドライブ感とキレのある日記はもう読めないのかな、と少々寂しく思ってもいた。
 しかし嬉しいことに最新刊『なまものを生きる』は、原点回帰となる日記エッセイだ。なんとアヤちゃんは<びんぼうになっちゃった>そうである。実家を出て一人で暮らしているのにバイトもせず、ヤフオクで昔から集めていたおもちゃを売って生活しているのだから、そりゃそうだ。でもそれでいい、と彼はいう。おかまという着ぐるみで自分をごまかして社会と関わっていた頃よりも、<弱々しくても、臆病でも、ただの自分である方がずっといい>のだ、と。どんなデコボコな道を歩んでアヤちゃんがそう信じられるようになったかを、これまで著作を読んできた人は切ないほど知っている。だからこそ、応援せずにはいられなくなってしまう。あいかわらず、すぐお腹を壊したり歯医者トラブルに巻き込まれたりしているけれど、以前よりほんの少し風通しよく、同じくびんぼうな友人たちに支えられながら日常を楽しんでいる様子がたのもしい。
 そう、この本は巻末の謝辞に記されているように<友人たちへ>と向けられたものだ。男や女である前にその人なのだ、ということを思い出させてくれる現実の友人たちへ。性別によって価値観が制限されることなく、誰が何を愛そうとそれでいいのだと知っているすべての人々へ。そしてこれからこの本を読むであろう人が、男の子だからってキラキラした可愛いものを好きだと言えないような不自由な時代があったなんて!とおどろく日が、そう遠くない未来にくるはずだ。彼の繊細すぎる魂から紡ぎ出された言葉には、そんな風に願いたくなる力が秘められている。

2019年8月書評王:小林紗千子
少年アヤちゃんといえば、昔イベントでサインをもらう時に名前を告げたところ「マジで〜!」と大笑いしていたことを思い出します。かわいかった。 

【紹介した本】 

尼のような子

尼のような子

  • 作者:少年アヤ
  • 発売日: 2014/03/03
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 
少年アヤちゃん焦心日記

少年アヤちゃん焦心日記

  • 作者:少年アヤ
  • 発売日: 2014/07/15
  • メディア: 単行本
 
果てしのない世界め

果てしのない世界め

  • 作者:少年アヤ
  • 発売日: 2016/12/19
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 
なまものを生きる

なまものを生きる

  • 作者:少年アヤ
  • 発売日: 2019/06/19
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

【作家紹介シリーズ】門井慶喜

書いた人:関根弥生 2019年5月書評王
初の書評王に興奮覚めやらぬ翌週、『夢の日本の洋館』発刊記念のトークイベントに行ってきました。直に聴く門井さんの〈建築ウンチク〉は、まさに圧巻。至福のひと時でした。

ぼくらの近代建築デラックス! (文春文庫)

ぼくらの近代建築デラックス! (文春文庫)

  初めに「この人すごいなぁ」と思ったのは、『僕らの近代建築デラックス!』でした。『プリンセス・トヨトミ』などで人気の小説家万城目学氏と共に、大阪にある辰野金吾日本銀行や東京駅を設計した超メジャー級建築家)の作品を皮切りに、京都、神戸、横浜、東京(文庫版では台湾編も所収)に遺る近代建築を巡りながら、二人が語るあれやこれやをまとめた1冊ですが、この「あれやこれや」の中身が実に濃いのです。 
〈建築ど素人〉を名乗りワトソン役に徹して、見るもの全てに鋭く(ほぼ)感性(のみ)で果敢に斬り込んでいく万城目氏に対し、門井慶喜氏(ペンネームではなく歴史好きの父が名付けた本名)は、建築様式から時代背景、手がけた建築家や施主の半生などなど溢れんばかりの〈建築ウンチク〉を披露します。その圧倒的な質量にも関わらず、鼻につくような嫌味が一切ないのは、建築物のみならず、困難な時代にそれを建て、守ってきた人々への敬愛の念が、蓄積された知識を汲み上げるポンプとなっているからでしょう。

美術探偵・神永美有 天才たちの値段 (文春文庫)

美術探偵・神永美有 天才たちの値段 (文春文庫)

  門井氏は2003年、少年が起こした狂言誘拐を描いた短編ミステリ「キッドナッパーズ」でデビューして以降、『天才たちの値段』など美術品の真贋を舌で(!)見極める美術探偵・神永美有シリーズや、明治期に近江商人となった建築家メレル・ヴォーリズの一代記『屋根をかける人』など、建築、美術、歴史上の人物をテーマとした多くの作品を上梓しています。

マジカル・ヒストリー・ツアー ミステリと美術で読む近代 (角川文庫)

マジカル・ヒストリー・ツアー ミステリと美術で読む近代 (角川文庫)

  2016年に日本推理作家協会賞(評論その他の部門)を受賞した『マジカル・ヒストリー・ツアー』は、英国史上最悪の王として名高いリチャード三世の肖像画や、当時は酷評されたマネの「草上の昼食」などの絵画と、名探偵ホームズが誕生した『緋色の研究』や、中世イタリアの修道院を舞台にした連続殺人事件『薔薇の名前』などのミステリを手掛かりに、「近代」とはどのような時代であったのかをスリリングに読み解いていく快作です。
 できるだけ〈わかりやすく書くこと〉を自身に課した、とあとがきにある通り、情報量は膨大かつ縦横無尽でありながら、非常にリーダブル。〈むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく〉とは、かの井上ひさし氏の言ですが、門井作品はどれもさらりとこれを実践しているのです。

【第158回 直木賞受賞作】銀河鉄道の父

【第158回 直木賞受賞作】銀河鉄道の父

  直木賞を受賞した『銀河鉄道の父』では、詩人で童話作家宮沢賢治の父、政次郎に焦点をあて、現代にも通じる父と子の愛情や葛藤を描き出しました。花巻の豪商で町会議員も務めた人物ですが史料はないに等しく、丹念に事実を拾い出すのは〈砂金を集めるよう〉だったと語っています。そして、評伝ではなく小説という手法をとることで、赤痢に罹った賢治を病院に泊まり込んで看病したり、高価な標本箱を買い与えたばかりか、長男である賢治が家業を継がず創作の道に進むことを煩悶しながらも黙認したりといった、厳格なように見えて、当時としては相当に型破りで親バカな政次郎像を鮮やかに浮かびあがらせました。
 尽きせぬ興味と調査力に裏打ちされた知識、資料の行間を埋める想像力と、難しいことも平易に伝えられる豊富な語彙、そして、一貫して〝人″に向けられるまなざしの温かさ。これらの類稀なる融合が、門井慶喜氏の真骨頂なのだと思います。

日本の夢の洋館

日本の夢の洋館

  このほど、もっと〈建築ウンチク〉を!の願いが天に届いたのか、『夢の日本の洋館』が刊行されました。華麗ながら〈意外にも内装が戦争くさい〉迎賓館赤坂離宮や、新一万円札の顔となる近代経済の父、渋沢栄一の〈理想のさびしさ〉が体現された青渕文庫など、明治から昭和初期までに建てられた洋館31棟の美しい写真と、門井氏による語り口そのままの解説は3,800円+税以上のお値打ち。惜しむらくは、舌鋒鋭いワトソン君の不在ですが、それはまた次回に乞う期待ということで。

 

【紹介した本】
・『ぼくらの近代建築デラックス!』万城目学・門井慶喜著/文藝春秋(文春文庫)
・『キッドナッパーズ』文藝春秋(文春文庫)
・『天才たちの値段』文藝春秋
・『屋根をかける人』角川書店
・『マジカル・ヒストリー・ツアー』角川書店(角川文庫)
・『銀河鉄道の父』講談社
・『夢の日本の洋館』枦木功写真/エクスナレッジ

田中小実昌『新編 かぶりつき人生 』

新編 かぶりつき人生 (河出文庫)

書いた人:白石秀太 2019年2月書評王
目下フランク・ミラー作『シン・シティ』にドはまりしています。大大大傑作コミックです。


 さぁさぁお立合い。御用とお急ぎでなかったら、ゆっくりと聞いておいで見ておいで。あと一年で当ミレニアムも二十年となるわけだが今ここに取り出した「G線上のアリャ」という本。ここに収められているのは同じ二十でも昭和二十年代、戦争が終わって間もないころのお話だ。
 米軍兵舎の炊事場に〈アイ・ウオンナ・ジョッブ〉といって現れたのは、復員したばかりの田中小実昌、ひと呼んでコミさんだ。ゼニも欲しいが栄養も欲しい。失敗作の料理を失敬する妙技を体得したがちょうどそのころクビになり、向かった先は渋谷の東横デパート。四階には劇場つまりコヤがあって、その雑用係になった。客寄せにコヤがストリップを始めたところ大賑わい、一階までエロを求める列ができたが、栄枯盛衰は世の習い、火事でコヤはあっけなくグランドフィナーレでコミさん再び〈アイ・ウオンナ・ジョッブ〉となった。
 続いて転身したのが将校クラブのバーテンダー。コミさん再び妙技炸裂、酒をくすねたりしていたのだが、将校の私物盗難事件がおこって容疑者にされてしまった。疑いは晴れたがクビにされて〈アイ・ウオンナ・ジョッブ〉。そこで入ったテキヤの世界。易者、通称ロクマとなりあちこちで筮竹(ぜいちく)をジャラジャラ、エイッとやった。テキヤは隠語、チョウフの世界でもあって、祭礼は〈タカマチ〉で客は〈キャア〉、賭博は〈ブショウ〉で東京ですら〈ドエ〉ときて、猫も杓子も隠すもんだから面白い。
 闇市でもなきゃロクなモノがなかったころ、からだ一つで稼ぐしかない、その気軽さを気に入ったコミさんが、ときに厄介ごとに巻き込まれたりしながら、食いぶちを求めて流れていく、戦後〈ジョッブ〉放浪記ともいうべきエッセイだ。
 続いてはこの本の看板を背負う「かぶりつき人生」のご紹介だ。〈かぶりつき〉とはご存知客席の一番前のことで、ストリッパーの〈脚〉、〈おヒップ〉、〈ばすと〉の楽しみ方や、時のストリップの名所、浅草の各コヤを紹介する〈ストリップ考古学〉なんかをコミさんが最前線からお届けするのがこの一編だ。
 おっと財布を出した学生さん、兵は拙速を尊ぶとはいうが、これがただのストリップ観察記だと思ったら大間違い。踊り子たちの人生にも目を向ける。
 たとえば新潟から東京に来た女についてはこう。収入はひと月約五万円、そこから衣装代月七千円、あし代三千円、家の部屋代が光熱費込みの一万円、そして食費と保険料と仕送りをひいて、手元に残るのがやっとこれくらい。……といったぐあいに、ストリッパーの生活にだって〈かぶりつき〉から観察だ。
 いやしかしだ、〈かぶりつき〉ぐあいでいったら広島からきた女だろう。というのも何を隠そうちょっと良い仲になった相手なんだから。中学を出ずに働き出したソバ屋を皮切りに飲み屋、ドサ廻りの芝居、そしてストリップ一座へと移り、その旅先でマネージャーにギャラを持ち逃げされたところで女が出会ったのがコミさんだった。流れ者どうし、気が合ったんだろうか。そして驚きなのはコミのミミ、耳だよ。しょっちゅう脱線する女の話をことこまかく覚えていて、ときには1ページ以上、広島弁もそのままに彼女の言葉を引いてきちゃう。 しかも〈録音でもするみたいに、記憶につつみこまれているせいだろう〉なんてとぼけるところも、いや、にくい。
 自由気ままに流れていった先々で、巡り合った人たちの声を頭の中でつつみこむ。この本をひらけばコミさんが集めたそんな声がまるで聞こえてくるようなんだ。
 この二編に、「ヌード学入門」、「こみまさ=ヌード・ゼミ」という、東京や大阪のストリップ劇場をめぐる、東西ストリップ見聞録ともいえる二つも加わって、しかも文庫本なんだから買って損なし間違いなし。全国の書店さんの在庫もあとわずか、こないだ新宿で一冊みかけたが、あれもいま誰んとこの子になったかわかりゃしない。ここにあるのも現品限りの在庫なし。そうと分かれば遠慮はご無用、税別780円だッ。

新編 かぶりつき人生 (河出文庫)

新編 かぶりつき人生 (河出文庫)

「ビッグ・クエスチョン」に魅せられたい人に薦める3冊

書いた人:山口裕之 2019年4月書評王
朝、ちょっと早く出て、出勤前にあちこちの立ち食いそばを食べてます。人形町「福そば」で食べた春菊天玉480円が絶品でした。

 

 車イスの天才・ホーキング博士(※1)は、2018年3月に76歳で亡くなった。アインシュタイン以降ではもっとも有名な科学者だったかもしれない彼の“遺作”として、没後に刊行されたのが『ビッグ・クエスチョン 〈人類の難問〉に答えよう』。「宇宙はどのように始まったのか?」「ブラックホールの内部には何があるのか?」といった自身の専門分野の質問から「神は存在するのか?」「人工知能は人間より賢くなるのか?」といったものまで多岐にわたる「難問」に対して、ユーモアを交えながら、誰にでもわかる言葉を使って答えている。〈最後に言いたいのは、基本粒子の集まりにすぎない私たち人間が、自分たち自身を支配する、そしてまた私たちのこの宇宙を支配する法則を理解できるようになったという事実は、偉大な功績だということだ。私は、本書に取り上げたビッグ・クエスチョンを考えると胸が躍るし、それらを探求することに情熱を傾けている。その興奮と情熱を、みなさんに伝えたいのだ〉。晩年には比喩でなく「指一本」動かすことさえできなかった彼の内側には、最後までこの熱が持続していた。

ビッグ・クエスチョン 〈人類の難問〉に答えよう

ビッグ・クエスチョン 〈人類の難問〉に答えよう

  数学の世界にも、さまざまな「ビッグ・クエスチョン」がある。なかでも一般人でも不思議さがわかる特別な謎を紹介しているのが『「無限」に魅入られた天才数学者たち』。「無限」といえば、数えられない、果てがない、というイメージが浮かぶが、数学的には「無限」にも「種類」や「大小」がある。それを発見した19世紀の数学者・カントール(※2)の生涯を中心に、「無限」の深淵を垣間見せてくれるのが本書。たとえば「0から1までの区間には、0から2までの区間と同じだけの数がある」とか、「0から1の間にあるすべての有理数(※3)を1から引いても1になる」とか「自然数(※4)の無限は、実数(※5)の無限よりランクが低い」とか……本書の記述以上にかみくだいて説明できる自信がないので謎だけを挙げてみたが、これらが気になる人はぜひ読んでほしい。

   生物学で長らく最大の謎のひとつとされてきた遺伝暗号。その解ともいうべきDNAの二重螺旋構造を1953年に解き明かしたワトソン&クリックの若いほうであるワトソン(※6)が、発見の15年後に発表したのが『二重螺旋』だ。じつに生々しい筆致で当時の研究者コミュニティが描き出されていて、発表直後から物議を醸すと同時にベストセラーになったというのも頷ける。ただのゴシップという批判もあったようだが、とんでもない。ふたりの業績が同時代の多くの科学者の研究に支えられていたということ、手厳しい批判と思えたものがきっかけとなって決定的なアイデアの飛躍が生まれたのだということ、科学者コミュニティにおける競争と仁義の微妙な関係など、その中身は科学啓蒙書というよりレースの裏側を描いたスリル満点のノンフィクションというのがふさわしい。日本では2015年に発売された“完全版”では、大量の脚注が施されている。当時は「主観的」だと批判されたワトソンの記述がとことんまで裏付けされているという点で、また豊富な写真や図版・解説で読み物として飛躍的に面白くなっているという点で、ぜひ“完全版”をおすすめする。

二重螺旋 完全版

二重螺旋 完全版

  ビッグ・クエスチョンは、研究者だけのものではない。科学とテクノロジーが答えを出したとして、それを〈実際に応用するためには、知識と理解のある人間が必要になる〉とホーキング博士も書いている。ところで、上掲書はすべて、青木薫氏の訳によって日本版が刊行されている。『フェルマーの最終定理』『暗号解読』などのベストセラーで知られるサイモン・シン作品の翻訳も彼女だし、自ら著した『宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理宇宙論』(氏は素粒子論で理学博士を取得)も素晴らしい。どんなに難しそうな分野の本でも、「青木訳なら読み通せる」。手の故障のため音声入力で仕事をしている(※7)そうで、心配しつつも1冊でも多く氏の仕事を読みたいと思ってしまうわがままな私なのである。


=紹介した本の一覧=
*『ビッグ・クエスチョン 〈人類の難問〉に答えよう』(著:スティーヴン・ホーキング、訳:青木薫/NHK出版)
*『「無限」に魅入られた天才数学者たち』(著:アミール・D.アクゼル、訳:青木薫早川書房
*『二重螺旋 完全版』(著:ジェームズ・D. ワトソン、訳:青木薫/新潮社)
*『フェルマーの最終定理』(著:サイモン・シン、訳:青木薫新潮文庫
*『暗号解読(上・下)』(著:サイモン・シン、訳:青木薫新潮文庫
*『宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理宇宙論』(著:青木薫講談社現代新書


※1 ブラックホールの研究で画期的な業績を残した理論物理学者。『ホーキング、宇宙を語る』(35カ国語で翻訳され、2500万部以上を売り上げた)をはじめとした著書で一般人にもわかりやすく科学の魅力を紹介。そしてなにより21歳にして「余命5年」とも言われる筋萎縮性側索硬化症(ALS)に冒されながらも50年以上にわたって精力的に研究、講義、執筆を続けた超人。
※2 1845年ロシアに生まれ、ドイツで活躍したユダヤ系の数学者。1918年没。「長さ1の直線と、一辺が1の平面に同じだけの点がある」ということを自分で証明しておいて、友人に「我見るも、我信ぜず」と書き送ったというお茶目な人。精神を病み、サナトリウムで病没。
※3 分数で表現できる数のこと。
※4 いわゆる1,2,3……といった正の整数のこと。
※5 数直線上に書ける数ぜんぶのこと。つまり虚数は含まない。虚数って何? iだよi(面倒になったらしい)。
※6 1928年シカゴ生まれ。1962年にノーベル賞受賞。2007年の人種差別発言で名声が地に落ち、経済的に困窮してメダルを競売にかけたとか。いろいろうっかりさんなのは昔から変わらないらしい。
※7 書き下すのは音声入力で問題なくても、推敲がたいへんだとか。お大事にしてください。

【作家紹介シリーズ】今こそ読み返したい永沢光雄

書いた人:林亮子 2019年3月トヨザキ社長賞
法律関連出版社勤務。永沢光雄ファン歴20年。折に触れては何度も読み返しています。『AV女優』は第2弾の『AV女優2――おんなのこ』もおすすめです。Kindle版もあります。

 

 永沢光雄さんへ。2006年11月1日、酒の飲み過ぎによる肝機能障害で、47歳という若さで貴方がこの世を去ってから、早いものでもう干支が一回りしてしまいました。巷に溢れる「平成を振り返る」的特集を見て私は、(90年代~00年代を駆け抜けた名ライター・永沢光雄に言及せずして何が“平成を振り返る”だ!)と、思うんです。

AV女優 (文春文庫)

AV女優 (文春文庫)

 

  私が永沢さんの著者を初めて手に取ったのは、90年代後半、高校生の時。大人への漠然とした反抗心を持ちつつも、一方で、大人の世界をちょっと覗いてみたいという矛盾した思いを抱えながら日々を過ごしていた折、本屋で目に入ったのが、雑誌連載のインタビュー記事をまとめた『AV女優』(文春文庫)でした。風俗誌の連載でありながら、決して扇情的でなく、一人ひとりの人生を丁寧に紡いでいく語り口。当時30代だった永沢さんよりもずっと若い女優たちに敬意を払いつつ、相手の魅力を引き出していることが伝わる文章。まるで私小説かのような文体、構成にあっという間に引き込まれていきました。思えば、物事に対する先入観を一度捨てて、フラットな状態で接してみるという姿勢を永沢さんの『AV女優』で教えられた気がします。

強くて淋しい男たち (ちくま文庫)

強くて淋しい男たち (ちくま文庫)

 

  また、第一線で活躍するスポーツ選手たちへのインタビュー集『強くて淋しい男たち』(ちくま文庫)の「長嶋茂雄」の項で、私は後世に残すべき名コラムに出会いました。永沢さんは、長嶋茂雄本人にインタビューすることなく、それどころか、元・全国全共闘連合副議長の秋田明大という、ぜんっぜん関係ない人物を追いかけインタビュー相手とすることで、長嶋茂雄という人物を炙り出す離れ業をやってのけたのだから。こうしてコラム記事の書き方一つを見ても、永沢さんがさまざまな表現方法に挑戦しようとしていたことが分かります。それもそのはず、貴方は子どもの頃から小説家を目指していた。『AV女優』を始めとする数々のルポルタージュで一定の評価を得た後、永沢さんは『すべて世は事もなし』(ちくま書房)、『恋って苦しいんだよね』(リトルモア)等の短編集で小説家としてもデビューします。新宿二丁目の近くに居を構えていた永沢さんが描く、私小説とも読める掌編たちは、いろんな境遇にいる人間の愛すべき“ダメさ”をユーモラスかつ丁寧に描いていて、読んでいると「人間って、これでいいんだよな」と、なんだか全て許せそうな気がしてくるのです。永沢さんは自分の“ダメさ”も絶妙な匙加減で登場させているから読むほうも信頼できるし、物語に温かみを感じられる。それは、亡くなる4年前の2002年に下咽頭ガンに侵され、声帯を除去したときの闘病生活を綴った『声をなくして』(文春文庫)でも変わることはありませんでした。インタビュアーとして命ともいうべき声を失って以後のすさまじい闘病生活を描きながらも、なぜか笑えてしまう。しかも古今東西さまざまな作家たちの小説がちょこちょこ顔を出し、小説好きにとって楽しい読み物にまでなっている。あくまで“読者を楽しませる”という姿勢を崩さないのです。

 

すべて世は事もなし

すべて世は事もなし

 

 

声をなくして (文春文庫)

声をなくして (文春文庫)

 

  永沢さんはずっと自分のことを「女にモテず、アル中で、酒を飲みながらでしかインタビューも執筆もできない風俗ライター」と描くけれど、それはあくまで表面上のもの。永沢さんの粋で軽やかでユーモアに溢れた文章を支えているのは、それまでに積み上げられた膨大な読書量と、文学及びそれを読む人に対する誠実さなんですよね。澁澤龍彦からジュンパ・ラヒリまで、世界の名だたる作家を、私は永沢さんの風俗ルポで知ったんですよ。
 ああ、つくづく永沢さんのようにフェアで優しいまなざしを持ち、粋な文章を書く人に、次世代に活躍する人々のインタビュー記事を書いてほしい。だから、永沢さんの作品を広めることで、その文章を書くことへの姿勢を後世の人間に伝えなければならないと、私は真面目に考えているのです。