書評王の島

池袋コミュニティ・カレッジで開講中の「書評の愉悦ブックレビュー」で王に選ばれた書評を紹介するブログです。

梨木香歩『椿宿の辺りに 』

椿宿の辺りに

書いた人:横倉浩一 2019年7月書評王

都内私立男子校の国語教師。徳之島の闘牛を愛し、毎年GWにかの地を訪れることを恒例としている。バツイチ独身、からの最近再婚。

 

 この春、私の尻にメスが入った。命に関わる宿痾ではない。しかしあれは予期せぬタイミングで小さな、あるいは時に尋常でなく大きな決壊を引き起こして宿主に深刻な痛みをもたらし、プライドを削る。いつ、それが襲うか分からないという意味では内なる自然ともいえる。また、執刀医によれば、この病は人類が二足歩行を始めたことに淵源する進化の副産物らしい。直立することで尻の位置が心臓より下になり、垂直に降りてきた血流が左右に分かれるその地点で滞りが生じる。それが発症のメカニズムだ。つまり罹患者は、人類進化の負の遺産、負の宿命の体現者でもあるといえるのだ。

 頭痛・腰痛・頸椎ヘルニア・三十肩に気鬱。痛み・痛み・痛み。古事記神話にちなんで山幸彦(以下山彦)と祖父に名付けられた『椿宿の辺りに』の主人公の日常は、心身をさいなむ〈痛み〉のオンパレード。

「山幸、これ、おかしいよ、なんで私たちだけ、こう次から次へと痛みが襲ってくるの?」

そう語るのは同じ祖父にあたかも神話の兄弟のごとく命名された従妹・海幸比子(以下海子)。自己免疫疾患を患う彼女もまた〈痛み〉を生きる山彦の同志だ。

 そんな〈痛み〉に満ちた日常に変化がもたらされるのは、曾祖父の代から長らく人に貸して訪れることもなかった実家・椿宿を山彦がたずねてから。海子の紹介で仮縫鍼灸院を訪れた山彦は、そこで死霊・神霊と交感する力を持つとされる亀シに引き合わされ、彼女を通じて今は亡き名付け親の祖父・藪彦からある依頼を受ける。また、亀シによれば、山彦の〈痛み〉を解きほぐす〈ツボ〉もどうやら椿宿にあるという。

 もともと人生の〈当事者〉になることを避け消極的に生きてきた山彦。しかし耐えがたい〈痛み〉によって転がりだした日常は、否応なく彼を人生の〈当事者〉にしていく。

「私がやります」

それは多分、これまで山彦がほとんど口にしたことのなかったセリフ。しかし椿宿でたまたま出会った珠子(のちに妻となる)に対して男気を見せようとしたのか、山彦にしては珍しくこのセリフが連発される。そしてある時、唐突にその瞬間がやってくる。

〈未だかつて味わったことのない「主人公」感覚〉

 それはほんの些細な行動ではあったが、その時味わった〈何か画期的な偉業を成し遂げた昔話の主人公になったような〉達成感は、珠子をして〈あなたはあれを境にして変わった〉と言わしめる確かな変化をもたらした。

 山彦の〈痛み〉はかつてこの椿宿の屋敷で起きたあるお家騒動にまつわる、あるいはこの地の稲荷信仰にまつわる、あるいは数千年単位の地殻変動や火山活動にまつわる、あるいはその治水にまつわる多種多様な因縁が複雑に絡みあった結果の現象だということが次第に明らかになっていく。ただ、明らかになったところで、ほとんど為す術はない。にもかかわらず、山彦の〈痛み〉には変化の兆しが見えてくる。その変化の中で山彦は〈痛み〉に関するいくつもの気づきを得る。

 〈痛み〉は誰とも共有し得ないが、〈だからこそこれだけは自分のものである〉。

 〈痛み〉とは〈生きる手ごたえそのもの、人生そのもの〉である。

深刻な痛みを経験した者なら深く納得できるだろう。私の尻の痛みもまた、決して誰とも共有し得ない世界でたった一つの花、真に私だけのものだった。

 一方、山彦の〈痛み〉の変化だが、それは彼の〈痛み〉に対するある一つの覚悟に由来する。

負の遺産として引き継がれたものだとしても、それはミッションで、引き受けるよりほか、道はない〉

 引き受ける。〈主人公〉とはそういうものか。

〈共存共栄、これに如くはなし〉!

 ある場面で亀シが叫んだ言葉が本作全体を貫くテーマだ。だけど、個人的には今しばらく共存なんてご勘弁願いたい〈痛み〉もある。例えば痔瘻にともなうそれ、のような。

椿宿の辺りに

椿宿の辺りに

  • 作者:梨木 香歩
  • 発売日: 2019/05/13
  • メディア: 単行本