書評王の島

トヨザキ社長こと豊崎由美さんが講師をつとめる書評講座で、書評王に選ばれた原稿を紹介するブログです。

矢口真里さんへ薦めたい3冊

書いた人:林亮子 2016年5月書評王

1999年冬、今は無きコンビニam/pmの店内で、ポスターの中の、その意志の強そうな眼差しにくぎづけになって以来ずっと矢口真里さんファンです。努力家で、頭の回転が早くて、自分をしっかり持っていて、笑顔が素敵で……尊敬する点は挙げればきりがありません。憧れの矢口さんに対して書いた書評で書評王を獲ることができ、望外の幸せです。
この書評王ブログを通して、あわよくば、矢口さんご本人に拙評が届けばいいな~、なんて。

  

  敬愛なる矢口真里さま。

 かつての不倫騒動から早3年。最近ではテレビやネット番組でお姿を拝見する機会も多くなり、ファンとしては嬉しい限りです。しかしそんな折、せっかく出演された日清のCMがクレームにより放映中止になり、憤りを隠せません。何かというと有名人の言動を叩き自粛に持ち込む昨今の風潮、いかがなものでしょう。矢口さんはテレビのインタビューやブログでよく「世間の皆さまに申し訳ない」「どうすれば皆さまに許していただけるのか、そればかり考えている」と仰います。しかし、私には分かります。あなたは、「世間に対して申し訳ない」などとは蚤の糞ほども思っていないはずです。良いのです。それが正しいのです。是非ご自身の考えに自信を持っていただきたく、次の3冊をご紹介致します。

 三島由紀夫『不道徳教育講座』は、〈鼻持ちならない平和主義的偽善を打破するために〉三島が書いた実に愉快痛快な70編のエッセイ集です。本作が書かれたのは昭和33年(1958年)と、今から60年近くも前ですが、決して古くさいなどと思わないでください。当時の帯文からして〈偽善に満ち満ちた現代を痛烈な逆説と揶揄の言葉で切りまくる〉ですよ。今の世の中にも通用するものがあると思いませんか。例えば「醜聞を利用すべし」「沢山の悪徳を持て」「人のふり見てわがふり直すな」「恋人を交換すべし」など、タイトルだけ見れば一瞬目を疑うようなものばかりですが、結局三島は、人間のどうしようもない情けなさ、それが故の愛おしさ、そこにユーモアを見出して楽しむことを本作で説いているのです。物事を表面だけで機械的に判断し、批判する“偽善”を容赦なく斬っていくので、きっと快感を覚えていただけるはずです。

不道徳教育講座 (角川文庫)

不道徳教育講座 (角川文庫)

 

  偽善といえば、宗教というベールに包まれた偽善と疑念により断罪されてしまったのが、『緋文字』(ホーソーン)の主人公、ヘスターです。厳格な清教徒が住む町、ニューイングランド。ヘスターは不義により子を産んだことにより、絞首刑こそ免れたものの鮮やかな緋色で刺繍した「A」の文字を胸につけることを強制されます。海外古典作品なので清教徒とかニューイングランドとか聖書の教えとか出てきますが、ひるまないでください。本作で描かれるのは、“不倫は罪か否か”ではなく、ヘスター、夫、不倫相手、ヘスターを罵る町民、みんなどっちもどっちのお互いさまということなのです。「A」の緋文字は、一度の不祥事のレッテルが一生つきまとう現代のタレントに通ずるものがあるかもしれません。

緋文字 (光文社古典新訳文庫)

緋文字 (光文社古典新訳文庫)

 

  有吉佐和子『悪女について』は、富小路公子(とみのこうじ・きみこ)という女性実業家の謎の死をめぐって、27人の人物がそれぞれ一人称で証言するという構成の作品です。作品の時代背景は終戦後の昭和ですが、モーニング娘。脱退後もタレントとしてマルチに活躍し、俳優の小栗旬川久保拓司中村昌也、モデルの梅田賢三などなど、いずれも長身のイケメンばかりを手玉にとり、それでいて決して男に溺れず自分を見失うことのない矢口さんの姿が公子と重なります。公子に翻弄された27人が皆口を揃えて“あの愛に溢れた心の美しい公子が悪女だなんてことがあるはずがない”と言うところが不気味で面白い。公子は生涯で2人の男の子を産むのですが、その父親が誰であるかについて証言者ごとに事実が違うのです。我こそが父親だという男たちが“自分が公子を抱いたとき、あの子は絶対に処女だった”と口々に言うところが笑えます。本作のミソは、当の公子は語り手として一切登場しないということ。結局、虚像なんて人によって幾種類も作られてしまうし、本当の姿なんて誰にも分からないのです。

悪女について (新潮文庫 (あ-5-19))

悪女について (新潮文庫 (あ-5-19))

 

  矢口さんも、とりあえず表向きは「世間の皆さまに申し訳が云々」と言っておいて、しれっと芸能界でのし上がっていけばいいと思うのです。それだけの芯の強さがあなたにはおありになるのだから。