書評王の島

トヨザキ社長こと豊﨑由美さんが池袋コミュニティカレッジで開講している「書評の愉悦ブックレビュー」。そこで書評王に選ばれた書評を紹介するブログです。

宮内悠介『あとは野となれ大和撫子』(KADOKAWA)

あとは野となれ大和撫子

書いた人:和田M 2017年7月書評王
最近読んで面白かったのはデイヴィッド・ロッジ『恋愛療法』。


 宮内悠介が飛ばしている。第1回創元SF短編賞を機縁に2011年にデビューした宮内は、応募と落選を繰り返したそれまでの十年間の鬱憤を晴らすかのように、現代性と問題提起を含んだ野心作を矢継ぎ早に発表している。デビュー当初こそ、ジャンル性の強い東京創元社早川書房の媒体を活躍の舞台にしていたが、その実力はすぐに知れ渡り、近年は新潮社、文藝春秋など大手から引っ張りだこだ。最新作となる本作も『文芸カドカワ』での連載をまとめたもの。
〈この国の名は、アラルスタン。――かつて、アラル海と呼ばれた場所だ。〉
 アラル海中央アジアにある湖で、その面積は世界第四位。ところが旧ソ連の灌漑事業により河川からの流入量が激減し、大部分が干上がってしまった。その塩の大地に、周辺のマイノリティや難民が集まってきてできた新興国がアラルスタン、そういう設定だ。アラルスタンは架空の国だが、アラル海が灌漑で五分の一ほどに縮小したのは事実。後者のほうをフィクションらしく感じてしまうのは評者の無知が理由だが、そんな嘘みたいなほんとの話を取り込んで架空国家の領土にしてしまうのが彼らしい。日本製の少女型ロボットが落下するという奇天烈なモチーフでつながった連作短編集『ヨハネスブルグの天使たち』でも、象徴性を帯びた実在の建造物を墜落の舞台に選んでいた。宮内は、現実に存在するある種のひずみから虚構の糸を紡ぎ出す。
 物語は、ODAの仕事で日本からアラルスタンにやってきた父親とその家族の朝食のシーンから始まる。ささやかな団欒をウズベキスタン軍の空爆が襲う。かろうじて瓦礫から助け出されたのは五歳の娘ナツキだけだった。立ち尽くすナツキの頭上を軍用ヘリや無人機が飛び交う。〈そのどれが敵か味方かもわからない。あるいは、どちらの陣営も、ナツキにとっては敵であるのかもしれなかった〉。政争か信仰か利潤か、空爆をもたらしたのがなんであったとしても、それが少女の両親を殺した。背後の力学ごと、少女はそれを憎むだろう。しかしなんの因果か15年後、彼女は政権の中枢に座って国家運営に携わることになる。ナツキとともに国を担う女性たちもみな同様の悲惨な過去を持っている。その彼女たちが、避けがたく誰かを傷つける立場に身を置く、という枠組みがこの作品の肝だろう。
 劣悪な環境ゆえそれを変えられる技術者が中心となった〈最初の七人〉の国造り、ハレムから少女たちの高等教育機関へと姿を変えた〈後宮〉、メキシコのサパティスタを連想させる、話の通じる過激派〈アラルスタン・イスラム運動〉などの魅力的な道具立てと、中央アジアの複雑な地政学ソ連時代の負の遺産といった、事実に基づく背景が絡み合う。
 こう書くとどうも堅く響くが、実際の語り口はきわめて軽い。いつものクールな文体とも『スペース金融道』で披露したコメディタッチとも違う。ナツキたちの会話はお笑いの掛け合いのようだし、ハリウッド映画さながらの派手な見せ場もある。これらと事態のシリアスさとのきわどいバランスが賛否を呼びそうだが、そう考えると、各章のあとに置かれる日本人旅行者のブログ「ママチャリで世界一周」の役割は小さくない。本編にも顔を出すバックパッカーの書くこのブログの、いかにもありそうなノリが、緩衝材として効いている。
 アラル海の縮小は「20世紀最大の環境破壊」とも呼ばれる。その形容が偽善、よくいっても一面的な見方に過ぎないことをナツキは学ぶ。それはリベラルなお題目を糾弾する真のリベラリストの視線に近い。四肢欠損というハンデと引き換えに碁の才能を開花させる少女を創出したデビュー作「盤上の夜」以来、中途半端を排して人間の可能性と限界を問う作者の姿勢は一貫している。直木賞芥川賞をはじめ、エンタメ、純文学両方の賞にノミネートされる宮内は、本作でさらに幅広い読者を獲得しそうだが、ものごとを深く突き詰めて物語に昇華させるセンスで、今後もその出自を示し続けてほしい。

あとは野となれ大和撫子

あとは野となれ大和撫子