書いた人:豊﨑由美(とよざきゆみ)またの名をトヨザキ社長 2016年6月書評王
1961年愛知県生。東洋大学印度哲学科卒業後、編集プロダクション勤務を経てフリーに。「GINZA」「TV Bros.」など多くの雑誌に連載を持つライター・書評家。著書は、『そんなに読んで、どうするの?』(アスペクト)、『ニッポンの書評』(光文社新書)など多数。共著書に大森望との『文学賞メッタ斬り!』(ちくま文庫 Kindle)、岡野宏文との『百年の誤読』(ちくま文庫 Kindle)など。
〈かつてハルク・ホーガンという人気レスラーが居たが私など、その名を聞くたびにハルク判官と瞬間的に頭の中で変換してしまう〉〈あ、そうなんだ。え、マジ? すごーい。を順番に言って気のない風を装っていたのだけれども、〉〈ちょっと前、人と東銀座のなんということはない喫茶店に入ったところ、一緒にいた人が、この席はジョン・レノンが座った席らしいです、と声をひそめて言っていたが、まあ、そんなようなものだ〉
こんなことを喋っているのは誰なのか。そこらでウンコ座りしているアンちゃんではない。源義経なのである。正確を期するなら、義経の魂の依り代となった作家、町田康なのである。と聞けば、世の時代小説家の多くは「そんな現代語を、中世日本に生きた義経が使うのはおかしい」と非難するだろうが、なんということはない、連中の採用している文体だって「なんちゃって雰囲気時代小説語」にすぎないのである。先輩作家が作った時代小説における暗黙の約束事に何の疑問も抱かず、ただ「ござるござる」と従っているにすぎないのでござる。
一人の浪人侍を狂言回しにして、黒和藩内の権力闘争を背景に、〈腹ふり党〉という奇天烈な宗教団体の蔓延と叛乱を描き、〈生き腐れみたいな人間〉と猿軍団が阿鼻叫喚地獄めいた殺戮党争に突入するハチャメチャな物語になっているばかりか、ジャンル内のお約束をことごとく無視する自由奔放な語り口によって、世の時代小説ファンを「ぎゃっ」と白眼をむいて卒倒させた『パンク侍、斬られて候』(2004年)のデストロイヤーぶりも凄まじかったけれど、記憶に新しいのは、河出書房新社から刊行されている日本文学全集に収められた『宇治拾遺物語』における抱腹絶倒の現代語訳。それまで古典とは縁もゆかりもなかった衆生を熱狂させ、これが入っている巻だけ異様な売上げを示すことに貢献したのだ。この仕事のおかげで中世日本の混沌と自分の思考の波長が合うことを発見したのか、史伝物語『義経記』の語り直しに着手したのが、冒頭で引用文を挙げた『ギケイキ 千年の流転』なのである。
「いい国(1192)作ろう鎌倉幕府」を開いた源頼朝の腹違いの弟である義経の、生まれと育ち、思考と嗜好、性格と容貌、平家討伐に向けての無謀だったり無邪気だったりしすぎる行動の数々、忠実な家臣となる武蔵坊弁慶の生い立ちと出会いを、読めば大笑い必至の饒舌かつスピーディな文体で語りまくる。
〈思えば私の後年の功績はすべて尋常でない速力に追うところが大きかったがこの時点で既に私は速かった。もう少し遅ければ長生きできただろうか、速いということは、普通の速度に生きる者にとってはそれだけで脅威。それだけで罪。けれども私にとってはおまえらのその遅さこそがスローモーションの劫罰、業苦〉と語る速力命の人。〈京都が長い私の父が若い頃、関東に拠点を築くことができたのは、もちろん武芸や気合、といった要素も大きいが、多分にファッションによるところも大きい〉と考えるおしゃれ上等の人。〈返す刀で首のあたりを薙ぐと、ストトトトン、首が切れて飛んで、由利太郎は故郷である東の方に倒れた。そのとき由利太郎は二十七歳だった。若いよね〉と言い放つ非情の人。日本史上指折りのアイドルの速くて濃いぃ人生を、その魂を内に宿した町田康が一人称スタイルで駆け抜ける。面白くないはずが、ない。
〈やっと会える。やっと兄に会える〉、物語は、遂に挙兵した兄頼朝にもうすぐで合流するところで終わっている。完成まで全4巻を予定しているこの物語の続きが、もう読みたい、すぐに読みたいと、読者もまた速力の権化と化してしまう、そんな面白と痛快の塊のような一冊なのだ。「義経は私だ」と町田康が言い切るなら深くうなずくより他にない、そんな説得力に圧倒される傑作小説なのである。