書評王の島

トヨザキ社長こと豊﨑由美さんが池袋コミュニティカレッジで開講している「書評の愉悦ブックレビュー」。そこで書評王に選ばれた書評を紹介するブログです。

ジョン・チーヴァー 『巨大なラジオ/泳ぐ人』書評

巨大なラジオ / 泳ぐ人

書いた人:白石秀太 2019年1月書評王 

最近ようやく自分はただの海外エンターテインメント好きでしかないという自覚に至りました。



 J・D・サリンジャーがのちの自選短編集『ナイン・ストーリーズ』の収録作の数本を書き上げ、トルーマン・カポーティが短編「ミリアム」でO・ヘンリ賞を受賞した1940年代、彼らとはまた違った風合いの短編小説でアメリカの人々を描いたのがジョン・チーヴァーだ。雑誌「ニューヨーカー」を主な媒体に、ニューヨークや郊外の高級住宅地が舞台の作品を多数発表。79年にはピュリッツァー賞と全米批評家協会賞を受賞した。日本では絶版状態だったそんなチーヴァーを、村上春樹のセレクトと翻訳で今再び楽しむことができるのがこの一冊だ。
 収められた18の短編の中の一番手で表題作の「巨大なラジオ」は、まさにチーヴァー・ワールドの入口となる作品だ。ニューヨークの高級アパートメントに住む夫婦がラジオを買い替えたところ届いた、巨大なラジオ。スピーカーから聴こえるのは音楽だけではなかった。なんと近隣住人の会話も拾っているらしいのだ。奇怪なラジオに夫は怒るが、妻は違った。高級エリアで何不自由なく暮らす人々に隠された、虚栄心や浅ましさ、絶望感を聞いてしまったことで心がかき乱されてしまう。私たちの幸福だけは一点の汚れもない、本当にそうだろうか? と。
 ステータスや若さ、隣人同士や家庭といった共同体の完璧さに拘泥するあまり、亀裂が生じても作り笑いで現実から目を背け、知らぬ間に転落の一途を辿る。チーヴァーはそういった人々の病理を炙り出そうとした。酒浸りの人間が頻繁に登場するのだが、そこに彼らの逃避する姿がうかがえる。しかし著者の不思議な魅力は、全てを破滅の物語の一言に集約できないところにある。出力の目盛を調整するようにして、登場人物らを襲う破滅の影の暗さが各編で異なっており、ときには「巨大なラジオ」のようなシュールな世界が現れもする。高級アパートメントの管理人が身勝手な住人にふりまわされる「引っ越し日」にはコメディ感もある一方、男女の出会いから始まる「トーチソング」には死神の存在をも感じさせる恐ろしい結末が待っている。
 淡々とした文章とともに、序盤から破滅の影が忍び寄る音が聞こえてくるのがもう一つの表題作「泳ぐ人」だ。舞台は大都会から転じて郊外の高級住宅地。男が道中にある家々のプールを泳ぎながら自宅に帰ることを思いつく。肉体は年齢を感じさせず、精力は旺盛。しかし旅路が進むにつれて不吉な空気が漂う。出会う人々との会話のずれや、風景をなす季節の急変が不気味さをかきたてる。〈参ったわね。あなたって、まだ大人になれないわけ?〉。途中で遭遇した元愛人のこの言葉で露見するのは、男の成熟に失敗した精神であり、著者が当時のアメリカに見た一つの病理でもあるのだろう。本編は68年に映画化もされ、主人公が終始海水パンツ一丁という滑稽ともとれる設定なのにラストには救いがない、そんな奇妙さでカルト的人気を誇る一本となった。主演のバート・ランカスターによる、中年が子供のようにはしゃぐ演技も効いている。
 鋭い人間観察の中でユーモアが前面に押し出されているものもある。主題は大きくは変わらないままに物語の色調を操る、著者の巧妙な書き分けに驚かされる。画家の伯母を中心にした変わり者ぞろいの一族の回想録「パーシー」や、とことんそりの合わない兄弟についての「ぼくの弟」などの家族ものは、一人称による偏屈なのにどこか憎めない饒舌な語り口で、ジョン・アーヴィングの家族小説に皮肉を加えたような面白さがある。
 また小説以外にも、「ぼくの弟」の着想から完成に至るまでの舞台裏を綴った「何が起こったか?」と、短編という形式へのこだわりを語った「なぜ私は短編小説を書くのか?」の2つのエッセイが収録されており、チーヴァー・ワールドにより一層浸れるものとなっている。

 

巨大なラジオ / 泳ぐ人

巨大なラジオ / 泳ぐ人