書評王の島

トヨザキ社長こと豊﨑由美さんが池袋コミュニティカレッジで開講している「書評の愉悦ブックレビュー」。そこで書評王に選ばれた書評を紹介するブログです。

【作家紹介シリーズ】門井慶喜

書いた人:関根弥生 2019年5月書評王
初の書評王に興奮覚めやらぬ翌週、『夢の日本の洋館』発刊記念のトークイベントに行ってきました。直に聴く門井さんの〈建築ウンチク〉は、まさに圧巻。至福のひと時でした。

 

 

ぼくらの近代建築デラックス! (文春文庫)

ぼくらの近代建築デラックス! (文春文庫)

 

  初めに「この人すごいなぁ」と思ったのは、『僕らの近代建築デラックス!』でした。『プリンセス・トヨトミ』などで人気の小説家万城目学氏と共に、大阪にある辰野金吾日本銀行や東京駅を設計した超メジャー級建築家)の作品を皮切りに、京都、神戸、横浜、東京(文庫版では台湾編も所収)に遺る近代建築を巡りながら、二人が語るあれやこれやをまとめた1冊ですが、この「あれやこれや」の中身が実に濃いのです。 
〈建築ど素人〉を名乗りワトソン役に徹して、見るもの全てに鋭く(ほぼ)感性(のみ)で果敢に斬り込んでいく万城目氏に対し、門井慶喜氏(ペンネームではなく歴史好きの父が名付けた本名)は、建築様式から時代背景、手がけた建築家や施主の半生などなど溢れんばかりの〈建築ウンチク〉を披露します。その圧倒的な質量にも関わらず、鼻につくような嫌味が一切ないのは、建築物のみならず、困難な時代にそれを建て、守ってきた人々への敬愛の念が、蓄積された知識を汲み上げるポンプとなっているからでしょう。

美術探偵・神永美有 天才たちの値段 (文春文庫)

美術探偵・神永美有 天才たちの値段 (文春文庫)

 

  門井氏は2003年、少年が起こした狂言誘拐を描いた短編ミステリ「キッドナッパーズ」でデビューして以降、『天才たちの値段』など美術品の真贋を舌で(!)見極める美術探偵・神永美有シリーズや、明治期に近江商人となった建築家メレル・ヴォーリズの一代記『屋根をかける人』など、建築、美術、歴史上の人物をテーマとした多くの作品を上梓しています。

マジカル・ヒストリー・ツアー ミステリと美術で読む近代 (角川文庫)

マジカル・ヒストリー・ツアー ミステリと美術で読む近代 (角川文庫)

 

  2016年に日本推理作家協会賞(評論その他の部門)を受賞した『マジカル・ヒストリー・ツアー』は、英国史上最悪の王として名高いリチャード三世の肖像画や、当時は酷評されたマネの「草上の昼食」などの絵画と、名探偵ホームズが誕生した『緋色の研究』や、中世イタリアの修道院を舞台にした連続殺人事件『薔薇の名前』などのミステリを手掛かりに、「近代」とはどのような時代であったのかをスリリングに読み解いていく快作です。
 できるだけ〈わかりやすく書くこと〉を自身に課した、とあとがきにある通り、情報量は膨大かつ縦横無尽でありながら、非常にリーダブル。〈むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく〉とは、かの井上ひさし氏の言ですが、門井作品はどれもさらりとこれを実践しているのです。

【第158回 直木賞受賞作】銀河鉄道の父

【第158回 直木賞受賞作】銀河鉄道の父

 

  直木賞を受賞した『銀河鉄道の父』では、詩人で童話作家宮沢賢治の父、政次郎に焦点をあて、現代にも通じる父と子の愛情や葛藤を描き出しました。花巻の豪商で町会議員も務めた人物ですが史料はないに等しく、丹念に事実を拾い出すのは〈砂金を集めるよう〉だったと語っています。そして、評伝ではなく小説という手法をとることで、赤痢に罹った賢治を病院に泊まり込んで看病したり、高価な標本箱を買い与えたばかりか、長男である賢治が家業を継がず創作の道に進むことを煩悶しながらも黙認したりといった、厳格なように見えて、当時としては相当に型破りで親バカな政次郎像を鮮やかに浮かびあがらせました。
 尽きせぬ興味と調査力に裏打ちされた知識、資料の行間を埋める想像力と、難しいことも平易に伝えられる豊富な語彙、そして、一貫して〝人″に向けられるまなざしの温かさ。これらの類稀なる融合が、門井慶喜氏の真骨頂なのだと思います。

日本の夢の洋館

日本の夢の洋館

 

  このほど、もっと〈建築ウンチク〉を!の願いが天に届いたのか、『夢の日本の洋館』が刊行されました。華麗ながら〈意外にも内装が戦争くさい〉迎賓館赤坂離宮や、新一万円札の顔となる近代経済の父、渋沢栄一の〈理想のさびしさ〉が体現された青渕文庫など、明治から昭和初期までに建てられた洋館31棟の美しい写真と、門井氏による語り口そのままの解説は3,800円+税以上のお値打ち。惜しむらくは、舌鋒鋭いワトソン君の不在ですが、それはまた次回に乞う期待ということで。

 

【紹介した本】
・『ぼくらの近代建築デラックス!』万城目学・門井慶喜著/文藝春秋(文春文庫)
・『キッドナッパーズ』文藝春秋(文春文庫)
・『天才たちの値段』文藝春秋
・『屋根をかける人』角川書店
・『マジカル・ヒストリー・ツアー』角川書店(角川文庫)
・『銀河鉄道の父』講談社
・『夢の日本の洋館』枦木功写真/エクスナレッジ

 

田中小実昌『新編 かぶりつき人生 』書評

新編 かぶりつき人生 (河出文庫)

書いた人:白石秀太 2019年2月書評王
目下フランク・ミラー作『シン・シティ』にドはまりしています。大大大傑作コミックです。

 


 さぁさぁお立合い。御用とお急ぎでなかったら、ゆっくりと聞いておいで見ておいで。あと一年で当ミレニアムも二十年となるわけだが今ここに取り出した「G線上のアリャ」という本。ここに収められているのは同じ二十でも昭和二十年代、戦争が終わって間もないころのお話だ。
 米軍兵舎の炊事場に〈アイ・ウオンナ・ジョッブ〉といって現れたのは、復員したばかりの田中小実昌、ひと呼んでコミさんだ。ゼニも欲しいが栄養も欲しい。失敗作の料理を失敬する妙技を体得したがちょうどそのころクビになり、向かった先は渋谷の東横デパート。四階には劇場つまりコヤがあって、その雑用係になった。客寄せにコヤがストリップを始めたところ大賑わい、一階までエロを求める列ができたが、栄枯盛衰は世の習い、火事でコヤはあっけなくグランドフィナーレでコミさん再び〈アイ・ウオンナ・ジョッブ〉となった。
 続いて転身したのが将校クラブのバーテンダー。コミさん再び妙技炸裂、酒をくすねたりしていたのだが、将校の私物盗難事件がおこって容疑者にされてしまった。疑いは晴れたがクビにされて〈アイ・ウオンナ・ジョッブ〉。そこで入ったテキヤの世界。易者、通称ロクマとなりあちこちで筮竹(ぜいちく)をジャラジャラ、エイッとやった。テキヤは隠語、チョウフの世界でもあって、祭礼は〈タカマチ〉で客は〈キャア〉、賭博は〈ブショウ〉で東京ですら〈ドエ〉ときて、猫も杓子も隠すもんだから面白い。
 闇市でもなきゃロクなモノがなかったころ、からだ一つで稼ぐしかない、その気軽さを気に入ったコミさんが、ときに厄介ごとに巻き込まれたりしながら、食いぶちを求めて流れていく、戦後〈ジョッブ〉放浪記ともいうべきエッセイだ。
 続いてはこの本の看板を背負う「かぶりつき人生」のご紹介だ。〈かぶりつき〉とはご存知客席の一番前のことで、ストリッパーの〈脚〉、〈おヒップ〉、〈ばすと〉の楽しみ方や、時のストリップの名所、浅草の各コヤを紹介する〈ストリップ考古学〉なんかをコミさんが最前線からお届けするのがこの一編だ。
 おっと財布を出した学生さん、兵は拙速を尊ぶとはいうが、これがただのストリップ観察記だと思ったら大間違い。踊り子たちの人生にも目を向ける。
 たとえば新潟から東京に来た女についてはこう。収入はひと月約五万円、そこから衣装代月七千円、あし代三千円、家の部屋代が光熱費込みの一万円、そして食費と保険料と仕送りをひいて、手元に残るのがやっとこれくらい。……といったぐあいに、ストリッパーの生活にだって〈かぶりつき〉から観察だ。
 いやしかしだ、〈かぶりつき〉ぐあいでいったら広島からきた女だろう。というのも何を隠そうちょっと良い仲になった相手なんだから。中学を出ずに働き出したソバ屋を皮切りに飲み屋、ドサ廻りの芝居、そしてストリップ一座へと移り、その旅先でマネージャーにギャラを持ち逃げされたところで女が出会ったのがコミさんだった。流れ者どうし、気が合ったんだろうか。そして驚きなのはコミのミミ、耳だよ。しょっちゅう脱線する女の話をことこまかく覚えていて、ときには1ページ以上、広島弁もそのままに彼女の言葉を引いてきちゃう。 しかも〈録音でもするみたいに、記憶につつみこまれているせいだろう〉なんてとぼけるところも、いや、にくい。
 自由気ままに流れていった先々で、巡り合った人たちの声を頭の中でつつみこむ。この本をひらけばコミさんが集めたそんな声がまるで聞こえてくるようなんだ。
 この二編に、「ヌード学入門」、「こみまさ=ヌード・ゼミ」という、東京や大阪のストリップ劇場をめぐる、東西ストリップ見聞録ともいえる二つも加わって、しかも文庫本なんだから買って損なし間違いなし。全国の書店さんの在庫もあとわずか、こないだ新宿で一冊みかけたが、あれもいま誰んとこの子になったかわかりゃしない。ここにあるのも現品限りの在庫なし。そうと分かれば遠慮はご無用、税別780円だッ。

新編 かぶりつき人生 (河出文庫)

新編 かぶりつき人生 (河出文庫)

 

 

「ビッグ・クエスチョン」に魅せられたい人に薦める3冊

書いた人:山口裕之 2019年4月書評王
朝、ちょっと早く出て、出勤前にあちこちの立ち食いそばを食べてます。人形町「福そば」で食べた春菊天玉480円が絶品でした。

 

 

 車イスの天才・ホーキング博士(※1)は、2018年3月に76歳で亡くなった。アインシュタイン以降ではもっとも有名な科学者だったかもしれない彼の“遺作”として、没後に刊行されたのが『ビッグ・クエスチョン 〈人類の難問〉に答えよう』。「宇宙はどのように始まったのか?」「ブラックホールの内部には何があるのか?」といった自身の専門分野の質問から「神は存在するのか?」「人工知能は人間より賢くなるのか?」といったものまで多岐にわたる「難問」に対して、ユーモアを交えながら、誰にでもわかる言葉を使って答えている。〈最後に言いたいのは、基本粒子の集まりにすぎない私たち人間が、自分たち自身を支配する、そしてまた私たちのこの宇宙を支配する法則を理解できるようになったという事実は、偉大な功績だということだ。私は、本書に取り上げたビッグ・クエスチョンを考えると胸が躍るし、それらを探求することに情熱を傾けている。その興奮と情熱を、みなさんに伝えたいのだ〉。晩年には比喩でなく「指一本」動かすことさえできなかった彼の内側には、最後までこの熱が持続していた。

ビッグ・クエスチョン 〈人類の難問〉に答えよう

ビッグ・クエスチョン 〈人類の難問〉に答えよう

 

  数学の世界にも、さまざまな「ビッグ・クエスチョン」がある。なかでも一般人でも不思議さがわかる特別な謎を紹介しているのが『「無限」に魅入られた天才数学者たち』。「無限」といえば、数えられない、果てがない、というイメージが浮かぶが、数学的には「無限」にも「種類」や「大小」がある。それを発見した19世紀の数学者・カントール(※2)の生涯を中心に、「無限」の深淵を垣間見せてくれるのが本書。たとえば「0から1までの区間には、0から2までの区間と同じだけの数がある」とか、「0から1の間にあるすべての有理数(※3)を1から引いても1になる」とか「自然数(※4)の無限は、実数(※5)の無限よりランクが低い」とか……本書の記述以上にかみくだいて説明できる自信がないので謎だけを挙げてみたが、これらが気になる人はぜひ読んでほしい。

   生物学で長らく最大の謎のひとつとされてきた遺伝暗号。その解ともいうべきDNAの二重螺旋構造を1953年に解き明かしたワトソン&クリックの若いほうであるワトソン(※6)が、発見の15年後に発表したのが『二重螺旋』だ。じつに生々しい筆致で当時の研究者コミュニティが描き出されていて、発表直後から物議を醸すと同時にベストセラーになったというのも頷ける。ただのゴシップという批判もあったようだが、とんでもない。ふたりの業績が同時代の多くの科学者の研究に支えられていたということ、手厳しい批判と思えたものがきっかけとなって決定的なアイデアの飛躍が生まれたのだということ、科学者コミュニティにおける競争と仁義の微妙な関係など、その中身は科学啓蒙書というよりレースの裏側を描いたスリル満点のノンフィクションというのがふさわしい。日本では2015年に発売された“完全版”では、大量の脚注が施されている。当時は「主観的」だと批判されたワトソンの記述がとことんまで裏付けされているという点で、また豊富な写真や図版・解説で読み物として飛躍的に面白くなっているという点で、ぜひ“完全版”をおすすめする。

二重螺旋 完全版

二重螺旋 完全版

 

  ビッグ・クエスチョンは、研究者だけのものではない。科学とテクノロジーが答えを出したとして、それを〈実際に応用するためには、知識と理解のある人間が必要になる〉とホーキング博士も書いている。ところで、上掲書はすべて、青木薫氏の訳によって日本版が刊行されている。『フェルマーの最終定理』『暗号解読』などのベストセラーで知られるサイモン・シン作品の翻訳も彼女だし、自ら著した『宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理宇宙論』(氏は素粒子論で理学博士を取得)も素晴らしい。どんなに難しそうな分野の本でも、「青木訳なら読み通せる」。手の故障のため音声入力で仕事をしている(※7)そうで、心配しつつも1冊でも多く氏の仕事を読みたいと思ってしまうわがままな私なのである。

宇宙はなぜこのような宇宙なのか――人間原理と宇宙論 (講談社現代新書)
 

 


=紹介した本の一覧=
*『ビッグ・クエスチョン 〈人類の難問〉に答えよう』(著:スティーヴン・ホーキング、訳:青木薫/NHK出版)
*『「無限」に魅入られた天才数学者たち』(著:アミール・D.アクゼル、訳:青木薫早川書房
*『二重螺旋 完全版』(著:ジェームズ・D. ワトソン、訳:青木薫/新潮社)
*『フェルマーの最終定理』(著:サイモン・シン、訳:青木薫新潮文庫
*『暗号解読(上・下)』(著:サイモン・シン、訳:青木薫新潮文庫
*『宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理宇宙論』(著:青木薫講談社現代新書

 


※1 ブラックホールの研究で画期的な業績を残した理論物理学者。『ホーキング、宇宙を語る』(35カ国語で翻訳され、2500万部以上を売り上げた)をはじめとした著書で一般人にもわかりやすく科学の魅力を紹介。そしてなにより21歳にして「余命5年」とも言われる筋萎縮性側索硬化症(ALS)に冒されながらも50年以上にわたって精力的に研究、講義、執筆を続けた超人。
※2 1845年ロシアに生まれ、ドイツで活躍したユダヤ系の数学者。1918年没。「長さ1の直線と、一辺が1の平面に同じだけの点がある」ということを自分で証明しておいて、友人に「我見るも、我信ぜず」と書き送ったというお茶目な人。精神を病み、サナトリウムで病没。
※3 分数で表現できる数のこと。
※4 いわゆる1,2,3……といった正の整数のこと。
※5 数直線上に書ける数ぜんぶのこと。つまり虚数は含まない。虚数って何? iだよi(面倒になったらしい)。
※6 1928年シカゴ生まれ。1962年にノーベル賞受賞。2007年の人種差別発言で名声が地に落ち、経済的に困窮してメダルを競売にかけたとか。いろいろうっかりさんなのは昔から変わらないらしい。
※7 書き下すのは音声入力で問題なくても、推敲がたいへんだとか。お大事にしてください。

 

【作家紹介シリーズ】今こそ読み返したい永沢光雄

書いた人:林亮子 2019年3月トヨザキ社長賞
法律関連出版社勤務。永沢光雄ファン歴20年。折に触れては何度も読み返しています。『AV女優』は第2弾の『AV女優2――おんなのこ』もおすすめです。Kindle版もあります。

 

 永沢光雄さんへ。2006年11月1日、酒の飲み過ぎによる肝機能障害で、47歳という若さで貴方がこの世を去ってから、早いものでもう干支が一回りしてしまいました。巷に溢れる「平成を振り返る」的特集を見て私は、(90年代~00年代を駆け抜けた名ライター・永沢光雄に言及せずして何が“平成を振り返る”だ!)と、思うんです。

AV女優 (文春文庫)

AV女優 (文春文庫)

 

  私が永沢さんの著者を初めて手に取ったのは、90年代後半、高校生の時。大人への漠然とした反抗心を持ちつつも、一方で、大人の世界をちょっと覗いてみたいという矛盾した思いを抱えながら日々を過ごしていた折、本屋で目に入ったのが、雑誌連載のインタビュー記事をまとめた『AV女優』(文春文庫)でした。風俗誌の連載でありながら、決して扇情的でなく、一人ひとりの人生を丁寧に紡いでいく語り口。当時30代だった永沢さんよりもずっと若い女優たちに敬意を払いつつ、相手の魅力を引き出していることが伝わる文章。まるで私小説かのような文体、構成にあっという間に引き込まれていきました。思えば、物事に対する先入観を一度捨てて、フラットな状態で接してみるという姿勢を永沢さんの『AV女優』で教えられた気がします。

強くて淋しい男たち (ちくま文庫)

強くて淋しい男たち (ちくま文庫)

 

  また、第一線で活躍するスポーツ選手たちへのインタビュー集『強くて淋しい男たち』(ちくま文庫)の「長嶋茂雄」の項で、私は後世に残すべき名コラムに出会いました。永沢さんは、長嶋茂雄本人にインタビューすることなく、それどころか、元・全国全共闘連合副議長の秋田明大という、ぜんっぜん関係ない人物を追いかけインタビュー相手とすることで、長嶋茂雄という人物を炙り出す離れ業をやってのけたのだから。こうしてコラム記事の書き方一つを見ても、永沢さんがさまざまな表現方法に挑戦しようとしていたことが分かります。それもそのはず、貴方は子どもの頃から小説家を目指していた。『AV女優』を始めとする数々のルポルタージュで一定の評価を得た後、永沢さんは『すべて世は事もなし』(ちくま書房)、『恋って苦しいんだよね』(リトルモア)等の短編集で小説家としてもデビューします。新宿二丁目の近くに居を構えていた永沢さんが描く、私小説とも読める掌編たちは、いろんな境遇にいる人間の愛すべき“ダメさ”をユーモラスかつ丁寧に描いていて、読んでいると「人間って、これでいいんだよな」と、なんだか全て許せそうな気がしてくるのです。永沢さんは自分の“ダメさ”も絶妙な匙加減で登場させているから読むほうも信頼できるし、物語に温かみを感じられる。それは、亡くなる4年前の2002年に下咽頭ガンに侵され、声帯を除去したときの闘病生活を綴った『声をなくして』(文春文庫)でも変わることはありませんでした。インタビュアーとして命ともいうべき声を失って以後のすさまじい闘病生活を描きながらも、なぜか笑えてしまう。しかも古今東西さまざまな作家たちの小説がちょこちょこ顔を出し、小説好きにとって楽しい読み物にまでなっている。あくまで“読者を楽しませる”という姿勢を崩さないのです。

 

すべて世は事もなし

すべて世は事もなし

 

 

声をなくして (文春文庫)

声をなくして (文春文庫)

 

  永沢さんはずっと自分のことを「女にモテず、アル中で、酒を飲みながらでしかインタビューも執筆もできない風俗ライター」と描くけれど、それはあくまで表面上のもの。永沢さんの粋で軽やかでユーモアに溢れた文章を支えているのは、それまでに積み上げられた膨大な読書量と、文学及びそれを読む人に対する誠実さなんですよね。澁澤龍彦からジュンパ・ラヒリまで、世界の名だたる作家を、私は永沢さんの風俗ルポで知ったんですよ。
 ああ、つくづく永沢さんのようにフェアで優しいまなざしを持ち、粋な文章を書く人に、次世代に活躍する人々のインタビュー記事を書いてほしい。だから、永沢さんの作品を広めることで、その文章を書くことへの姿勢を後世の人間に伝えなければならないと、私は真面目に考えているのです。

村田喜代子『エリザベスの友達』書評

エリザベスの友達

 

書いた人:関根弥生 2019年2月社長賞
2018年11月から書評講座を受講しています。→Pia-no-jaC←ファン。公務員。
 

 

 村田喜代子は老女を描くのがうまい。『蟹女』や『望潮』などうっすらと漂う狂気に戦慄させられる作品も多いが、『エリザベスの友達』は少し趣が異なる。本作では、介護付き有料老人ホーム〈ひかりの里〉を終の棲家と定めた老男老女たちの、夢と現が入り混じる日常と、時代に翻弄されながら歩んできた半生が語られるが、皺の奥に隠された少女のかわいらしさや、記憶というものの豊かさと不思議が強く印象に残る。 
 110号室の初音さんは97歳。認知症が進み、日がな一日〈うつらうつら過ごしている〉。見舞いに通う二人の娘のことも、もう誰とわからないでいる。初音さんは夕方になると、〈それではお暇いたします〉とどこかに帰っていこうとするが、その魂の行き先は、二十歳で結婚したハンサムな夫と共に渡った天津だ。
 この地で生まれ、6歳まで過ごした長女満州美が〈蜃気楼だった〉と述懐する天津は、日仏英等各国の租界が置かれ、戦乱の最中にあってもここだけは美しい緑の中での競馬観戦や、サーカスの猛獣ショーに興じる贅沢が守られた別天地であったという。初音さんも、駐在員の奥様達と互いを〈エヴァ〉や〈サラ〉とイングリッシュ・ネームで呼び合い、昼下がりのお茶や買い物を楽しむ華やかな時を過ごした。また、天津は日本の女性にとって〈夫から、おまえとは呼ばれなかった〉〈嫌なら、ノー!と言うことができた〉本当の自由を手にした場所でもあったのだ。
 認知症によって〈時空をすり抜けて行く〉のは、初音さんだけではない。隣室の牛枝さんは、男の子ばかり三人続いた後に生まれ、戦争に駆り出されることのない牛にあやかろうと名付けられた。牛枝さんが夢で逢うのは、戦死した初恋の相手や、兄弟同然に育った三頭の馬たちだ。馬たちは揃って大きな眸(め)を向けて〈はよ、こっちきまっしょ〉と冥府へ誘う。
 〈認知症は自由です〉と若い介護士は言う。記憶という積み木の積み方を変えることで、〈別の人生やら過去やらがいろいろ出来る〉のだから。天津時代〈サラ〉と呼ばれた初音さんは、前任の所長夫人で、異国での暮らしを導いてくれた〈エヴァ〉鞠子さんの記憶も取り込み、初音さん自身は出会う機会が訪れなかったはずの、清朝最後の皇帝溥儀の妻で〈エリザベス〉と呼ばれた婉容とも夢の中で邂逅を果たす。記憶を積み直すことで、自己と他者、此岸と彼岸を隔てていたものが融けだし、その境界はどんどん朧になってゆく。
 記憶の積み木を手にするきっかけは、ジャスミンティの香りや、古い写真だったりするが、中でも〈音楽の喚起力はなんと強いものか〉と満州美は感嘆する。ボランティアの歌う韓国民謡や軍歌が、何十年もの時間を一気に巻き戻し、〈人間の抜け殻〉のようだった年寄りたちが束の間集い、嗄れた喉を振り絞って唱和する。しかし、立ち戻ったその時が、深い後悔と慚愧の念に満ちている者もある。『満州娘』を耳にした途端、慟哭し誰かに許しを求め続ける元満州関東軍兵士の姿。いったいどれほどのことがあったのか。その答えを知るものは誰もいない。
 牛枝さんの娘が言うように、認知症によって人の記憶や魂が、雲母のようにサラサラと剥がれ落ちていくものなのだとしたら、最期まで人の魂の核として残るものはいったい何だろう。それが自責や悔恨の念だけでないことを願うばかりだ。
 天津が大戦の挟間に浮かんだ蜃気楼だったとしたら、〈ひかりの里〉もまた、生と死の合間に現れる蜃気楼なのではないか。小さな貝のような部屋から吐きだされた記憶や想いが扉の隙間から漂い出して混ざり合い、ほのかな明るさを宿してホーム全体を包み込んでいるように見えるのだ。誰も避けることができない〝そのとき″の迎え方を考えると、ピンピンコロリだけではない、こんな終焉もありだと思える。

エリザベスの友達

エリザベスの友達

 

 

ジョン・チーヴァー 『巨大なラジオ/泳ぐ人』書評

巨大なラジオ / 泳ぐ人

書いた人:白石秀太 2019年1月書評王 

最近ようやく自分はただの海外エンターテインメント好きでしかないという自覚に至りました。



 J・D・サリンジャーがのちの自選短編集『ナイン・ストーリーズ』の収録作の数本を書き上げ、トルーマン・カポーティが短編「ミリアム」でO・ヘンリ賞を受賞した1940年代、彼らとはまた違った風合いの短編小説でアメリカの人々を描いたのがジョン・チーヴァーだ。雑誌「ニューヨーカー」を主な媒体に、ニューヨークや郊外の高級住宅地が舞台の作品を多数発表。79年にはピュリッツァー賞と全米批評家協会賞を受賞した。日本では絶版状態だったそんなチーヴァーを、村上春樹のセレクトと翻訳で今再び楽しむことができるのがこの一冊だ。
 収められた18の短編の中の一番手で表題作の「巨大なラジオ」は、まさにチーヴァー・ワールドの入口となる作品だ。ニューヨークの高級アパートメントに住む夫婦がラジオを買い替えたところ届いた、巨大なラジオ。スピーカーから聴こえるのは音楽だけではなかった。なんと近隣住人の会話も拾っているらしいのだ。奇怪なラジオに夫は怒るが、妻は違った。高級エリアで何不自由なく暮らす人々に隠された、虚栄心や浅ましさ、絶望感を聞いてしまったことで心がかき乱されてしまう。私たちの幸福だけは一点の汚れもない、本当にそうだろうか? と。
 ステータスや若さ、隣人同士や家庭といった共同体の完璧さに拘泥するあまり、亀裂が生じても作り笑いで現実から目を背け、知らぬ間に転落の一途を辿る。チーヴァーはそういった人々の病理を炙り出そうとした。酒浸りの人間が頻繁に登場するのだが、そこに彼らの逃避する姿がうかがえる。しかし著者の不思議な魅力は、全てを破滅の物語の一言に集約できないところにある。出力の目盛を調整するようにして、登場人物らを襲う破滅の影の暗さが各編で異なっており、ときには「巨大なラジオ」のようなシュールな世界が現れもする。高級アパートメントの管理人が身勝手な住人にふりまわされる「引っ越し日」にはコメディ感もある一方、男女の出会いから始まる「トーチソング」には死神の存在をも感じさせる恐ろしい結末が待っている。
 淡々とした文章とともに、序盤から破滅の影が忍び寄る音が聞こえてくるのがもう一つの表題作「泳ぐ人」だ。舞台は大都会から転じて郊外の高級住宅地。男が道中にある家々のプールを泳ぎながら自宅に帰ることを思いつく。肉体は年齢を感じさせず、精力は旺盛。しかし旅路が進むにつれて不吉な空気が漂う。出会う人々との会話のずれや、風景をなす季節の急変が不気味さをかきたてる。〈参ったわね。あなたって、まだ大人になれないわけ?〉。途中で遭遇した元愛人のこの言葉で露見するのは、男の成熟に失敗した精神であり、著者が当時のアメリカに見た一つの病理でもあるのだろう。本編は68年に映画化もされ、主人公が終始海水パンツ一丁という滑稽ともとれる設定なのにラストには救いがない、そんな奇妙さでカルト的人気を誇る一本となった。主演のバート・ランカスターによる、中年が子供のようにはしゃぐ演技も効いている。
 鋭い人間観察の中でユーモアが前面に押し出されているものもある。主題は大きくは変わらないままに物語の色調を操る、著者の巧妙な書き分けに驚かされる。画家の伯母を中心にした変わり者ぞろいの一族の回想録「パーシー」や、とことんそりの合わない兄弟についての「ぼくの弟」などの家族ものは、一人称による偏屈なのにどこか憎めない饒舌な語り口で、ジョン・アーヴィングの家族小説に皮肉を加えたような面白さがある。
 また小説以外にも、「ぼくの弟」の着想から完成に至るまでの舞台裏を綴った「何が起こったか?」と、短編という形式へのこだわりを語った「なぜ私は短編小説を書くのか?」の2つのエッセイが収録されており、チーヴァー・ワールドにより一層浸れるものとなっている。

 

巨大なラジオ / 泳ぐ人

巨大なラジオ / 泳ぐ人

 

 

【作家紹介シリーズ】年の瀬に読みたい伊藤礼

書いた人:田仲真記子  2018年12月書評王
最近ますます書評講座が心の支えです。

 

 

年末と言えば……

 いまどきおせち料理を作る人も少ないようですが、年の瀬になればスーパーで正月用の食材を見かけます。この時期だけ出まわるもののひとつがクワイ。ピンポン玉大の芋に角が生えたような形状の野菜です。クワイこそ、伊藤礼の『ダダダ菜園記:明るい都市農業』(ちくま文庫)の陰の主人公なのです。

  作者は昭和の文豪伊藤整の次男。日本大学芸術学部教授だった彼が、齢80歳のときに刊行したのがこの作品です。久我山の自宅に接する13×3メートルの家庭菜園の記録は老人特有の脱線ぶり。それも彼の話芸のなせる業なのですが。初出は雑誌連載だったこのエッセイでは、高齢を理由に草抜きを怠ったあげく作物が雑草に埋もれて壊滅したり、紙数が足りなくなると強引に話題を次回に先送りにしたり、菜園の実りの様子はなかなか読めません。さらにシビンによる排尿手順とか、メダカの飼育とか、菜園と無関係な話題に終始することが多すぎるのです。
 その伊藤礼翁が、全篇を通じて情熱を傾けるのがクワイ栽培です。泥田栽培のための種イモ確保から栽培容器、大量の水やり、収穫後の収支計算まで、脱線がちな本作で唯一継続するのはクワイに関する記述です。本作の読後、「今年はおせち料理クワイを入れてみようかな」と思う読者もいることでしょう。人生の折り返し点に達すると、先々の生き方に思いを巡らすことがありますが、4、50代の迷える男女にとって、気持ちがふうっと軽くなる老人本です。
 著作一覧によると、彼が初の単著を刊行したのは52歳ごろ。初めの2作は父伊藤整をタイトルに冠した作家の子が語る父と言った体の作品です。後の作品に見られるユーモアは散見されますが、まだ堅い。あくまで大作家の息子として黒子に徹した作品です。

狸ビール (講談社文庫)

狸ビール (講談社文庫)

 

  著者が自分らしさを見せるのは3作目以降です。狩猟をめぐるエッセイ『狸ビール』(講談社)で講談社エッセイ賞をあの須賀敦子と同時受賞し、囲碁がテーマの『パチリの人』(新潮社)では、趣味にのめりこむさまを詳述します。がんの手術後も治療中も碁、文壇囲碁選手権三連覇を果たしたのは、がんの放射線治療中で体内に蓄えられた放射線が勝利を呼び込んだ、なんて自虐的なブラックユーモアをかまします。
 とはいえ、ここまでは前段のようなもの。彼の本領が発揮されるのは、自転車三部作『こぐこぐ自転車』(平凡社ライブラリー)、『自転車ぎこぎこ』(平凡社)、『大東京 ぐるぐる自転車』(ちくま文庫)でしょう。結核にがん、肝臓病と病気の絶えなかった著者は68歳にして自転車に乗り始めます。おしりの痛さや筋肉の衰えを克服し、全国各地の自転車旅行に繰り出すまでになり、数台の自転車を所有します。転倒、骨折にも負けず、不死鳥のようによみがえる伊藤礼翁。趣味あればこその人生を貫く姿勢は、まさしくあこがれの生き方です。

こぐこぐ自転車 (平凡社ライブラリー)

こぐこぐ自転車 (平凡社ライブラリー)

 
自転車ぎこぎこ

自転車ぎこぎこ

 
大東京ぐるぐる自転車 (ちくま文庫)

大東京ぐるぐる自転車 (ちくま文庫)

 

  著作では絶妙な脱力感とユーモアを発揮していますが、『まちがいつづき』(講談社)内の一篇では、気難しかった父に似て、青年期まで癇が強く神経質だったことを明かしています。作者の生き方は、80年の積み重ねがあってようやく身につけたものだったわけです。その告白を読んで、人間年を重ねることも悪くない、そしてそこに病気も忘れるほど打ち込める趣味があれば怖いものなし、と再認しました。

まちがいつづき

まちがいつづき

 

  最後に、伊藤礼翁流のユーモアを表す一節を紹介しましょう。
 <(『こぐこぐ自転車』の)さまざまな書名候補があがった中に、早いころ『こぐ』というのがあった。幸田文に『流れる』というのがあるが、それに近いだけでなく簡潔さにおいてもっと徹底している。これは編集の保科孝夫氏の両手を挙げての賛同を得るに至らなかった>新年はクワイを食べながら伊藤礼を読んで、老後の人生に思いをはせてみては。