書評王の島

トヨザキ社長こと豊崎由美さんが講師をつとめる書評講座で、書評王に選ばれた原稿を紹介するブログです。

『模範郷』リービ英雄

模範郷

書いた人:藤井勉 2017年3月書評王

会社員、共著に『村上春樹を音楽で読み解く』(日本文芸社)。
「エキレビ!」でレビューを書いております。
http://www.excite.co.jp/News/review/author/kawaibuchou/

 

 リービ英雄8年ぶりの作品集となる本書は、4つの短篇を収めている。全篇を通じて主人公となるのは、リービ英雄という名の作家の〈ぼく〉だ。冒頭を飾る表題作「模範郷」で〈ぼく〉は、現地の日本語教師に招かれて台湾を訪れる。目的は子供の頃に住んでいた家の跡を見つけること。〈実感のない故郷には帰りたくない〉と長らく帰郷をためらっていた〈ぼく〉だが、地方都市・台中の郊外にある故郷・模範郷へと52年ぶりに向かう。

 本書を私小説として括るのは簡単だが、実は様々な側面がある。たとえば「模範郷」は、優れた紀行文でもある。植民地時代に日本人が建設した模範郷は、日本家屋の建ち並ぶ町だった。ところがマンションやコンビニが建てられた今、当時の面影はない。それでも作者は町の区画から想像力を駆使して、かつて見た風景を再現する。狭い路地の側溝を見つけて、突然こみあげる〈ここだった〉という感覚。〈I give to you〉という歌詞と共に脳裏に浮かぶ、大きな平屋の自宅に流れる音楽と母の姿。後に現実となる、家族との別離の予感。蘇ってくる記憶に感情を乱して、顔を涙で濡らす〈ぼく〉。読者が知るのは、模範郷の記憶だけではない。自分の見た景色がもはや戻ってこないという喪失感をも、追体験していくのだ。

 さらに本書は、小説を書けなくなった作家の物語として読むこともできる。〈ぼく〉は自身が評論対象である本を手に取り、〈帯には「移動と越境の作家」といういつものぼくのキーワードが書かれている〉と、主題としてきた言葉に飽きていることを隠さない。〈小説は、すでに書きつくした〉と、創作意欲を失ってしまったことも隠さない。根底には2011年の春に芽生えた、作家としての無力感と倦怠があった。「模範郷」で台湾を訪問した頃の〈ぼく〉は、多くの死を乗り越えて再び小説を書く動機を探していた。

 第2篇「宣教師学校五十年史」では、通っていた台湾の宣教師学校を訪ねる〈ぼく〉。場所を移転し真新しい校舎となった学校に、感慨はない。それよりも、購入した宣教師学校の五十年史『通常でない絆』を読んで心を動かされる。中国で生まれ、内戦で台湾に逃れてきた白人の卒業生たちが拙い英語で書いた回想文。そこに〈ぼく〉は故郷中国への愛着を読み取り、彼らの見た大陸の風景に思いを馳せる。第3篇「ゴーイング・ネイティブ」では、1938年に『大地』でノーベル賞を受賞したアメリカ人作家パール・バックの評伝を読む。中国で生まれ育った彼女が中国人の視点から、英語で小説を書いた先見性に〈ぼく〉は驚きを覚える。だけど彼らに対して、ある疑問が頭から離れない。〈なぜ、中国語で書かなかったのか〉と。その答えを考察する中で、外国語で小説を書く意義を再発見していく。そんな書く動機を模索する過程で主人公の語る言葉は、そのまま作者の創作論として読むこともできる。

 こうした多様な形式から連想されるのが、台湾文学の歴史だ。清朝・日本・中国国民党と統治者が変わるごとに、漢語・台湾語・日本語・中国語と使用する言語は変わり、郷土文学・反共文学・モダニズム文学・原住民文学などさまざまなジャンルの作品が書かれてきた。エッセイ集『日本語を書く部屋』(2001年刊)の中で、〈ぼくは家族崩壊というアメリカ文学のテーマと、歴史という中国文学のテーマを、近代日本文学の主流を成してきた私小説の文体の中で織りなそうとした〉と書いたリービ英雄。彼が台湾文学の多様性という新たなテーマを手に入れるきっかけが、第4篇「未舗装のまま」の結末には描かれている。本書は作者に縁の深かった国とこれまで取り上げてきたテーマがすべて味わえる上に、台湾という新境地を切り拓いた作品として記憶されるに違いない重要な一冊だ。

模範郷

模範郷