書評王の島

トヨザキ社長こと豊崎由美さんが講師をつとめる書評講座で、書評王に選ばれた原稿を紹介するブログです。

陳浩基『13・67』書評

13・67

書いた人:田仲真記子 2017年11月度ゲスト賞
2017年8月から書評講座生。いまいちばん楽しみなのは12月の閻連科の来日。

 未知の作家の作品が当たりだった時の高揚感は何物にも代えがたい。ここ数年、中国語圏にかかわる小説とはそんなうれしい出会いが多かった。閻連科の『愉楽』、東山彰良の『流』、呉明益の『歩道橋の魔術師』そして甘耀明の『鬼殺し』。いずれも作品の持つ熱量が圧倒的で、息苦しさや閉塞感、了見の狭さを感じることのない、風通しの良い作品ばかりだ。
 さて『13・67』である。『歩道橋の魔術師』で知った天野健太郎訳であることからほのかな期待を抱きつつ、6作の中篇が逆年代記の形式で時代をさかのぼるという構成や、なにより読みつけないミステリーを楽しめるか、という疑問も胸にページをめくる。そんな不安は杞憂に終わり、序盤から小説世界に取り込まれ、結末まで読み進めた時ふわっと体温が上がるような「お気に入りを見つけた」感覚に捕らえられた。中国、台湾に続き香港にもこんなにおもしろい小説があったとは!今年のトップ5に入る快作だ。
 幕開けの「黒と白のあいだの真実」の舞台は2013年、主人公のクワン警視は末期がんで昏睡状態。脳波計測器の助けを借りて「YES」、「NO」の意思表示しかできない、という人を食った設定だ。もう一人の主人公である弟子のロー警部が担当する香港の名門一族の総裁殺害事件は、70ページあまりの中で二転三転、目まぐるしい展開を見せる。正直、この調子で6篇読み続けるのはつらいかな、と感じるほど。
 続く「任侠のジレンマ」では2003年、クワンは定年後、特別捜査顧問として、香港マフィアの抗争がからむ人気アイドルの殺害事件を解決する。「クワンのいちばん長い日」と「テミスの天秤」は、凶悪犯兄弟の逮捕劇と後年の脱走事件が主題である。「テミスの天秤」ではふたりの逮捕をめぐる撃ち合いの末、一般人の被害者を出す。この時のクワンは「正義」と「大義」をめぐって身を切るような判断をすることになる。
 1977年、イギリス人少年の誘拐事件をテーマにした「借りた場所に」を経て、最終篇「借りた時間に」の舞台は1967年。ここで一転語り手は身寄りのない青年「私」になる。「私」はアチャと呼ばれる若手の警察官とともに、爆弾テロ事件解決に向けて奔走する。事件の終息後、アチャは「私」から「顔色を真っ青に」するようなきつい言葉を告げられる。後の時代を舞台にする6篇の中で、登場人物が常に思い出し、自分の戒めとすることになったであろう言葉だ。さらに最後の一段落を読むに至って、私はこれまで展開されてきた物語の意味を再考し、登場人物たちの人生や、人が大人になること、時間が人を変えることに思いをめぐらした。さらにわいてくるそれらの疑問を確認するために、第一篇に立ち返ることになった。
 冒頭で死の床にあったクワンは順を追って若返り、本題の謎解きのかたわら触れられる逸話を通じて、その人物像に肉付けがされていく。各篇のエピソードが後年のクワンにどんな影響を及ぼしたのか、思い返しながら読むことで、本作の味わいはいっそう深まる。後半見えてくるクワンの若さゆえの未熟さは、危なげである以上に彼の魅力をいや増す。警察内部の内通やいさかいにまみれながら「正義」を貫こうとする彼の成長譚をたどるのは、ミステリーやアクションを追う以上にひきつけられる読みどころである。
 帯に示された香港のこの50年の激動を見るにつけ、その混沌の中で、知力と精神力の限りを尽くし、たくましく、地に足をつけて生き切ったクワンの物語に心を奪われ、一気に駆け抜けるように読み終えた。

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