書評王の島

トヨザキ社長こと豊崎由美さんが講師をつとめる書評講座で、書評王に選ばれた原稿を紹介するブログです。

『ペルーの異端審問』 フェルナンド・イワサキ(八重樫克彦・八重樫由貴子訳)

ペルーの異端審問

書いた人:横倉浩一 2016年10月書評王
都内の私立男子校で国語を教えてます。大学院時代の専門は近世文学。上田秋成井原西鶴を主に読んでいました。サッカー部・演劇部泡沫顧問。図書館部長。スポーツではNBAとツールドフランス、ボクシングなどを好んで観戦。毎年、徳之島に闘牛を見に行くことを恒例としています。飲みには行くがお酒は飲めない。バツイチ独身。

 

 ローマはパンテオン宮殿のほど近く。賑やかな大通りからやや奥まった場所にジェズ教会はひっそりたたずんでいる。ジェズとは即ちイエズス会。教会の奥にはあの、フランシスコ・ザビエルの小礼拝所がある。注目すべきはガラス一枚隔てたそこに、ザビエルの右手(肘から先)が展示されてるということ。すっかり干からびミイラ化しはいるものの、これが正真正銘あのザビエルの身体の一部だと思うとテンション上がる。即身仏として崇められる高僧の話は日本にもあるが、遺骸をバラバラにして分散させ、各地で信仰を促す縁(よすが)とする発想(ちなみに右手の肘から上はマカオ、耳はリスボン、歯はポルトにあるとか)を目の当たりにして、死体に向ける彼我の意識の違いに驚くオレが、かつていた。がしかし!そんなことで驚いていては甘いのである。

 中世。ペルーはリマに一人の聖人がいた。クリストル・パン・イ・アグア修道士。死後、神はこの者にある作用を及ぼした。検査に立ち会った外科医の報告。〈故人の体は生きているかのごとく健康で(略)陰茎の直立に関しては、過去に多くの遺体と対面してきた外科医の観点から考えても医学的根拠が見当たらず、むしろ神の意志であると見なす〉。奇跡。でもそこ?そこに〈神の意志〉?だがこの直立問題に対し、異論が提出された。〈上半身は神に仕え、下半身はどちらかと言えば罪に向かう傾向がある〉〈直立状態は神の御業どころか、むしろ(略)罪人達にありがちな、死してまでも神を冒瀆する行為を彷彿させる〉。神の意志か。冒瀆か。厄介なこの問題はしかし意外なところから証言がもたらされ、あっけなく解決の運びに。長年死刑囚の埋葬に携わってきた慈悲深き修道女の言。彼女によれば、死刑囚にも死後、陰茎の硬直は見られるものの、その陰茎は〈異臭を放つ例がほとんどだ〉。だがアグアのそれは〈甘い香りを放ち、本来の色つやも弾力性も損なわれなかった〉とか。この証言に高名な女子修道院の院長がお墨付きを与えたことで、直立問題は〈神の御業〉と認定された。めでたし。めでたし。

 これは実際の裁判記録をもとネタに持つ短編が十七話収められた『ペルーの異端審問』のエピソードの一つ。「高徳の誉れ」と題されたこの小話にはまだ後日談が存在する。五年後アグアの遺体が墓から掘り起こされた時、例のお墨付きを与えた院長がいた女子修道院が遺体から例の〈モノ〉を〈聖遺物として持ち帰った〉というのだ。嗚呼、切り取られたその〈聖遺物〉。今もどこかでザビエルの右手みたいに善男善女を導く縁となっているのだろうか。

 他にも、悪魔に陵辱されている女に欲情して悪魔を上回る快楽をその女に与え、悪魔から嫉妬される神父や、修道服を着て修道士になりすますことでまんまと多くの女をものにしてきたコスプレ男の話、聖職者を誘惑して宗派ごとの精液をコレクションしてはそれを素材に妖しげな料理を作る女や、天国の席をチケットぴあよろしくグレード別にして値段を分けて売りさばいては大儲けした修道士の話など、タブーを破って神を冒瀆するにもほどがある人間たちの姿を活写して笑いを誘う話が次々登場する。しかもこれが全て資料にもとづく実話だというから驚きだ。

〈僕はこの街の底にたまった宗教的な沈殿物を一掃し、敬虔なイメージを払拭する〉

リマ出身で現在はスペイン在住の作家フェルナンド・イワサキがそう宣言して1994年に上梓された本作は、96年・97年・07年とマイナーチェンジを繰り返しながら版を重ねている。96年版からは文豪マリオ・バルガス・リョサによる構成の巧みさを評価する序文が付され、今回邦訳が出るに当たっては、筒井康隆が各編の終わり数行の切れ味の冴えを絶賛する巻頭言を寄せている。必ず最後にオチが来てクスリとさせられる、落語にも似た日本人になじみの艶笑小説としても味わえる傑作小咄集だ。

 

ペルーの異端審問

ペルーの異端審問