書評王の島

トヨザキ社長こと豊崎由美さんが講師をつとめる書評講座で、書評王に選ばれた原稿を紹介するブログです。

マイクル・ビショップ『誰がスティーヴィ・クライを造ったのか?』

誰がスティーヴィ・クライを造ったのか? (DALKEY ARCHIVE)

書いた人:鈴木隆詩  2018年1月書評王
フリーライター。アニメや漫画がメインです。以下、最近の仕事。
https://bkmr.booklive.jp/complete-comic-in-1volume
https://akiba-souken.com/article/32832/

 

 

 モダン・ホラー小説というジャンルに括られる作品だが、この小説は「怖くない」。なぜなら、ビショップは読者を怖がらせるために書いたわけではないからだ。彼がやりたかったのは、隆盛を極めるモダン・ホラーのパロディ。初邦訳は二〇一七年だが、原著の刊行は一九八四年。スティーヴン・キングが『キャリー』でデビューして十年後、数々のヒット作を著して人気爆発中という状況だ。

 巻末の「三十年後の作者あとがき」には、キングと本作の関係性に触れた箇所がある。〈この小説は万人受けするものではない。スティーヴン・キングは嫌っていた〉〈成りあがりの作家がこれみよがしのタイトルに自分の名前のやたらなれなれしい愛称を使っているという事実も気に食わなかったにちがいない〉。スティーヴィ・クライとスティーヴン・キング。どう見ても似ている。からかいと受け取られてもしょうがない。ビショップは本作の刊行前にネビュラ賞を二度も受賞しているので、〈成りあがり〉と書くのもなかなかにたちが悪い。好感が持てる作家だ。
 本作の主人公であるスティーヴィ・クライは女性である。ジョージア州の郊外の町に住み、ライターとして生計を立てている。夫のテッドは大腸癌を患い、一年半前に他界。十三歳の息子テディ、八歳の娘マレラと暮らすシングルマザーだ。

 物語は、亡き夫が買ってくれた七百ドルの高級タイプライター、“エクセルライター”が故障したことから始まる。知人の紹介で修理を頼んだのは、シートン・ベネックという青年。腕は確かなようだが、スティーヴィは第一印象で、〈ジョージ・ロメロの映画に出てくるゾンビの情念、心やさしさ、その他もろもろをすべて持ち合わせている〉と、彼を嫌悪する。案の定、タイプライターは翌日から、一人で勝手に文章を打ち出す不吉な存在になるのだった。

 最初は単文だったが、やがて掌編小説くらいの長文に。しかも内容は、スティーヴィが見た夢そのもの。彼女が寝ている間にカタカタと、誰にも知られるはずのない“深層心理”が、タイプライターによって暴露されていく。各章が、スティーヴィが実際に体験していることなのか、タイプライターが打ち出した「夢」なのか、一見分からないように書かれていることで、スティーヴィだけでなく読者にとっても、現実と夢の境がどんどん曖昧になっていくのが、本作の面白さだ。

 たとえば、小さなマレラに起こった変異。二月の寒い夜にも関わらず、ベッドの中で「ああ、ママ、身体がすごく熱いよう……」と苦しむ娘から、毛布を剥いでやったスティーヴィは変わり果てたマレラの姿を見る。未熟な肉体を気に病むテディには自らの体を使って悩みを解消してやり、あれは現実だったのか夢だったのか、母親として懊悩することに。

 また、修理人のシートンも、スティーヴィの家に直接やって来たことによって、ますます脅威となっていく。その時、彼が連れてきたのはペットの猿。カプチン・モンキー(オマキザル)という種で、スティーヴィの目には〈白い顔、深くくぼんだビーズのような目、鼻孔はしゃれこうべのそれを思わせる、小さな悪鬼〉に映る。クレッツという名のこの猿が、全編を通して大活躍し、スティーヴィを大いに悩ませるのだった。

 他者から与えられる不条理な圧力を、超現実的な恐怖に置き換えていくのがモダン・ホラー。その体裁を守りつつ、本作の特色は、作中に登場するタイプライターによって、物語が現在進行形で紡がれていくように見えるメタ構造にある。後半では、スティーヴィが、今、自分は第何章にいるのか自覚するようになり、小説そのものと対峙する主人公としての姿を明確にしていく。スティーヴィ・クライを造った「誰か」との格闘の物語であり、まさにタイトル通りの作品なのだ。つまりは、ホラーとして怖がる以上に、小説として刺激的。

誰がスティーヴィ・クライを造ったのか? (DALKEY ARCHIVE)

誰がスティーヴィ・クライを造ったのか? (DALKEY ARCHIVE)