書評王の島

トヨザキ社長こと豊崎由美さんが講師をつとめる書評講座で、書評王に選ばれた原稿を紹介するブログです。

『すべての見えない光』アンソニー・ドーア(藤井 光 訳)

すべての見えない光 (新潮クレスト・ブックス)

書いた人:森田純 2017年1月書評王
1972年生まれ。海が近い山奥で暮らしています。ビール&おつまみ大好き、居酒屋大好き。

 

 〈縦に細長く、中心には渦巻き状の貝を立てたような螺旋階段がある〉高くほっそりとした、幅の狭い6階建ての家。少女が愛した貝のようである。その建物があるフランス北西部の、海に面した〈壁のなかの街〉サン・マロ。城塞に囲まれ、石造りの建物が並ぶ迷路の街並は、少年が愛したラジオの回路のようである。物語はここから“発信”される。

 少女マリーはサン・マロから400キロ離れたパリのアパルトマンで父親と二人暮らし。背が高く金褐色の髪でそばかす顔。先天性の白内障で6歳で完全に視力を失う。父親は国立自然史博物館の錠前主任として働き、居住エリアを縮小した模型を作り、盲目の娘に〈何度もその模型に指を走らせ、あちこちの家や通りの角度を判別〉させていた。同じ頃、少年ヴェルナーは8歳で、パリから北東に500キロ離れたドイツの炭坑製鉄地帯で、妹と孤児院にいた。アルザス出身で修道女の先生が母親代わり。フランス語の子守唄を聴いて育つ。もじゃもじゃで雪のような白い髪と空色の目を持ち、年齢の割に小柄なヴェルナー。15歳になると、父親が命を落とした炭坑で働かなくてはならなかった。

 マリーは父親の職場で時々、軟体動物専門家の研究室に預けられ、そこで〈一生を海面で過ごす、目の見えない巻貝〉など様々な貝殻に出会う。マリーの手は貝たちの〈空洞になった突起、硬い渦巻き、深い開口部〉に触れ、〈なにかに本当の意味で触れることは、それを愛することだ〉と学んでいく。一方、ヴェルナーはごみの山から壊れたラジオを拾い修理し、イヤホンから聞こえる言葉や音楽に触れる。〈跳ねまわる電子の経路、混みあう都市を抜ける道のような信号の連鎖〉を思い描きながらラジオを修理。ラジオから聞こえる音の中で、彼のお気に入りで人生を方向づけたのは、若い男性がフランス語で話す光についての番組だった。

 〈数学的に言えば、光はすべて目に見えないのだよ〉。

 第二次世界大戦。戦争がふたりの人生をサン・マロまで運ぶ。12歳のマリーは爆撃を受けたパリから逃れて、父親とともに大叔父エティエンヌがいるサン・マロに辿りつく。エティエンヌは第一次世界大戦で心を病み、6階建ての家にひきこもり、〈この、奇妙で、狭い家のなかに、何十年も隠れている〉。マリーの父親がサン・マロの模型も作り、この細長い家自体も模型の一部になる。4年の歳月が流れ、マリーは模型の家を訳あってサン・マロの街から外している。ヴェルナーは14歳で難関の国家政治教育学校に合格したため炭坑で働かずに済み、その後16歳でドイツ国防軍に入隊。技師として不法電波を見つけ出す任務に就き、2年後サン・マロに辿り着く。そして海沿いにある細長い家を見上げることになる。

 本作は2015年度のピュリツァー賞を受賞。すでに短編作家として著名だった作者が10年の歳月をかけて完成させた長編である。丁寧に描かれる多くの登場人物はもとより、幾つかの“物”もふたりをつなげる重要な役割を担う。〈炎の海〉という伝説のダイアモンド、桃の缶、小洞窟の門の鍵、衣裳ダンスの奥の引き戸、家の形をした木製の立体パズル。それらが物語に奥行きを与えていく。

 サン・マロにおける1944年8月を中心に、マリーとヴェルナーの人生がほぼ交互に語られ、パリとドイツを行き来し、過去から1944年に何度もつながっていく。物語を読み進めるうちに〈模型の町を指で歩き回〉るマリーと、〈電子の道筋を指でなぞ〉りラジオの音を拾うヴェルナーが重なっていくのである。ヴェルナーに〈ラジオの声は、彼の夢を織りなす織り機を与えてくれた〉。彼がどこで何を“受信”するのか。戦時下という暗い状況の中、ふたりのつながりはほんの一瞬であっても確かに光を放ち、読者の胸を打つ。目には見えないきらめきを、ゆっくりと指先で辿るように味わいたい作品である。

 

すべての見えない光 (新潮クレスト・ブックス)

すべての見えない光 (新潮クレスト・ブックス)