書評王の島

トヨザキ社長こと豊崎由美さんが講師をつとめる書評講座で、書評王に選ばれた原稿を紹介するブログです。

『くじ』シャーリイ・ジャクスン(深町眞理子訳)

くじ (ハヤカワ・ミステリ文庫)

 

書いた人:成毛 満千(なるけ まち) 2016年12月書評王
福島県生まれ
10代で演劇、20代でダンスをはじめる。
本好きな元キャバレーの踊り子。
2016年4月、書評講座の門をたたく。

 

 幼い頃、夏休みに田舎の祖父の家に行くのが楽しみだったんですね。牛、馬、鷄、兎、犬、猫、たくさんの動物がいましたので。猫以外は生活のために働く動物たちです。ある夏、犬が子どもを5匹産みましてね。祖父はいちばん元気な仔犬を1匹選ぶと目も開いていない4匹を麻袋に入れて川に沈めてしまうんですよ。しばらくして袋を引きあげると、代々の犬が眠る場所に埋めてしまいます。そして言うんですね。「ここらじゃ、皆そうしとる」って。またの夏は、東京から夜店で買ったヒヨコが育ち飼いきれなくなったのが連れてこられました。田舎の鷄に馴染めず騒ぎをおこしましたので、祖母に鉈でチョンと首をはねられて夕飯の材料にされてしまったんですよ。祖母は「ここらじゃ…」とは言いませんでしたけど。仔牛が産まれた夏がありました。早朝、見に行くと目をまん丸にしてすりよってくるんです。可愛いです。すぐさま馬喰がやってきて売られていきます。ドナドナです。「ここらじゃ、皆そうしとる」小さいわたしは呟きました。すっかりこの言葉が気に入ってしまい、親に叱られると「ここらじゃ、皆そうしとる!」といい返したりしました。「ここら」というのがどこをさすのか、はっきりわからないけれど漠然とそういう場所があるんだと思ったんですよね。

〈メリキャット お茶でもいかがと コニー姉さん
とんでない 毒入りでしょうとメリキャット〉

 シャーリイ・ジャクスンの『ずっとお城で暮らしてる』の1節。不穏ですよね。毒入りの砂糖で家族が死んでしまい、残った姉妹と伯父さんが広い屋敷に引きこもりながらも“楽しく”暮らしています。それを奇矯な妹メリキャットの目線で描いた作品。

『丘の屋敷』(「たたり」改題)では幽霊屋敷に絡めとられていく狂気を、単なるホラーではなく、追いつめられて逃れられないような恐怖に仕立てあげています。

 ジャクスンはオカルトに通じ、自ら“魔女”と称したように、その小説は悪魔的、残酷、悪意に満ちたと評されることも多いのです。

『くじ』には22編の小説が入ってます。それらは人の悪魔性、残酷さ、悪意についての物語と言えると思うんです。怖い、とても奇妙、面白いけれどあまり関わりたくない、そんな余韻に満ちてるんですね。じゃあ、何がそんなに変な感じなのか?と思ったりもします。気づいたんですが、どうやら心の中のくぼみにある何かがつよくいやがりながらも、ものすごく待ち望んでいるんですね。その残酷やら悪意やらってやつを。くぼみの中には、ふだん、気の迷いだとか考えてはいけないないだとかで隅に追いやられた意地悪とか嫉妬とか嘘とか自慢とか偽善とか復讐心とか、あらゆるいけないとされることがうずたかく積もり積もってるんです。思いあたりませんか?たまにくぼみが溢れ出しては意にそぐわない振るまいをしてしまい貴方は言います。

「ここらじゃ、皆そうしとる」。

 そうです。『くじ』は「ここらじゃ、皆そうしとる」という小説群なのです。「ここら」って何処かっていうと、あるひとりのいち部分だったりあるいち家族だったり、集合体まるごとぜんぶだったりします。そこでは「ここら」に属さない人から見れば正気を疑うようなことが繰り広げられていくんです。怖いですね。面白いですね。

 表題作「くじ」では、それが特に際立ってます。年にいち度行われるくじ引き。広場に集まった住民はひとりいち枚、箱からくじを引くのです。この行事はもう誰も覚えていない程の昔から受け継がれている儀式なんです。そして当たりくじを引い者は…。
最後のページで貴方の心のくぼみの何かが蠢くと思いますよ。心して読んでください。

「このあたりでは、皆そうしていますから」

くじ (ハヤカワ・ミステリ文庫)

くじ (ハヤカワ・ミステリ文庫)