書評王の島

トヨザキ社長こと豊崎由美さんが講師をつとめる書評講座で、書評王に選ばれた原稿を紹介するブログです。

ジョセ・ルイス・ペイショット 『ガルヴェイアスの犬』

ガルヴェイアスの犬 (新潮クレスト・ブックス)

書いた人:田仲真記子 2018年9月社長賞
大好きなタダジュンさん装画の作品で社長賞!格別にうれしいです。

 

 1984年1月、宇宙の果てを高速で出発した「名のない物」は、標的のポルトガルの小さな村ガルヴェイアスを捕らえて大爆発し、原っぱにあいた巨大な穴の中央に横たわる。灼熱を放ち、周囲を強い硫黄臭で充満させて。現代ポルトガルを代表する作家の一人、ジョセ・ルイス・ペイショットの長編の派手な冒頭だ。
 村人を巻き込んだSF活劇を期待した読者は肩すかしを食らう。村の住人は日々の生活に忙しくて、「名のない物」の存在をいつの間にか忘れてしまうのだから。唯一、硫黄の臭いだけは、村にしつこくただよい続ける。そう、この本の装画のからし色がかった黄色は、村の空気を可視化したようだ。
 実際に展開するのは、村の住人をめぐる悲喜劇の数々。日本の同時代を20年はさかのぼったような古くささと猥雑さに満ちた村。住人は行儀が悪く、粗野なパワーが溢れる。
 ≪パンツをすねまで下ろし、彼女はしゃがんでビニール袋に狙いを定めていた≫という文で始まる章がある。亭主の浮気を知ったローザは、ビニール袋に回収して10日分冷凍した便を、まとめて缶に入れ水でこねる。浮気相手のジョアナを見つけると、わしづかみにした粘土状のそれを顔に投げつけ、缶の中身をぶちまける。二人は取っ組み合いの末、汚物まみれで留置場に入れられる。本のページから汚物の臭いが立ち上るような、思わず顔をしかめる強烈な展開だ。
 この話には後日談がある。ローザとジョアナはこの後二週間足らずで肉体関係を結ぶようになるのだ。恐るべしローザ。ジョアナとのセックスの後は亭主バレッテの番。帰宅するなりズボンを下したバレッテのブーツの臭い、靴下の臭い、尻の臭い、肛門の臭い、性器の先にこびりついた小便の臭い、鼻をつまむような臭いに囲まれてローザは夫と交わる。
 こんな調子でとにかくたくさんの人が登場し、ときにもの悲しく、ときに強烈なエピソードを連ねる。小さな村のことだ。誰が誰と寝ているのか、親戚どうしなのか、誰が雇い主で誰が使用人なのか。村の住人はそこらじゅうで関わりあっている。
 仕事を引退した老人コルダト、その家政婦をしながら、老人に頼まれて添い寝する中年の寡婦ジュリア、母の形見のネックレスを大学生の姪アナ・ラケルにあげてしまうコルダト、そして、アナ・ラケルが想うジュリアの息子のジャシントが女性を誤って射殺する悲劇。
 それだけでは平板になりそうな村の描写のアクセントとなるのが二部構成の第二部の冒頭、郵便配達人ジョアキン・ジャネイロの逸話である。彼は年に一度休暇で村を離れる。村人の誰も知らない、アフリカの家族を訪れるために。
 20年近く前、独立を求めるアフリカ植民地との戦争のさなか、従軍中の派遣先でアリスと知り合い子を設けた彼は、毎年ギニアで家族と時間を過ごし、故郷の話を家族や近所の人に披露する。≪ジョアキン・ジャネイロの言葉を通すと、ガルヴェイアスはとても広い場所になった≫。村のしがない郵便配達人のロマンチックな秘密。彼がアフリカの家族や近所の人に語るとき、ガルヴェイアスはおとぎ話の舞台のように見えてくる。この逸話によって、この小説の視野は一気に広がりを見せる。
 さまざまなエピソードの末、最終章で村人は唐突に「名もない物」を思い出す。彼らはそれに団結して立ち向かうのか、その飛来物の謎は明かされるのか。正直な話、硫黄の臭いも凌駕する強烈な臭いに満ちた村の人々の物語を堪能した後では、もはやそんな顛末はどうでもよくなってしまう。村の異変に我先に気づきながらも自らの生活は変えない、いや変えようのなかった犬たちのように、大爆発も、痴話げんかも、全部まとめて凝視し続けるのも、この小説の愉しみかただ。

 

ガルヴェイアスの犬 (新潮クレスト・ブックス)

ガルヴェイアスの犬 (新潮クレスト・ブックス)