書評王の島

トヨザキ社長こと豊崎由美さんが講師をつとめる書評講座で、書評王に選ばれた原稿を紹介するブログです。

ジェローム・K・ジェローム『ボートの三人男 もちろん犬も』書評

ボートの三人男 もちろん犬も (光文社古典新訳文庫)

書いた人:村山弘明 2018年6月度書評王
書評講座に3年1ヶ月通って初の書評王です。奇跡!

 

 ひとは自分の都合のいいように物事を解釈しがちな動物である。それは十九世紀であろうと二十一世紀であろうと変わらない。
 『ボートの三人男』の舞台は、ロンドンとオックスフォードのあいだを流れる十九世紀後半のテムズ河だ。語り手である〈僕〉、友達のハリスとジョージ、そして犬のモンモランシーがテムズ河を上流に向かって漕ぎのぼる、ロードムービーならぬリバーストーリーだ。
 気分のすぐれない〈僕〉らは、その原因を“働きすぎ”によるものと結論付け、〈僕らに必要なのは休養だ〉と、テムズ河を二週間ほどボートで旅することにした。最も彼らがほんとうに休養が必要なのかは甚だ疑わしい。
 そんな彼らは、やることなすこと失敗だらけ。荷造りの段階でてんやわんやの騒ぎを起こす→当日みんな揃って朝寝坊→考え事をしていた〈僕〉のせいでボートが岸辺に乗り上げる→ボートに帆を張ろうとすればハリスとジョージが帆に巻き込まれて…。
 だめんず三人組のちょっとしたドタバタなエピソードがずっと続くのかと思いきや、ロマンティストな〈僕〉の夢想が美文体で語られたり、テムズ河周辺の歴史や街並みに関する旅行ガイドブックのような文章も差し挟まれたりする。そして、さすが歴史と伝統を重んじるイギリスだけあって、いまでも現存しているパブやレストランが登場するのも興味深い。また、印象的だったのは〈僕らの知性は消化器官に支配されている〉という言葉だ。〈ベーコンエッグを食べれば、胃袋は「働け!」〉だし〈ビーフステーキと黒ビールなら「眠れ!」〉なのだ。まさに〈僕らが働くのも、ものを考えるのも、胃袋の命令があればこそなの〉だ。
 さらにはこの本の冒頭には彼らが旅するテムズ河の地図が載っているのも嬉しい。その地図を眺めながら、実際にテムズ河をボートでのぼってみたい、なんて思っていたら、巻末の年譜によればこの小説がイギリスで出版された後、テムズ河でボートに乗る人が1.5倍になったという。21世紀の今ですらそう思うのだから、当時はそれはそれは一大ムーブメントだったのであろう。
 ボートを愛する〈僕〉は、蒸気船が鳴らす汽笛に我慢がならない。蒸気船を避けようともせず、知らんぷりをきめこむ。だが、友人の蒸気船に〈僕〉らのボートを曳いてもらうことになると、今度は前方から来る手漕ぎボートが邪魔で邪魔で仕方なくなる始末なのだ。あげくに〈人は河に出るとひどく短気になるようだ〉などと妙な持論を展開。しかし〈僕〉の気持ちは、わかる。わかってしまう。僕らは自分勝手な生き物なのだ。さらに〈こっちが働いているのに他の人間がのんべんだらりと座っているのを見ることほど、頭に来る経験はない〉だとか〈自分が起きているときに他人が寝ているのを見ると無性に腹が立ってくる〉というくだりは、大変に共感してしまう。
 この本に登場する〈僕〉たちの身勝手な考え方は、現代を生きる人たちとたいして違わない。その考えに共感したいわけではないが、心当たりはある。だからこそ、当時のイギリス人はもちろんのこと、いまでも読み継がれている古典なのだ。そしてこんな風に考えなくとも、ただただ楽しく読める一冊でもある。
 余談だが、訳者の解説によると本書はそもそも〈テムズ河の景観と歴史について語る『テムズの物語』という題名の書物だった〉そうなのだ。ところが、新婚旅行から帰ってきたばかりだった著者のジェロームは、幸せな心持ちのまま〈ユーモラスな息抜き〉の部分だけをとりあえず書いた。あとから〈景観と歴史〉も加えてはみたものの、当時の編集長にそのほとんどを削られてしまったのだという。でもこのテムズ河の史実を語る箇所、ユーモア溢れるドタバタの語り、そして〈僕〉の夢想という三つの異なる語りの混在が、なんとも言えない味わいを本書にもたらしている。

 

ボートの三人男 もちろん犬も (光文社古典新訳文庫)

ボートの三人男 もちろん犬も (光文社古典新訳文庫)