書評王の島

トヨザキ社長こと豊崎由美さんが講師をつとめる書評講座で、書評王に選ばれた原稿を紹介するブログです。

アキール・シャルマ『ファミリー・ライフ』

ファミリー・ライフ (新潮クレスト・ブックス)

書いた人:小平智史 2018年度5月書評王
最近は句会をやりたいです。

 

 一九七〇年代の終わり頃、『ファミリー・ライフ』の主人公である八歳の少年アジェは、インドのデリーから一家で米国へ移り住む。兄は猛勉強の末、入学を希望する理科高校の試験に見事合格。だが喜びもつかの間、事故で脳に損傷を受け、意思の疎通もままならない寝たきり状態になってしまう。一家にとって、いつ終わるとも知れない長い介護生活が始まる。
 この作品はかなりの部分で作者アキール・シャルマの体験をもとにしている。シャルマもまた、インドのデリーで生まれて八歳で渡米。大学で創作を学んだのちに投資銀行に勤めつつ、二〇〇〇年に長編デビュー作を刊行した。『ファミリー・ライフ』は二〇一四年に発表された第二長編。作者自身、脳に損傷を負った兄を長く介護した経験をもつ。
 本作は語り手アジェのつらさだけでなく不正直さや身勝手さも容赦なく描く。彼が兄ビルジュの事故を知って涙するのは《ビルジュはこれから入院することになるのに、僕は普段と変わりばえのしない一日を過ごしただけ》と思うからだし、学校の友達にはビルジュをスポーツ万能で弟思いの理想の兄に仕立て上げて話す。ガールフレンドにキスしてもらうために《慰めてほしいというようにビルジュの病気のことをほのめかし》さえする。
 しかしそれでアジェの悲しみが否定されるわけではもちろんない。《息ができなくなるくらい激しく泣きじゃくるのもしばしばだった。そんな時、僕は自分から抜け出した。僕は歩きながら喘いでいる。と同時に、僕自身の不幸が僕のそばを歩きながら、僕のなかに戻れるよう、呼吸が静まるのを待っているのがわかった。》夢中で泣いて悲しみから逃れても、それは一時のことにすぎないのだ。
 アジェはとにかくよく喋る。学校の友達が嘘だらけの兄自慢にうんざりしてくると、こんどは介護の詳細を生々しく聞かせて相手を辟易させる。反応を示さない兄にさえ話しかける。《一日中、何もしてないよね。(…)「僕は学校に行かなくちゃいけないし、勉強してテストを受けなくちゃいけない」。喋れば喋るほど怖くなっていった。》解決になるわけでもないのに、駆り立てられるようにアジェは喋る。
 そんなアジェに、言葉との別の付き合い方を教えてくれるのが、作家ヘミングウェイだ。有名作家を読んだふりしたい見栄っ張りのアジェは、ヘミングウェイ本人の作品ではなく彼に関する伝記や評論ばかり読むうちに、小説家になりたいと思うようになる。ヘミングウェイの特徴がシンプルな文体なのを知って、《作家になっても、すごく上手な書き手である必要はない。いい生活を送るにはそこそこのものが書けていれば十分なのだ》と曲解するくだりは可笑しい。
 アジェはついにヘミングウェイ本人の作品を読む。すると評論で読んだことが作品の内容とつながり、《不意に立ち上がったときのような、頭がすっきりとして、部屋がぐっと広がって感じられるような》感覚をもつ。達観や心の平穏といった類の救済とは無縁の本作にあって、読書へのすこし変わったアプローチによって主人公の《世界の見え方が変わ》るこの一節は、短いあいだながら開放感にあふれた部分と言ってよい。
 それからアジェは自分の物語を書きだす。だからといって彼が急に人間的な成長を遂げるわけではないし、作品の終盤では、アジェが心にかかえた問題はほとんど解決のしようがないことが示唆されている。本作は、一筋の縫い目のようにまっすぐ問題の解決へと向かう物語ではなく、悲しみも喜びも可笑しさもない交ぜに、さまざまな種類の経験が入り組んでできた複雑なパッチワークだ。兄の事故にしてもヘミングウェイとの出会いにしても「その後」の時間はずっと続いて行くのだし、その時間を複雑さを損なうことなく描いていることが、この小説では肝心なのである。

ファミリー・ライフ (新潮クレスト・ブックス)

ファミリー・ライフ (新潮クレスト・ブックス)