書評王の島

トヨザキ社長こと豊崎由美さんが講師をつとめる書評講座で、書評王に選ばれた原稿を紹介するブログです。

アーネスト・ヘミングウェイ『移動祝祭日』書評

移動祝祭日 (新潮文庫)

書いた人:白石秀太(しらいししゅうた)2018年2月度社長賞
同志社大学文学部美学芸術学科卒。会社員


 「敗れざる者」は大学の授業で原文を読んでから忘れられない短編だった。汗でてらつく雄牛の突進、闘牛士の間一髪の回転。すかさず上がるオーレ! 連打される短文は躍動感に溢れ、ピリオドは銃創にみえた。紹介するならこの作品を収めた『男だけの世界』で決まりだ。と、思っていたのに。再読でその輝きに気づき、闘牛士に負けず劣らず心に刻まれたものができてしまった。鉛筆を走らせる作家の卵、『移動祝祭日』の若きヘミングウェイの姿だ。
 60歳をこえた著者が、22歳で移住したパリでの約5年間を振り返る本作。「はじめに」でもある通り創作に近い箇所もあるらしいが、〈こういうフィクションが、事実として書かれた事柄になんらかの光をなげかける可能性は、常に存在するのである〉という。実体験はあくまで素材とした、ヘミングウェイ版『若い芸術家の肖像』なのだ。
 パリで待っていたのは芸術家たちとの刺激的な出会いだった。ガートルード・スタインは称賛を浴びないと機嫌を損ねる面倒な性格だが、いちはやくピカソを収集した審美眼の持ち主だ。ヘミングウェイは彼女を慕い、芸術論に聞き入った。いっぽう名声欲にまみれた連中は大嫌いで、同じ空間にいれば〈息をつめるようにしていた〉ほど。交流のなかで関係が変化することもある。フィッツジェラルドとの初の二人旅はトラブル続き。あいつとの旅は二度と御免となったが『グレート・ギャッツビー』に打ちのめされて、執筆のための手助けは惜しまないと決心する。その後も精神が不安定なフィッツジェラルドに悩まされることにはなるのだが。
 狂騒のパリとコントラストのように際立つのが、ヘミングウェイの静かに燃える創作意欲だ。鉛筆とノートをカフェに持ち込んで一心不乱に書く。頭の中は、北ミシガンの湖畔、鱒が泳ぐ原野の川。どこにでも行けた。読書にもふけった。ウィスキー片手に友人と大好きなロシア文学について語り、〈『カラマーゾフ兄弟』にもう一度挑戦してみようと思っている〉という言葉に親しみがわくが、じつは彼にとって読書もまた創作の井戸を潤すための欠かせない行為だったという。
 「空腹は良き修行」という章もあるように、若い彼はつねに飢えていた。まずは肉体的に。香り豊かなパンやワインの魅惑に負けないよう倹約に努めたし、食べるときはとことん楽しんだ。そして精神的に。自分の新しいスタイルはいつかきっと認められる。〈意図的に省略〉して物語にインパクトを与え、削りぬいても失われない真実を書くそのスタイルを、貪欲に磨いた。
 でも、『移動祝祭日』で書かれているのはそれだけではなかった。
 たしかに青春ならではの輝きに満ちた一冊でもある。ではなぜ〈新しい文学〉を貪欲に追い求めた男が、過去を振り返るのだろう?
 「空腹は良き修行」のなかで、重要人物の老人が自殺するという大切な結末をカットした短編を書く場面がある。同じようにして『移動祝祭日』で、その予感だけを漂わせて〈光をなげかける〉ものがある。芸術家としての死。創作の井戸が枯渇する恐怖だ。
 「偽りの春」という章にその兆しはあった。修業時代を支えた当時の妻、ハドリーと過ごす、美しい春の一日。本業の執筆も副業の競馬も順調。妻とお気に入りの店で食事をして、愛し合う。しかし突然、満たされない気持ちに襲われてしまう。〈ケリをつけたくてたまらなかった〉がなすすべはなく、何かが壊れそうな予感だけを残してこの章は終わる。
 作家ヘミングウェイの地位は初期の短編なくしてありえなかった。そんな名作を次々と生んだパリ時代を振り返ったのは、60歳を過ぎたいま、創作の井戸が枯れ果ててしまったこと、そして予感はあったにもかかわらず、破滅の運命から逃れられなかったことを、静かに自分の手で確かめるためだったのだ。

 

移動祝祭日 (新潮文庫)

移動祝祭日 (新潮文庫)