書評王の島

トヨザキ社長こと豊﨑由美さんが池袋コミュニティカレッジで開講している「書評の愉悦ブックレビュー」。そこで書評王に選ばれた書評を紹介するブログです。

レアード・ハント『ネバーホーム』書評

ネバーホーム

プロフィール 2018年2月社長賞
田仲真記子 この書評を読んで、『ネバーホーム』を手に取ってくれる人がひとりでもいたら、望外の喜びです。
 
 米国の作家、レアード・ハントの2014年の長編。同じく柴田元幸訳の『インディアナインディアナ』、『優しい鬼』に続く三作目の翻訳作品である。
 舞台は1860年代のアメリカ合衆国。男性と偽って南北戦争に従軍した女性がいた、という史実を下敷きにしている。主人公はインディアナ州で夫とともに農場を経営する女性、コンスタンス・トムソン、転じて兵士アッシュ・トムソン。彼女が出征し、訓練を経て戦闘に加わり、名をあげ、敵を殺し、捕虜になり、語り尽せないような旅を重ねる物語だ。アッシュに降りかかることの多くは過酷だが、ときに心温まる休息も訪れる。
 クライマックスの数ページの展開は、スリリングでスピード感に満ち、意外さと衝撃にあふれる。何度も繰り返し読まずにはいられない密度と迫力で、読者の心に深く刻み込まれる名場面だ。アッシュは愛する夫バーソロミューの待つ農場に、無事帰れるのか。作者のまなざしは人間に優しく、そして運命には容赦ない。
 舞台は戦場で、そこで起きるできごとは殺伐として劇的だが、一人称でコンスタンスが語る文章は、淡々として激することがない。作者がひたすら彼女の思いを探り当て、考え抜いたたまものだ。語彙は限られ、稚拙で武骨な言葉も多い。語り手であるコンスタンスが乗り移ったように抑制された語りが続き、雄弁で精緻な表現を織り込むことを避けている。両親の来歴など、コンスタンスが語りたくないこと、ためらいがあること、隠しておきたいことは説明しつくされず、時にぼんやりと言及されるだけにとどめられる。
 『ネバーホーム』は戦争の物語であると同時に、愛の物語でもある。バーソロミューとコンスタンスの風変わりな夫婦のありようは、稀有な美しさを持つ。力自慢で血の気の多い妻と心優しく純真な夫。彼は妻の尻に敷かれているわけではなく、その唯一無二の理解者で、「純粋な、かけ値なしの愛」でコンスタンスを包み込む。性差より個人の個性や適性をみつめる作者の視点は、特にこの夫婦の描き方で光っている。二人の絆は、読者が悲しみに満ちたこの物語を読むときのよりどころになってくれる。
 作者は、この夫婦以外の弱者やマイノリティーにも温かなまなざしを向ける。アッシュの上官である大佐のいとこと言われる元引きこもりの兵士。瀕死の重傷を負ったアッシュを助け、介抱し、一緒に暮らしたいと持ち掛ける女性。両親がいなくなり、女の子三人だけで暮らす家族。アッシュが旅の途中で遭遇する人々の多くは、弱く、もろく、ゆがんでいる。「グロテスクな人々についての本」と題された米国現代文学の古典で、米国中西部の田舎町に住む市井の人々を描いた短編連作、『ワインズバーグ・オハイオ』の登場人物たちを思い起こさせる。
 さらに、結末のコンスタンスの言葉を読むに至って、読者は本作に用意された文学的なしかけにも目を開かされる。自分の解釈を揺さぶられ、戸惑いを覚える読者もいるかもしれない。そんな思いを抱いたら、序文に戻るといい。南北戦争時の雑誌から取られた言葉だ。『崇高で荘厳な美―-恐怖と脅威に満ちた麗しさ……』これこそアッシュ・トムソンを端的に表現した一節であり、作者はこの一節を体現することで、彼女の人間像を作り上げたようにさえみえる。主人公を慈しみ、畏怖の念を示しつつ、一定の距離を保って客観視し、読者がセンチメンタリズムに流されないようなエンディングを用意することで、作品に多面性を与えることに成功したのだ。
 “Be fierce and undaunted, writers of the world. 2018 is going to need you.”(世界の作家たちよ、猛々しく、不屈であれ。2018年はあなたがたを必要としている)2018年新年のレアード・ハントのツイートである。文学ができること、すべきことに懸ける思いは熱く、その信念は固い。今後も必読の作家だ。

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