書評王の島

トヨザキ社長こと豊﨑由美さんが池袋コミュニティカレッジで開講している「書評の愉悦ブックレビュー」。そこで書評王に選ばれた書評を紹介するブログです。

エンリーケ・ビラ=マタス『パリに終わりはこない』書評

パリに終わりはこない


書いた人:鈴木隆詩  2017年10月度トヨザキ社長賞
フリーライター。最近はさぼってばかりいます。

 

 〈私がデュラスの屋根裏部屋でしていたのは、基本的にヘミングウェイが『移動祝祭日』で語っているような作家生活だった。〉
 これはエンリーケ・ビラ=マタスが二〇〇三年に発表し、今年邦訳が出た小説『パリに終わりはこない』の序盤に出てくる一文で、これだけで小説全体を説明しきっている。

 「私」とは誰か? 『パリに終わりはこない』の主人公であり、作者自身と重なり合う人物だ。「私」は二十代だった一九七四年にパリに行き、最初の小説『教養ある女暗殺者』を書きながら二年を過ごした。これはビラ=マタス本人の経歴と、ほぼ同じである。
 デュラスとは誰か? 『愛人 ラマン』などで知られる小説家であり、脚本家、映画監督としても活躍したマルグリット・デュラスだ。「私」にとっては、月百フランの家賃を何ヶ月も滞納することを許してくれた家主であり、小説を書くための十三の心得を、ありがたくも授けてくれた先人だった。

 では、〈ヘミングウェイが『移動祝祭日』で語っているような作家生活〉とは?

 『移動祝祭日』はヘミングウェイが、パリで過ごした二十代の六年間を、晩年になって振り返った作品だ。二十二歳のヘミングウェイは妻を伴ってパリに渡り、新聞記者をしながら最初の小説の刊行を目指した。そして、ガートルート・スタイン、スコット・フィッツジェラルドエズラ・パウンドらたくさんの作家や芸術家と親交した。
 〈もし幸運にも、若者の頃、パリで暮らすことができたなら、その後の人生をどこですごそうとも、パリはついてくる。パリは移動祝祭日だからだ〉というのが、その序文(高見浩訳/新潮文庫版)。叙情に満ちた作品で、最後の章のタイトルは「There Is Never Any End to Paris」、つまり「パリに終わりはない」だ。

 「私」は、そんなパリに憧れて移り住み、ヘミングウェイみたいに小説家を目指しながら、ヘミングウェイみたいにさまざまな作家や芸術家と付き合って、後年、作家として何冊も小説を著してから、ヘミングウェイみたいに若かったパリ時代を回想する。では、『パリに終わりはこない』は『移動祝祭日』みたいな作品なのかというと、そこは違う。バルセロナに住む「私」が三日間続く講演としてパリ時代を語る、という体裁で書かれているからだ。ビラ=マタスは、ヘミングウェイのように一直線に過去を振り返ってはいない。「私」という自分によく似た主人公を立て、講演という虚構の行為をさせている。

 そのことでまず、パリ時代の若かった自分に対するアイロニカルな視点が立ち上がってくる。「あの頃の自分、こんなだったんですよ、どう、笑っちゃうでしょ?」的な一歩引いた冷静さは、人前で自分語りをする時の作法である。その上で、絶妙な語り口による、自虐的な笑いの奥から立ち上がる青春の苦味や、今は失われてしまったきらめきに、聴衆は(そして読者は)共感させられる。

 だが、小説内にいる聴衆はともかく、その外にいる我々読者が忘れてはいけないことは、「私」が語る体験談はまったくの作り話である可能性がおおいにあるということだ。『パリに終わりはこない』には、たくさんの著名人が登場して、「私」と言葉を交わしていくが、それが「三日間の講演」を面白くするための味つけではないという証拠は、どこにも提示されていない。「私」がおびただしく引用する古今の作家の言葉に導かれ、全てがビラ=マタスの頭の中で組み立てられている出来事なのかもしれないと疑うと、この小説のもう一つの面白さが立ち上がってくる。

 作家の頭の中で、郷愁と混ざり合いながら、現実とは違う広がりを見せるパリ。「私」はこう言っている。〈リアリスティックな作家が現実を忠実に写し取りながら、結果的にそれを一層貧相なものにしてしまっているのを見ると、思わず笑ってしまう〉。

 

パリに終わりはこない

パリに終わりはこない